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2015年5月

2015年5月30日 (土)

NHK番組、かんさい熱視線「戦後70年 なぜ“特攻”に志願したのか」を観て

昨日のNHK番組、かんさい熱視線「戦後70年 なぜ“特攻”に志願したのか」で、元特攻隊の92歳の方が、学生に自分自身の戦争体験を伝える活動をされているということを知りました。 その方が言っておられたことは、戦争というものを知らない若者に、自分が生きている間に何とかして、戦争という過去の愚かな行為の無意味さ、悲惨さを知ってもらいたい。そのような動きがあれば主体的に、大勢に惑わされず、反対の意思を示して欲しいということだったと思います。

そのためには、多くの情報が飛び交う現代社会において、情報の良し悪しを自分自身で判断する能力を身に付けて欲しいということだったと思います。たとえば、他の人が賛成しているから、あるいは地位的に偉い人(人格的に偉い人ではない)が賛成しているから、それは正しいだろうと思って、自分もそれに追随して賛成する、といったような姿勢は駄目で、自分自身の意志を持って、大勢に流されることなく、自分自身で判断して行動して欲しいということでした。私も全く、同感です。

現在、我が国では、政権党によるメディアへの介入を通じての世論誘導など、好ましくない事態がじわっと進行しています。戦後70年間、我が国は戦争というものがなかったため、「国に任せれば安心」という感覚が満ちています。それに加えて、長い不況からの脱出、中国のなりふり構わぬ傲慢な覇権主義などに対する反感、などが重なり、誰でもいいから強力なリーダーにこの閉塞感を打ち破って欲しいと言い願望があります。これは危険な風潮です。それが一部に国家主義的な政治家の台頭を醸成する環境を生み出しています。

国家主義とは、個人よりも国家権力を優先させ、個人の自由な発言を封じることです。国家権力は時として、事実を隠蔽し国民を裏切ることがあります。日露戦争や太平洋戦争当時のことを思い浮かべれば明白です。 ですから、国民は一人一人が、大勢に流されないで、自分の考えをしっかり持ち、行動することが必要です。身近な暮らしに直結する経済が大切なことは云うまでもありませんが、国家の行く末、国家のビジョンに対しても関心を持つことが求められます。

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2015年5月29日 (金)

京都・仁和寺/いっぷく茶屋

先日、初めて仁和寺に行った。仁和寺といえば、吉田兼好が徒然草の中で、少し軽率な僧の話を、「仁和寺のある法師・・・」と面白おかしく描いて紹介しているが、こういった話はさておき、仁和寺は由緒ある歴史を湛えた素晴らしいところだった。京都の北に位置していることもあってか、観光客も程ほどで、落ちついた雰囲気の中で、ゆったりとして楽しむことができた。

仁和寺は宇多天皇が退位後、出家して住房とし、真言密教の修行に励まれた。以来、明治維新まで皇子皇孫が門跡となり、御室御所と呼ばれて来た。世界遺産にも登録されている。

.見どころは御殿であった。宸殿では白川砂を敷き詰め、簡素な美を表した南庭、池を配し五重塔を背景に抱いた北庭、また、宸殿、白書院、黒書院、の襖絵も素晴らしいものだった。仁王門から中門を経て金堂に至る境内は広々として、途中、御室桜という丈が低く根本から枝を張る桜の園があった。
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帰りに、暑かったので仁和寺前にある「いっぷく茶屋」で休憩。抹茶のアイスクリームと抹茶を戴いた。その時、他にお客がいなかったので、お店の御主人と奥さん、それに家内を加えて、京都のこと、食べ物のこと、修学旅行生のことなどについて歓談した。

ご主人の安田圭吾さんは、江戸時代から300年もの長きに渡って続いてきた桜守の8代目。歌手の「南こうせつ」さんとは、学生時代からのお友達で、時々一緒にライブをした仲だという。お店にはライブの舞台装置があり、ライブ気分を味わえるという。店内にはまた、修学旅行生から送られて来た、同店で撮った写真が沢山飾られていた。帰りに同店で「りんご生八つ橋」を買った。美味であった。

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2015年5月21日 (木)

リヤカーを引き徒歩で日本一周の旅人・鈴木さん のその後の現況

4月22日に<旧吉田茂邸で出逢った、リヤカーを引き徒歩で日本一周の旅人>という記事を投稿しましたが、この記事に関して、思いがけない、嬉しいメールを頂きました。

この記事で「Aさん」と記した旅人の中学生時代の友人である「Kさん」という女性の方からメールを頂いたのです。ブログを投稿して、これを見て頂いているKさんのような方がおられるのだと思うと大変嬉しく思いました。

さて、「Aさん」とは鈴木康吉さんです。Kさんから実名を公表してもいいという了解を得ましたので、ここに公表致します。
さて、以前の記事をご覧になっていない方もあると思いますので、それについては今回の記事の最後に掲載しましたのでご覧下さい。
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さて、その後の鈴木さんのことですが、「Kさん」のお話によると、私が、4月22日に大磯の吉田茂旧邸でお会いしてから、順調に歩を進めて、5月19日には、宮城県・気仙沼の簡易宿泊所に到着され、久し振りにごゆっくりと休息されたとのことです。昨夜の豪雨で濡れたテントを乾かすこともできたとのこと。

明日はいよいよ岩手県・陸前高田市に到着されます。東北地方はまだ震災の爪痕がまだ彼方此方でも見られ、その生々しさを実感されているとのことです。

添付の写真は、Kさんから送って頂いたもので、3月22日、鈴木さんが出発された時のお見送り写真です(愛知県碧南市への橋・衣浦大橋にて)

それでは、鈴木さんの更なる旅の、安全、成功をお祈りしたいと思います。

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下記は、最初の記事です。

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先日、娘夫婦と箱根観光をした後、横浜にある彼らの自宅へ車で帰る途中、昔家族一緒に住んでいた保土ヶ谷にあるマンションに立ち寄りたいという望郷の念?が皆で共有されたので、海岸沿いの国道1号線の進路を選んだ。箱根駅伝のルートでもある。大磯町に入った時、旧吉田茂邸という標識が目に飛び込んだので、これは是非とも見ておきたいと思った。
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ここで、徒歩でリヤカーを引き、日本一周をされている方(Aさん)に出逢った。Aさんは私と同じような年頃だと思うが、名古屋から歩いて来られたという。どういうわけで歩いて来られたのかと聞くと、徒歩で海岸沿いの日本一周の旅をしているのだと言う。日本一周は長年の夢で、奥さんの反対もあり、なかなか実現しなかったが、この程ようやく奥さんを説得して旅立ちができたとのこと。
リヤカーに生活用品を収納し、これを手で引き歩く。大体一日20kmの行程で7か月程かけて、北海道から日本海側へ出て名古屋に戻るという行程。それから少し休息後、今度は西日本への旅に出るそうだ。因みに費用を倹約するため、3日に一度は旅館に泊まり、あとは野宿とのこと。
Aさんとは短い逢瀬であったが、Aさんの旅の安全と成功をお祈りして別れた。今はどの辺りを歩いておられるのだろうか。
  滅多にないAさんのような冒険家との出逢いを幸せに感じた。Aさんに見習ってもっと元気を出さなければと、自分に言いきかせた。
写真はAさんとリヤカー。「伊能忠敬」「歩いて日本の海岸一回り」の文字が見える。

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2015年5月20日 (水)

伝統の染織工芸を教える学校

先日、京都へ行った時、平安神宮へ向う神宮通にある、染織の学校「アルスシムラ」のギャラリーを訪れた。今、書いている本の取材のためである。

学校は、志村ふくみと娘さんの志村洋子さんが、伝統の染織工芸を後世に伝えるためにと開設された。草木染と紬織を教える。
ホームページに次の様な一文がある。「私たち、志村ふくみ、志村洋子と、そのアトリエ工都機工房の営みは、自然と神々が一体だった古(いにしえ)の、織女の営みに似ているかもしれません。時代は激しく変化しても、地球という星が与えてくれる生命の本質は変わりません。私たちはそれらと親密にふれ合い、それらを言葉とし、織物に新たな美と活力を見いだしたいと願いつつ仕事をしています」...

日本古来の伝統を受け継ぎながら、後世にその技術と精神を伝えてゆきたいという気持ちがひしひしと感じられる。アルスシムラの願いは「魂の教育」だという。授業では、染めたり織ったりの手仕事を通して物に触れ、物の命に近づく、驚きと憧れの体験を大事にしてゆく。心が躍動する色彩体験は、芸術家としての魂を育てる。
 ふくみさんが、染織を始めたのは31歳の時。植物の幹や根や実を煮出して絹糸を染め、紬を織った。日用の工芸品に美を見いだす柳宗悦の民芸運動への共鳴もあった。そして今、農家の女性の普段着だった紬を芸術の域に高めた。

90歳を前にしたふくみさんが、60年に及ぶ創作活動から一歩踏み出して工房を開いた理由は、東日本大震災と原発事故にある。『源氏物語』などでも表現されている日本の色彩は、豊かな自然から与えられた類いまれなもの。失われないうちに若い人に伝えなければ、という、やむにやまれぬ思いから」だという。
エッセイストでもある。大佛次郎賞を受けた「一色一生」などの著作がある。
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大阪都構想に関する住民投票

大阪都構想は否決された。橋下氏は政界から引退という。
橋下氏が登場した時は、若干独裁的な雰囲気を持つも、社会を大きく変えてくれるという期待感もあった。

しかしその後、安部首相と通じ、慰安婦問題、日本軍による侵略など過去の歴史を顧みない国家主義的思考に傾斜した。また原発に対する態度にも、反原発という姿勢に揺らぎがあった。こういうことがなかったら、また他者の意見にも耳を傾け、喧嘩を売らず、冷静に振舞っていれば、もっと多くの支持を得て、大阪都構想は実現しただろうと私は思う。

今回の住民投票は、単に、都構想に賛成か反対の投票ではなかった。国政レベルの問題をも左右する複雑な要因が絡み合っていた。二重行政など大阪の改革は必要である。次は正常な政治感覚をもった人が出現して取り組んでもらうことに期待したい。

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2015年5月12日 (火)

大阪都構想

大阪都構想の住民投票が迫ってきました。大阪都構想が一番の目標とするのは大阪府と大阪市との二重行政を解消することだと思います。二重行政の解消自体は、常識的に考えれば好ましいものに間違いありません。ところがそう単純なものではないと思います。

賛成派、反対派が示している両案のコストやサービスについては、私はよく判断できませんが、それよりも大切なのは、行政のトップにどのような人物が座るかによって、政策が大きく違ってくることを私は重視したいと思います。

特に行政のトップに国家主義的な傾向を有する人物が座ると大層危険だと思います。このような人物に都構想が悪用されるかもしれません。...
国家主義的傾向を有する政治家とは、個人の権利よりも府や国の権力を重視する政治家です。例えば、ワンマンであり、皆の意見をあまり聞かない人、議会を軽視する人、憲法を議会の十分な審議を得ないで恣意的に解釈し、閣議決定する人、国家斉唱を義務付け、歌っていない者をチェックし罰する人、過去の侵略戦争や植民地主義という負の遺産には眼をつぶり、時には肯定する人、などです。現在の我が国の首相や大阪市長などは、その例だと思います。

最近、このような国家主義的な政治家が増えてきていることは残念なことです。中国が領土を拡大しようと、尖閣諸島や南シナ海などを我が物顔で徘徊している今、我が国のナショナリズムは大きな影響を受けています。私もこのような中国の動きに不快を感じる一人です。しかし、このような時こそ、冷静に考え、戦争という手段は脇において、平和を志向することが大切ではないでしようか。そして、昭和10年代、太平洋戦争に突入し、我が国を破滅に導いた大政翼賛会的な政治に進まないように気を付けなければなりません。

最近少し安堵できる動きがありました。自民党の中にも福田元首相のように、安部首相の戦後70年談話に注文をつけたり、自民党のいわゆるハト派の若手グループがリベラルな政治を志向する勉強会を立ち上げたりして、安部首相の独裁傾向を抑制する動きが見られることです。

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かわいい子供には旅をさせよ

新聞を読んでいて、どなたかが書いたコラムの中に、教訓的な句を見つけた。

「子供を不幸にする一番確実な方法は何か?(中略)それはいつでも何でも手に入れられるようにしてやることだ」(ルソー) 

身にしみる言葉ですね。...
今の子供たちは、物質文明の只中、親がその気になれば何でも与えてあげることができるし、子供たちの方からも、あれが欲しい、これが欲しいと親にせがめば、可哀想に思った親から、何でも買ってもらうことができる。

我々大人は、このような物に恵まれた環境が、子供を駄目にするかもしれないということも充分考えた上で、子供たちの要求を取捨選択して、与えてあげる必要があるのでしようね。

まさに、「かわいい子には旅をさせよ」ですね。

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2015年5月 7日 (木)

留学生を迎える

昨日は若葉の緑がすがすがしく感じられる日でした。我が家のつつじと鉄線(クレマティス)もようやく花を咲かせてくれました。我が家では、3月にタイ国のブーム君(愛称)を送りだし、少し淋しく感じていましたところですが、今回、新たにホームビジットの留学生を迎えました。

今回の留学生は、中国からの女子学生・トンヤさん(愛称)です。我が家で、家内がつくった家庭料理での昼食を共にしました。彼女は外交的な性格で、非常に明るく、野外での活動が好きな学生です。

お互いの家族のこと、日本の文化のことなど、話しが弾みました。中国の文豪・魯迅の小説「藤野先生」のことにも話が及びました。この小説の藤野先生については、我が家も若干の係わりがあるので、お互いに興味深く感じた次第です。...

彼女は日本の文化に大変興味があるようで、日本語はまだ習得中なのでほとんどは英語での会話ですが、彼女の日本の文化にできるだけ多く触れたいという熱意が伝わってきます。彼女の日本滞在は僅か半年の予定です。できるだけ日本の文化に触れるように協力したいと思っています。

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伏見稲荷大社

(伏見稲荷大社)
4月28日、所要があったので京都へ行った。午前中所要を済ませ、午後から伏見稲荷大社へ向った。伏見稲荷大社は行くのは今回で2度目だが、最初の訪問は入口の本殿とまり、今回は稲荷山の山頂の上社(一の峰)まで行くのが目的であった。

伏見稲荷大社は、外国人観光客が最も多く訪れる観光地であるという。伏見駅から山頂に向かう途中、やはり半数以上が外国人であった。着物姿の外人女性もちらほら、カップルで二人とも着物姿の外国人も見た。
さて、頂上まで至る道は、初めて来たのでそうかもしれないが、意外に遠く感じた。同伴の家内の歩行に合わせてゆっくり歩き、本殿、千本鳥居、三ツ辻、四ツ辻を経て、約1時間少しで頂上に到着。達成感を感じた。(駅から往復約2時間ばかりの行程)

.頂上から下って、四ツ辻で、ソフトクリームを食べながら下界の景色を見てくつろいでいる時、隣に座った外国人カップルがいた。彼らの話を洩れ聞いていると、ドイツ語によく似ているがドイツ語でもない言葉であるので、興味があったのでどこから来たのか聞いてみるとオランダだという(Gさん)。姉と弟。二度目の来日だという。東京よりも関西の方がフレンドリーで親切であるとお世辞?を言ってくれた。
弟さんの方が名刺をくれたので私も渡した。名刺には写真家という文字が。ヘイスブックで連絡をとり合いましょうということで、別れた。帰宅後、彼のフェースブックを見るとさすがに写真家。素晴らしい写真を既に搭載されていたので、彼の許可を得て、ここに掲載する。女学生や着物姿の女性の写真が特に素晴らしい。
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新聞記事 東大阪市にある仁張工作所   

東大阪市にある仁張(にんばり)工作所が新聞に紹介されていました。
同社は、私の著書(共著)「伸びる会社はここが違う!~元気企業に学ぶ7ヶ条~」の中で紹介させて頂いた企業の一つです。

私はこの時(約3年前)取材させて頂きましたが、「人を大切にする会社」だという印象が強く残っています。記事を見ながら懐かしく思いました。

この記事では、「国籍・世代超え活躍の場」という見出しで紹介されており、ベトナム人の技術者を正社員として採用したこと、99人の従業員のうちベトナム人の方は9人にのぼること、女性は22人と約1/5を占めること、などが強調されています。労働力を求めて海外に進出する企業も多いですが、地域にとどまり、たくましく生きる企業の例としても紹介されています。

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