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2015年6月

2015年6月27日 (土)

エイトワン・異色の若者経営者・大藪崇さん 

<エイトワン・異色の若者経営者> 
カンブリア宮殿で紹介されていた、「エイトワン」という会社の社長・大籔崇さんには驚かされた。まさに異色の若い経営者(36歳)である。
愛媛大学在学中は、パチンコに明け暮れ、留年も経験。卒業後は、いわゆるニートだった。その時、税理士を目指し、専門学校に進学。その際に投資に目覚め、株で15億円を儲けた。
普通ならば、人にもよるが、これだけのお金があれば、ぐうたらに暮らし、仕事もせず、無為に人生を過ごす者が多いのであろうか。

しかし、彼は違った。その後、ほしい物を一通り手にいれた後は、自問するようになる。経済的な安心は手に入れたが、幸せ感がない。何が本当の幸せだろうか?と。

そこで、人の役に立つこと、世の中を良くすることが自分の使命ではないかと悟る。そして、稼いだ15億円を元に、現在の会社「エイトワン」を設立した。因みに愛媛で会社を起こした理由は、幼い頃に両親と旅行に来て非常に好きになったからだという。
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大藪さんは今、愛媛県で、経営不振の旅館を再建したり、地元の今治タオルや愛媛特産ミカンの生産者など、先行きに不安を感じている人たちと一緒になって、販路拡大のための事業を幅広く展開している。

そして、自分自身はアイデアを出す役目に徹し、実行する人を決め、細かなことはそれぞれの責任者に任すスタイルを実行している。更に最近は、商品が売れず、苦しんでいる他県の地場産業を支援することも始めた。東香川市の「手袋」産業などへの支援もその一つだ。
大藪さんは、まさに地元に元気をもたらしてくれる救世主なのだ。
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このような若者がまだ日本に存在していることは嬉しいことだ。
http://www.eightone.jp/

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リヤカーを引き徒歩で日本一周の旅人・鈴木康吉さん、その後の現況(4)

前回に続き、鈴木さんの中学生時代の友人である女性「Kさん」からの4回目の報告を下記に記します。

鈴木さんの更なる旅の、安全、成功をお祈りします。

 前回の記事は⇒ここをクリック

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6月7日(下風呂温泉~大間港)

 早めにテントを畳み、意気揚々と大間港14時のフェリーを目指す。今夜は函館と思うだけで心は躍る。足取り軽く12時には大間港に着く。そこで「まさか」が待っていた。なんと11日まで法定検査のため欠航。知った途端一気にがっかりが全身を覆う。さあて、これからどうしようか。友達に電話しいろいろ案をもらう。南下して仏が浦へ行くか、温泉巡りをするか、悩んだ揚句出した結論。うろうろしない。「ローマの休日」ならぬ「おーまの休日」となる。

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6月11日(大間~白石公園キャンプ場)

 ♪はるばる来たぜ函館へ♪と、歌い上げるほどの熱情は大間の三日間でクールダウン。大間フェリー乗り場で知り合ったIさんに超不得意のスマホの講義と特訓を受ける。丁寧に、優しく、忍耐強く、教えてくれる熱意に反して、悲しいかな、理解度が今一なのが申し訳ない。台湾の沈さんは逆のルートで出発。その日は白石公園オートキャンプ場泊。

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6月17日(長万部~洞爺湖駅)

 長万部から噴火湾越しに幾重にも重なる山並みが見えた。静狩峠を越えたあたりで、「こっこっこっこっ」リズミカルに木々に共鳴するような音。ふと見上げるとアカゲラのドラミング。初めて聞く音だった。

 豊浦町噴火湾公園、伊能忠敬測量200年記念碑を訪ねる。

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6月19日(黄金駅~室蘭)

 室蘭市本輪西にある「伊能橋」へ。名古屋からグーグルを観ながら、ケイタイで「囲い込み」、、大きなストアがあり、その道を北上する。道南バス停「伊能橋」、、あったぁ、ありました。

 風もなく歩きやすい苫小牧への道。ゴム草履は二代目となる。靴はお釈迦になり始めてる。

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6月22日(苫小牧~鵡川)

 シシャモで有名は鵡川辺りまで、一日中誰にも会わず。唯一つ、キタキツネが道を横切り、ふと立ち止まり、こちらをじっと見て、そのまま太いしっぽをふり、山へ行ってしまった。

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6月23日(鵡川~節婦)

 沙流川を渡ると「馬」の看板。見えるのは牧場、どこまでも緑の牧場。さすが日高だ。これまでは「鹿」に注意が「きつね」に注意 に変わった。雨まじりの向かい風のなか、節婦駅近くですれ違った背の高い田中君。後で知った事だけど、彼が100名山を踏破し、今、一筆書き200名山(宗谷岬から鹿児島の佐多岬)に挑戦している田中陽希さんだった。彼は康吉君の事を最初は魚屋さんかな? と思ったらしいけど、すれ違い様に「歩いて日本一回り」の看板を見て足を止め、しばし歓談。(詳細は、下記、田中陽希さんのブロ

グ6月23日リヤカーおじさん参照)北海道で初めて歩く旅人と出会ったと記されている。康吉君はこれでまぎれもない「旅人」に認定されたと私は深く確信した。

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田中陽希さんのブログ⇒ここをクリック

 

写真:
 上:鈴木さん 下:田中陽希さん

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2015年6月21日 (日)

国家主義の台頭を防ぎましよう!

日本でも、香港でも、個人の自由と権利を守ろうとする人たちの動きが活発です。このような人たちの努力がなかったら、歯止めなく国家主義的な政治家の台頭を許し、不幸な方向に進んでいくような気がします。
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6月18日、国会前の安保関連法案に反対する集会に、瀬戸内寂聴さん(93)も参加。「最近の状況は戦争にどんどん近づいている。本当に怖いことが起ころうとしている」と語り、更に「最後の力を出して戦争に反対する行動を起こしたい。戦争にいい戦争はない、若者を戦場に送ってはならない」と訴えた。

戦争体験者が次第に少なくなっていく今、戦争を知らない若者たちに戦争の悲惨さを知ってもらう努力が欠かせませんね。...
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一方、お隣の中国・香港。中国共産党独裁政権が道筋を示した香港行政長官選挙の制度改革案、いわゆる「ニセの普通選挙案」に、自由を求める民主派が「NO」を突きつけ否決された。


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2015年6月18日 (木)

宮大工を育てる会社・鵤工舎

<宮大工を育てる会社・鵤工舎>
昨日、取材のため奈良県・斑鳩町にある鵤工舎(いかるがこうしゃ)を訪ねた。鵤工舎は、法隆寺の宮大工・故西岡常一棟梁の弟子小川三夫氏が、寺社建築技法を後世に伝えるため、斑鳩の里に創業した会社である。本社は小川氏の故郷・栃木県にあるが、ここ斑鳩町にあるのは支社である。

法隆寺駅からタクシーで約10分、昔、聖徳太子が活躍したことが偲ばれる森や田畑に覆われた自然のなかに同社はあった。直ぐ近くに法輪寺が望まれる。工匠の前田氏に案内して頂いた。前田氏が入社した時、西岡氏はまだご健在であったという。
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小川氏は、現在を担う斑鳩の里の宮大工であり、西岡棟梁のただ一人の内弟子であった。西岡と違い代々の宮大工の家の子でなく、父は銀行員だった。高校の修学旅行で法隆寺の五重塔を見て感激し、自分もこんな塔を造ってみたいと思ったのが、この道に入るきっかけだった。以来、小川氏は徒弟制度の下で、西岡氏より技術を学び、法輪寺を始めとして数々の寺院建設に係ってきた。

そして今、西岡氏から学んだ方法で、自分の弟子たちに手の記憶を伝えている。今、彼の下に40人ばかりの若者がいる(このうち、幾人かは女性だ)。彼らは一緒に食事をし、同じ仕事場に立ち、自分のできることをしながら、仕事を学んでいく。彼ら若者たちの中から幾人かの棟梁が生まれてくるのだろう。

現場を見せて頂いて、日本古来の建築を支えてきた宮大工さんの仕事の一端を垣間見ることができ、興味深く感じた。事務所にビートたけしさんと、小川氏、そして案内して頂いた前田氏が写った写真が飾られていた。たけしさんは匠の技?とかいう番組の取材で来られたのであろう。
近くには、小川氏が棟梁として建てられた法輪寺があった。法輪寺は622年、聖徳太子の息子・山背大兄王が太子の病気平癒を願って建立した寺である。
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因みに、宮大工さんの真髄は、小川氏の著書「木のいのち・木のこころ」に記された次の言葉から窺い知ることができる。「大工は手の仕事です。頭で考えるだけでは建物を造ることができません。・・・千三百年も前の姿をそのまま残す法隆寺や薬師寺の建物は、職人たちから職人たちへの手による記憶によって引き継がれてきたのです。この手による記憶は、この後いかに科学が進んでも、言葉にも数式にもよらず、やはり人間の体を使ってしみこませた記憶や勘によってしか伝えられないでしよう。そしてそれを実践していくのは、私たち大工です」

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立憲主義に基づいた政治を!

先日、安部首相との会談直後、維新の橋下市長は、自身のツイッターで「民主党という政党は日本の国にとってよくない」などと、民主党を激しく糾弾するメッセージを連発しました。
他党を正当な理由なく酷評するこの態度こそは、橋下氏の国家主義者としての本質を露わにしたものであると思われます。

そもそもこの会談は、安部政権が、数の力を借りて安保関連法案を強行採決した場合の、内閣支持率の下落を避けるため、維新と法案修正で合意できなくても、採決に応じてくれさえすれば、与党単独の強行採決という汚名から免れることができるという思惑からなされたものです。
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大部分の自民党の皆様は、立憲主義に基づいた、常識的でリベラルなお考えをお持ちで、議会制民主主義を尊重される方だと思いますが、安部首相を始めとする一部の国家主義的な思想をもった人に、自分の意見を正直に述べれば、次の選挙で公認されないので、何も言わずにおとなしく従っているように思えてなりません。
維新の党も、江田氏におかれましては、橋下氏とは袂を分かって、江田氏本来のお考えに沿った姿を取り戻して頂きたいと思います。
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最近の調査では、憲法学者の中で、安保法案を「違憲」とし、廃案を求める人は228名、一方「合憲」としている人は僅か3名程度にすぎません。学者の一人、長谷部氏は「安部政権は、わらにもすがる思いで砂川判決を持ち出してきたが、これは国民を愚弄するものだ」とし、小林氏は「安部内閣は憲法を無視した政治を行なう以上、独裁の始まりだ」と厳しく非難しています。国家主義または全体主義というものは、知らず知らずの間に忍び寄ってくるものです。そんなことはあり得ないと思っていては駄目です。注意しなければなりません。ヒトラー政権下のドイツや今の中国共産党独裁政権のような不幸な状態にならないとは言い切れません。

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2015年6月15日 (月)

奥田祥子さん「男性漂流~男たちは何におびえているか~」

久米宏さんと壇蜜さんのコンビで、新書を面白、おかしく紹介する番組「久米書店」。先日観た、ジャーナリスト・奥田祥子さんの「男性漂流~男たちは何におびえているか~」は、現在、世の中の多くの男性が抱えている真の悩みを明らかにし、このような事態を生みだしている現代社会の矛盾にも目を向けられている。読んでみたくなる本であった。

この番組のHPでは次のように紹介されている。
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「結婚がこわい」「育児がこわい」「介護がこわい」と、男たちはいろんなことにおびえている。婚活ブームで追い込まれる者、“イクメン”現象の裏で理想通りの父親になれないと悩む者、長年働いてきた会社を嫌いになる前に自ら辞める者…。男は冷静沈着で弱音をはかない、と思われているがゆえに助けを求められない。そんな真の男の姿を、ジャーナリストの奥田祥子さんは10年間で200人以上の男性への取材を通して明らかにされた。今回、自らの意志と努力で希望の光を見いだした男たちの生き様を紹介。そこには、悩める男性たちが暗闇から抜け出すためのヒントがあった。・・・・・...男であるがゆえに、周囲に弱みを見せられず、すべてを自己責任にされ、誰にも本当の想いを打ち明けられず、孤立し、懊悩する中年男性たち。・・・・・
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因みに、奥田祥子さん自身はまだお一人の身。新聞社勤務。男女の生き方や医療・福祉、家族、労働問題などをテーマに、全国を回って市井の人々を中心に取材を続けておられる。 著書には『男はつらいらしい』(新潮新書)などがある。

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2015年6月 7日 (日)

<リヤカーを引き徒歩で日本一周の旅人・鈴木康吉さん、その後の現況(3)>

4月22日に<旧吉田茂邸で出逢った、リヤカーを引き徒歩で日本一周の旅人>という記事で、鈴木康吉さんのことを紹介しましたが、5月19日この記事を見られた鈴木さんの中学生時代の友人である「Kさん」という女性の方からメールを頂きました。今後、「Kさん」から適宜、鈴木さんの現況につき、報告を頂き、投稿することにします。

今回は3回目のレポートです。

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鈴木さんの行程は次の通りです。
3/22
、愛知県碧南市出発⇒4/22、神奈川県大磯
5/19、宮城県・気仙沼市 5/22、大船渡、三陸町
5/27、八戸⇒6/2、六ヶ所村⇒6/6、尻屋崎灯台
6/7、大間から函館へ

以下は「Kさん」が電話で、鈴木さんから得た旅の報告です。

それでは、鈴木さんの更なる旅の、安全、成功をお祈りしたいと思います。
 
前回の記事は⇒http://yagikeieioffice.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-af43.html

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★陸前高田の奇跡の一本松を遠くから仰ぎ、大船渡、三陸町に入ったのが5月22日。ふるさと三陸道の駅で盛岡からの釣り客と合流の飲み会。出された笹かまぼこの美味しさが忘れられない。その方々が口々に言うには「下北には人は居らんぞ。居るのは猿ばかりだ」

道中頻りに「トッキョキョカキョク」と鳴くホトトギスが旅の友。朝起きる時は「ハヨオキロ」と聞こえる。

 
★5月27日陸中海岸の遊覧、普代村黒崎で伊能忠敬の碑「北緯40度 シンボル塔」と出会い、感激。その頃からリヤカーのパンクが気になり始めたが、修理するための水と容器がなく、八戸のホテルまでなんとか、、、と思ってるある朝、たまたまウオーキング中のご親切な人から自宅へ来いと言われ、朝ご飯までごちそうになる。その後ご近所さまとの交流あり。

★5月31日青森県突入。下北の話が頭にあったわけでもないけど、20年来愛用の杖をどこかへ置き忘れた。

 

★6月2日、民宿を請うたご主人にえらく気に入られ、六ヶ所村近くの沼で漁師体験、仕掛けの作業中「お前さんは飲み込みが早い」と褒められた。猿はいないけどすごいご仁が居なさった。


 
★6月6日下北半島最東の尻屋崎灯台から226号を大間への途中、下風呂温泉で野宿。明日はいよいよ大間から函館へフェリーで渡ります。

★予期せぬ出来事の連続で、定期連絡が待ち遠しい毎日を過ごしています。

北海道は2ヶ月の予定でまた大間へ戻ってきます。
 
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現在の本人とリヤカーの写真がないので、残念ながら添付出来ません。10㌔ ほど引き締まったと言っております。元気で夢の実現に向けて進んでいます。

応援本当にありがとうございます。(U・K)

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2015年6月 3日 (水)

初夏の箕面山ハイキング

先日、箕面の山へハイキングに行ってきました。 メンバーは家内と中国からの女子留学生・Tさんの三人。Tさんは活発な人で、野外活動が大好き。是非ともハイキングに行きたいと言っていたので、彼女のリクエストに応えてのハイキングでした。

箕面駅を10時に出発、西江寺、風の杜、才が原林道を経て、箕面ビジターセンターに到着、そこで昼食をとり、その後は、百年橋、箕面大滝、瀧安寺、を経て橋本旅館で小休憩。休憩後、箕瀧案で柚子商品を買い、箕面駅に3時頃到着しました。

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初夏の一日、幸いに左程暑くなく、山道では微風にも恵まれて快適でした。留学生の彼女は、日本は自然に恵まれて羨ましい、山道は一面が緑に覆われて大変癒されると言っていました。またトカゲを見つけ、初めて見たといって感動していたのが印象的でした。箕面ビジターセンターでも、リスやタヌキ、鹿などの標本、紅葉の標本、様々な草花の写真などを見て、箕面は素晴らしいところだと実感したそうです。大滝のところで写真を撮りました。その時、普段見られない猿が一匹、枝の上で孤独を楽しんで?いました。

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ところで、今回のハイキングでは白い可憐なウツギの花が沢山見られました。ウツギの由来は、この木の幹がうつろ(空)であることから「空木」という名が付いたと言われています。また別名、「卯の花」と呼ばれています。卯月に咲く花だから卯の花というのか、卯の花の咲く月だから卯月というのかは定かでないらしいです。

名前の由来はさておき、卯の花は古来より詩歌に詠われてきました。万葉集でも卯の花は24首詠まれており、その内、18首はホトトギス(時鳥)とともに詠まれています。 卯の花と言えば懐かしい歌があります。

 佐々木信綱作詞、小山作之助作曲「夏は来ぬ」です。

   卯の花の匂う垣根に
   ほととぎす早も来鳴きて
   忍び音もらす夏は来ぬ  

 万葉人は鳥を呼ぶために卯の花を垣根にしたようです。ところで「卯の花」の匂いはそれ程ではありません。この「匂う」は、現在の匂うという意味でなく、「美しく目に映じる」という意味だそうです。
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三元ラセン管工業(株)を訪問させて頂きました

昨日、フェイスブックで“お近付き”にさせて頂いた三元ラセン管工業(株)社長の高嶋さんを訪問させて頂きました。取材のためです。高嶋さんには、初めてお会いしたのですが、フェイスブックで存じ上げていますので、もう何回もお会いしているように感じました。同社は放出駅から少しばかり歩いた住宅地の中にありました。同社の近辺は往時、町工場がもっと沢山あったそうです。

さて、三元ラセン管工業さんがつくっておられるのは、一般の人が普段目にしないもので、ベローズという伸縮可能な蛇腹状の部品で、真空機器、半導体、更には宇宙関連施設などで使われています。もうひとつは金属製の伸縮可能なフレキシブルチューブで水道やガス菅などで使われています。全て受注生産で、一個からでも受注し、納期最優先でお客さん満足を目指されています。それには、同社が開発した、今までの金型のストックを組み合わせた独自の製法が寄与しています。主な顧客には、他で断られるような特殊な型を求める企業や、新しい製品やシステムを開発する大学関係や研究所が多いそうです。

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髙嶋さんから様々なお話をお聴きしました。経営難も経験し、それを克服するために、当時中小企業が取得するのが困難だったISO9001を社員全員で、独力でつくり上げたこと、多くの改善活動やその他、新入社員の採用なども、社員の自主性に任せていること、残業ゼロを徹底し社員の生活を重視していること、65歳までは同じ給料で働けること、等々。社員を大切にする企業文化が満ちているのを感じました。

このような企業風土があるからこそ、2005年には、大阪市がテクノマスターとして認定した19名の一人として、同社の方が選ばれたり、2009年には、デル社のスモールビジネス賞の受賞をしたり、その他にも数々の賞を受賞することができたのだと思いました。 最後に、工場見学をさせて頂きましたが、工場全体に爽やかが満ちているのが感じられました。

三元ラセン工業(株)

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