リヤカーを引き徒歩で日本一周の旅人・鈴木康吉さん、その後の現況(5)
前回に続き、鈴木康吉さんの中学生時代の友人である女性「U・Kさん」からの5回目のレポートを下記に記します。
今回は、6月26日(様似~襟裳岬)~7月20日(紋別~沢木)までの記録です。
レポートの最後に記されていますように、鈴木さんは、地元の人達の温かい物心両面に渡る励ましに加えて、郷里の仲間達が折りにつけ声をかけてくれる。出発した時はほんの小さな一つの点だったが、いつの間にか応援サポーターが線で結ばれ、今や面になって来た。心強い。絆とはこんなのを言うのかと感想を述べられています。
鈴木さんの更なる旅の、安全、成功をお祈りします。
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6月26日(様似~襟裳岬)
酷使し続けたリヤカーのタイヤを、前泊した様似の民宿駅前で交換。今日は襟裳岬を目指す。悠々と楽しく歩けたのは長い幌満トンネルまで。えりも役場を過ぎた辺から天気が急変。雲が出てきて強い向かい風。生半可な風ではない。
リヤカーを押せども進まない。今日は襟裳までは無理かと思ったほど。♪襟裳の春は何もない春です♪の通り、高い樹木はなくクマザサが地面を覆っている。日高山脈から吹き付ける風が今日の敵だったよう。午後5時やっとの事で宿に着く。
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6月27日(襟裳岬~広尾町)
台風のような風を後に百人浜、黄金道路、3つ目のトンネルは5㌔と長い。冷たい風雨で腹痛。どうにか7軒目でトイレを借用、助かったあ。おばあさんが熱いお茶を出してくれた。出掛けに、食べながら歩けって乾燥昆布を持たせてくれた。涙が出るほど、、、うれしい事よのー。
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6月28日(広尾町~忠類)
豊似から忠類へ。途中放牧された牛が見える。声を掛けると寄ってくる。挨拶代わりに「モーオー」と一言。こちらを見た牛達の後ろから「おぉー」と人間の声。びっくりしたあ!牧場主が「牛乳でも飲んでけ」。その一言にすっかり甘えて、お昼までお世話になり、牛の健康診断風景を見学。
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6月30日(豊頃~上厚内)
根室本線上厚内駅で野宿。昔懐かしい古い駅舎。今にも健さんが出て来そうな駅。駅に置いてあったノートに「一晩お世話になりました。ありがとう」と記す。
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7月4日(尾幌~茶内)
茶内駅で野宿。朝方差し入れでもらったホッカイシマエビを食べ終わった頃、突然スマホの先生の「ウーさん」バイクで登場。大間のフェリー以来の再会。ウーさんが、ケイタイかけてもかけても繋がらなかったらしい。康吉君のスマホが無過失の「機内モード」!広い北海道でよーく探し当ててくれたもんだと思う。夜も更けるのも忘れて飲み会は盛り上がったことでしょう。
霧多布で見られなかった丹頂鶴が根室の風蓮湖で見られた。霧の納沙布岬までは空身でバス利用。時折カッコーの声を聞きながら厚床へ、広大な草地が広がる牧歌的なR243で別海町へ。
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7月9日(奥行臼駅逓所付近~野付半島付近白鳥台)
雲遊ぶ広い青空、伊能忠敬測量最東端記念柱訪問。国道を隔てて樹齢120年の一本松、風雪に耐えた姿に心奪われる。
野付半島、標津町、崎無異、羅臼町、いよいよ明日は知床峠だ。
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7月13日(羅臼峰の湯~ウトロ)
前夜泊った宿から聞いたからとトラックが追いかけて来た。「峠へ送りますか?リヤカーで行くのは大変だろう。リヤカーはウィンチで荷台に載せ、車に乗って行かんか?」と声をかけられた。「歩いて」とリヤカーの看板に書いてある手前、有難いが歩いて行くと丁重にお断りをした。まだ甘えちゃいかんとも思った。4:30にウトロのホテルに着いた。
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7月14日(ウトロ~斜里町)
斜里町へ、ピーカンの日。昨夜バリカンで刈った頭の皮がじりじり、灼けるぅうう!
大府を出て初めて自販機でCCレモンを2本買った。一気に飲み干した。リヤカーの水はぬるくて飲めなかった。
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7月16日(網走~常呂)
博物館網走監獄は入場時間より一時間早く着き、待てずに未練を残したまま。
「しあわせの黄色いハンカチ」で健さんが監獄から現れ、深々と頭を下げたあの鉄の大きな扉が見たかったぁのー。残念!途中国道を外れて、能取湖の歩きやすい自転車道路へ。大阪から来たという鶴浦君に出会った。「やっぱり歩いてたんだー」と感激してくれた。
能取湖の厚岸草(サンゴ草)、秋には湖面を深紅に染めるだろう。
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7月20日(紋別~沢木)
出発して121日目、紋別からオホーツクラインR238をオムサロ台地竪穴郡を見学、興部(オコッペ)からオホーツク温泉ホテル日の出岬に着く。夕日を見送り、明日は朝日を迎えよう。
宗谷岬まで予定ではあと6日かな?順調です。数え切れないほどの地元の人達の温かい物心両面に渡る励ましに加えて、郷里(くに)の仲間達が折りにつけ声をかけてくれる。出発した時はほんの小さな一つの点だったが、いつの間にか応援サポーターが線で結ばれ、今や面になってる。心強い、、、絆とはこんなのを言うのかのー。フレーフレー康吉君!!!
(記:U・K)
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