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2015年9月

2015年9月29日 (火)

9月連休の箕面滝道の賑わい

9月の19日~23日までの連休は箕面の滝道も賑わいました。

箕面川床では、せせらぎを聞きながら料理を楽しむ人、箕面昆虫館では、クイズや塗り絵、昆虫に触って楽しむ子供たちの姿が見られました。

音羽山荘では、結婚式が行われていました。 箕面滝道ふれあい広場では、「平成のぞきからくり」という古くから伝わる大衆演芸が行われ、多くの人が立ち止まって珍しそうに観劇していました。
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司馬遼太郎氏が語った徴兵の思い出

司馬遼太郎氏は、満州へ派遣されたという徴兵の経験がありますが、その著『この国のかたち』の中で、次のように述べています。
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私の学生時代、学生への徴兵猶予の恩典が停止され、いわゆる”学徒出陣”でもって、にわかに軍人になった。 私にも人生の設計があった。しかしそれらは一挙に雲散霧消した。本来人間は自由に選択しつつ自分の一生を送りうると思い込んでいたのだが、国家が自分の人生をさらってしまった。誰が国家にそんな機能を付与したのだろうと思った時、憲法に徴兵の義務がある、ということを、今更のように気づいた。
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先日、『この国のかたち』を読んでいて、改めて徴兵制について考えさせられました。

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リヤカーを引き徒歩で日本一周の旅人・鈴木康吉さん、その後の現況(8)

前回に続き、鈴木康吉さんの中学生時代の友人である女性「U・Kさん」からの8回目のレポートを下記に記します。

今回は、9月3日(小泊道の駅~高山稲荷神社近く)~9月23日(寺泊みなと公園~柏崎海岸公園)までの記録です。

あと、一月ぐらいで、北海道を含む東日本の行工程が終了するとのことです。鈴木さん、長い旅にもかかわらず、お元気そうです。本当にその頑張りには驚かされます。

鈴木さんの更なる旅の、安全、成功をお祈りします。

前回の記事は⇒ここをクリック

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八木芳昭様

お変わりございませんか。
またお世話になります。


♪折々そそぐ秋の雨♪、、、歌の如く、ひと雨ごとに秋の気配を感じつつ、青森~秋田~山形~新潟と進み、明日9月27日はいよいよ富山入りです。

毎日元気な声が飛び込んで来るのが日課になりました。後ひと月くらいで「日課」が終わるのをちょっと淋しく思い始めているこの頃です。

北海道を含む東日本行程が終了予定だからです。


よろしくお願いいたします。

                                 
(U・K)

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9月3日(小泊道の駅~高山稲荷神社近く)

十三湖を目指しての朝、小泊のサークルKで食料を買い込む。仕事に行く前の人達がリヤカーの周りに集まり、懇談。車から手を振ってくれる人もいる。勿論それには手を振って応える。見えない糸が心の距離を縮める。
 
十三湖でシジミ汁2杯、美味なり。近くでたき火をしていた人に教えられた農道を進み、高山稲荷神社近くの公園で野宿。風がキツく150M先の海岸では寝られない。

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9月4日(高山稲荷神社近くの公園~陸奥赤石駅)

いよいよ五能線に沿って南下。鯵ヶ沢で元気な自転車に乗ったおねえちゃんに声を掛けられた。龍飛岬からやって来たと言う。愛知県出身?えっ、どこや?田原市です。そうかっ、わしは大府じゃ。と言うことで、親戚にでも会ったかのように喜び合った。故郷遠く離れて同郷の人を会うと不思議とすべてが解放弦になる。

昼過ぎリンゴ4つ200円で買ったら、1個おまけしてくれた。しばらくして軽トラックが追いかけて来て「これ、持って行け!」、、、大きなメロン。さあて、ナイフもスプーンも持ってないから、どうして食べたらいいか考えてくれとのこと。叩き付けて割ってほおばるしかないんじゃい?って答えたけど、正しかったかしら?

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9月6日(深浦駅~大間越駅)

黄金崎不老不死温泉、疲れと汗を流す。褐色の49度の温泉、カルシウムや鉄分などのミネラルが多い食塩泉。十二湖には15時着。リヤカーを置いて空身で青池を目指す。以前観光バスできた時はわずか100mほどと思っていたが、なんと一時間の歩き。大間越に着く頃には雨。ここら辺にもクマゲラがいるとの看板。
 
周りには何軒か立派なお屋敷のような家がある。昔はどんな村だったんだろうか。30㌔の歩きは伊勢から久居まで、、、伊勢の人間は誰も歩いて久居まで行かんわなあっと考えはじめたら、足が重くなって来た。一目散にひたすら歩いていた自分を忘れ始めたみたい。邪念が入ったらいかんのー、疲れるわぁ。明日はいよいよ秋田県能代、心機一転、行きますわ。

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9月7日(秋田県)(大間越駅~能代3㌔手前の道の駅)

スマホを充電してたら、道の駅の食堂に出勤してきた女性、秋田小町か秋田おばこか?そうだ!煌めいた!メロンの解決法が、、、包丁で切ってもらって仲良く3人で食べましたとさ。やるじゃん!
 
秋田には「ナマハゲもいるでよー。気をつけろ」って、一愛読者より声がかかった。能代まであと3㌔、風もキツくなり、今夜はこの道の駅の芝生で野宿。店長さんが「ぶどう」「なし」「カボチャのてんぷら」を差し入れてくれた。明日は能代の「風の松原」を通り、宇宙研究所ロケット実験場を見てみる。

小学2年生の頃、ロケットを作って遊んだ。鉛筆のアルミのキャップに、セルロイドの下敷きを小さく切ったのを詰め込み、口を石でつぶすんだ。それにマッチで火をつけると、よう飛んだ。どこへ飛ぶか分からんから怖かったけど、実に面白かった。割と長い時間飛んだ。宮川の堤でのお話。だから糸川博士よりわしのほうがロケット実験開始は早かった。へえぇー、知らんかったぁ。科学少年だったのね、康吉くんは。

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9月8日(能代3㌔手前の道の駅~宮沢海岸)

18:45、ちょうど夕日の写真を撮っている時、警官に話しかけられた。ちょっと代わって応えてほしいとの要請に筆者びっくり!「秋田県警です。鈴木さんは今、宮沢海岸に居て、無事です。この先山形の方へ向かわれます。中学校のお友達ですか?、、、夢を実行するために歩いて見えるとか、、、無事でいますから安心して下さい」秋田のイントネーションが受話器を通してやさしさ、温かさに変わり、漂ってくる。
 
若い感じのお巡りさんだった。一応職務というけど、本当は興味津々で話しかけて来たんじゃないかな。

男鹿半島付近は砂地、花崗岩できた砂地。水はけが良過ぎて米がとれないので八郎潟を埋めたんだなあ。能代の「風の松原」は防砂林で樹齢130年余の松林だった。二人の話が弾んで、明日は足取り軽く歩けそうだ。ありがとう。おやすみ! 

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9月10日(男鹿半島旅館つばき~赤神神社五社堂)

前日は入道崎灯台、夜はナマハゲの実演を見た。一日中降ったりやんだり。県道59号線には、信号無ぇ、自販機無ぇ、コンビニなんてあるわけ無ぇ。この辺には電柱が無ぇ。車それほど通っ無ぇ。この日は巡査廻って無ぇ。猿でも鹿でも出て来いや!そんな一日。ナマハゲ街道がメインなんだ。だが、私はなんたって「沿岸派」だ。

旅行案内にも載ってる五社堂を訪ねた。麓にリヤカーを置いて、999段の石段をのぼった所にある。メールは通じない。電話は通じる。食べ物はみかん、桃、マンゴの缶詰だけ。午後3時くらい、後から登ってきた人に声掛けられた。

宇都宮からの旅人、昭和20年生まれ。話をしてたら、感激したと言って涙を流された。こんなのは初めてだ。明日は潮瀬崎のゴジラ岩へ、そのあと寒風山目指します。

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9月11日(五社堂~脇本駅)

脇本駅の駐輪場にリヤカーを置き、頂上付近に雨雲の帽子をかぶった寒風山を目指す。空身で1時間20分ほどで360度の展望が望める頂上に着く。355Mのなだらかな山、奈良の若草山を思い出して、芝生の山を直線的に登ってみた。ふうふう言いながらでも、登れた。すると、ご褒美のような一瞬の晴れ間。虹が出迎えてくれた。
 
入道崎は見えなかったけど、八郎潟の埋め立て、秋田港の遠景、黄金色の稲穂が頭を垂れてる「秋」が飛び込んできた。大満足の寒風山だった。下山後スーパーで、幕の内弁当、カツ丼、海鮮丼など5つ買う。雨が降っていたので、店内で一気に2つの弁当を平らげたら、おばさんがびっくらしてた。今夜は脇本駅駐輪場にテントを張って野宿。

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9月14日(道川~西目湯っ娘ランド道の駅)

羽後亀田駅へ。12時着。松本清張「砂の器」のキーワードの駅。50歳過ぎの男性に呼び止められた。江戸時代、この付近を伊能忠敬が測量のため通り、本荘の資料館に資料があるとのこと。郷土史に興味のある人だと思った。
 
(1804年6/1、第3次測量でお付き6人と能代ー男鹿半島ー本荘ー酒田と廻っている。筆者調べ)しばらく行くと7号線で測量の人達10人ほどが出迎えてくれた。50歳過ぎの人も測量士で、仲間に「リヤカー」が来ると先回りして連絡してたらしい。驚いたなあ。

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9月15日(山形県)(西目湯っ娘ランド道の駅~吹浦駅)

秋晴れの一日。日本海側には雲一つなし、左前方の鳥海山には厚い雲がかかってる。羽後本線の女鹿(めが)駅はもう山形県。秋田を8日で通過した。

海岸線を行き、絶景の夕日を撮るのも一案、五百羅漢もあるとの案内板もある。ちょっと迷った。日中の歩きで喉がしきりに冷たいビール、冷たいビールと懇願してる。その声がだんだん大きくなってきた。幸か不幸か、ちょうど通りかかったおばちゃんに「冷たいビールを売ってる所は近くにないか?」と尋ねたら「ちょっと歩けば吹浦駅近くにAコープがある」という。
 
いつの間にか「喉の声」が「天の声」になり、Aコープへ一目散。吹浦駅には必要三条件がすべて有り、大満足だ。着いたのが17時半。だんだん日没が早くなった。同い年くらいのおじさんが康吉君の姿を見て「俺もやりたいなあ。今年やろうかなあ。やるなら自転車だけど、なあ」「ゆっくり春まで考えて、人生悔いを残こすなよ」って康吉君。「自分の姿がおじさんの夢の後押しになれば、いいがなあ」

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9月16日(吹浦駅~R112浜中海水浴場)

22時台の終電のあと、駅構内にテントを張る。3時頃、オリオン座を発見。いよいよ季節が変わり始めてる事を実感する。

早朝撤収してると目の前の旅館から泊まり客が出て来た。80歳代で何人かでグループをつくり、日本沿岸を歩いてると言う。同じ目的のご仁と話が盛り上がった。彼はこの区域担当だ。何人かが集まれば伊能忠敬になれるのかと、、、

それを康吉君は一人でやってる!すごい!

夕方近く、一人の青年と遭遇。酒田出身で旅をして、自宅にあと8㌔のところでバイクがパンク。エンジン掛けて引っ張って行くしかないとあきらめ顔。北海道で康吉君に会ったと言う。旅の最後の日にまた「リヤカーの康吉君」に偶然出会えて、ほんとにうれしい!パンクのおかげだと喜んでいた。康吉君の動静はブログですべて知ってるとの事。(八木さんのブログのおかげかな?)

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9月19日(桑川駅~坂町駅)

新潟県に入り二日目、天気にいじめられた一日だった。スコールのように雨が降ったかと思うと真っ青な空が見え、またざーっと降って来る。着替えてまた濡れて、最後には着替えが無くなった。旅立ち時のズボンを引っ張り出してはくが、腰回りがげんこつ二つ分細くなっていて役に立たん。

瀬波温泉、たこ焼きを食べながら、足湯を楽しんだ。もう村上市だ。百川の橋から鮭か?ますか?10匹ほどが遡上してた。農道に近い道筋に銀杏の木を発見。ギンナンがたくさん落ちていた。少し行くと大きな栗の木が二本。交配のためか、昔の人は二本植えろと言ったが、その通りの二本。大きなつややかな実がイガから顔を出して落ちている。
 
収穫の秋を体験。初めてコオホネと思われる植物を見た。緩やかな流れの中、スクッと真っすぐに茎を出し、ちいさな黄色の花を付けている。坂町駅からちょっと離れた自転車置き場でテント張る。ベッド代わりのベニヤが濡れて、どうもいかん。

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9月21日(黒山駅~寺尾中央公園)

阿賀野川、川幅がべらぼうに広く、ゆったりと流れてる。利根川以上だ。途中食料は3日分しっかりとゲット。16時半に寺尾駅着。エレベーター付きの立派な駅で野宿には適さない。寺尾駅の位置は海側からもR116からもこう配30度くらいのえらい坂で往生したわ。はあー!稚内公園でもそうだったなあ。あの時はリヤカーを残して空身で行ったけどなあ。

それにまた今日は踏切を探すのに苦労。秋田駅のあっちへウロウロ、こっちへウロウロを思い出した。一時間半ほど探しまわってようやく中央公園へ。犬の散歩コースらしい。周りは住宅がびっしり。大きな公園でトイレはあるが汚いし、電源なし。

朝と夕方、「伊能忠敬」の絵がすごい効力を発揮した。丁寧に描いてつくづくよかったと思った。というのも、地元のこうるさそうなおっちゃんが、「赤いテントのこの男は何者だ」と不審に思って近寄ってくるが、リヤカーをぐるりを廻ると、その顔つきが全く異なり、話しかけてきて、揚句の果てに激励してくれる。忠敬様様ですわ。はあー!「一晩おせわになります」とこちらから声を掛けることにしている。この効果も大。

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9月23日(寺泊みなと公園~柏崎海岸公園)

さすが昨日の疲れが足にきて、歩きが重かった。5:30テントなど片付け始める。近くに車で寝泊まりしてる人と挨拶。魚津市の加藤さん。康吉君とリヤカーに興味を示し、動画で撮りたいという。OKを出すと、撤収作業からリヤカーの中身など撮影。名前に年齢など全くどこかの県警の職質と同じ。テレビ局へ持ち込みたいとも言ってた。はい、どうぞ、と許可。

歩きやすい道で出雲崎を通り越し、刈羽原発を右に見て、柏崎まできてしまった。
 
途中30歳代の男性がオートバイを止めて待っていた。青森の2カ所で、おばあさんから「リヤカーの康吉君」の話を聞いた。あなたでしたか?と感激していた。青森のばばあ?だれじゃ?話掛けるのはだいたいばばあばかりだから、誰だろうなあ?

良寛さんも山頭火も佐渡が見えなかったとのこと。私も霞んで見えなかった。芭蕉は見えたのかな?

柏崎に入るとスーパー2カ所あり。「タコのぶつ切り、肉じゃが、アジのフライ」が夕食。

ちょっと飛ばし気味だから、親不知の難所のために体力温存、なるべくトラックなどの交通量を考慮すると日曜日(9/27)に親不知を越えて行きたい。 

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2015年9月21日 (月)

国家主義思想を増長させないために!!

民意を無視し、更にそれを蹂躙した悪い政治家を国会へ送り出したのは、悪徳政治家の本質を知らないで投票した、または投票しなかった善良な国民なのである。

今後予想される国家主義思想(国家権力の前に個人の自由を抑制)の増長に対し、国民一人一人がしっかりした意見を持ち続けることが必要である。

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2015年9月20日 (日)

現今の日本における構図

安倍自民党政権に反対すれば、左翼と見做されるので不安だと感じている人が多い。左翼としては中国共産党や北朝鮮共産党の独裁政権は存在するが、現今の日本では、左翼対右翼という古い概念に基づく構図は存在しない。今や安倍右翼国家主義政権対立憲主義・民主主義を守る国民連合という構図です。

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2015年9月19日 (土)

アメリカ・バークレイ市議会が辺野古反対決議!

アメリカの良識ある人々が動き始めました!! 鬼のような心でなく、思いやりのあるやさしい人間の心をもっている人ならば、同じようなことを考えて頂けるでしよう。バークレイ市議会と同様な決議が全米に広がっていくことを祈るばかりです。

【ワシントン=問山栄恵本紙特派員】米カリフォルニア州のバークレー市議会は15日夜 - Yahoo!ニュース(琉球新報)
headlines.yahoo.co.jp

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立憲主義・民主主義・平和主義に基づく大同団結によって国民連合による政党を!

安保法案が強行採決されました。前回選挙で僅か20%台の得票数にもかかわらず80%もの不法な多数の議席を得た自民党安倍政権によってです。民意を反映した政権だとは多くの人が思っていないでしよう。それが、そういうことも考えずに全てが、自分らに全てが任された、国民は黙っておけというような態度であり続けた政権を許す訳にいかないですね。

今回の安保法に対しては、憲法を都合よく変えて法制化に突き進むのは立憲主義の否定であるという意見が、国民や憲法学者、元最高裁判所判事などの多数の人々によって示されました。街ではSEALDSやママの会などが立ち上がりました。

最近の安保法案を巡る攻防は、左翼対右翼という古い概念に基づく構図でなく、安倍・右翼国家主義政権に対する、立憲主義・民主主義・平和主義を守る国民連合という構図である思っています。歴代の良心も併せもった自民党政権とは少し様子の異なった政権なのです。これからもこのような構図が続くと思います。...

中国の脅威や北朝鮮の脅威については、みんな同じように感じられていると思います。然しながら武力によって抑止力を生み出すという説明は説得性に欠けます。武力は武力を生みます。日本は専守防衛に専念すべきで、外国まで行って戦争すべきではありません。
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今後、安保法案を是正するか廃案にする必要があります。そのためには、右翼的国家主義に傾斜した安倍政権に対抗して、新しい立憲主義・民主主義・平和主義に基づく政党を早急に立ち上げて欲しいと思います。現政権がこのまま続くと、ファシズムに走る怖れがないとは言い切れません。これだけは絶対に阻止しなければなりません。

それには民主党、維新の党などが一旦解党して、大同小異の基に新しい党名での発足がいいのではないかと思います。今日本には懸案が山積みです。この安保法、原発再稼働問題、沖縄基地問題、労働者派遣法などなど。早く手を打つことが必要です。

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2015年9月11日 (金)

箕瀧案ニュース第1号 発行

私が所属している箕面滝道にあるアンテナショップ箕瀧案では、かねてから定期的に情報を発信することが課題でしたが、この程、「箕瀧案ニュース第1号」を発行しました!!

「箕瀧案ニュース」は今後、3ヶ月に一度、春、夏、秋、冬の4シーズン毎に発行する予定です。

私が中心となって作成し、皆様のご協力を得て完成しました。...
ワードで作成。印刷はネット上のサービス会社に依頼しました。
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第1号となる今回の掲載内容は次の通りです。

★お奨め商品(新商品・人気商品):
*ゆずかりんとう饅頭  *ゆずるコロッケ 
*鹿皮 ゆずるグッズ

★トピックス
*メガドンキー箕面店に箕面特産コーナー誕生!
*ゆるキャラグランプリ2015「滝の道ゆずる」をよろしく
*柚子関連商品を紹介する、外国語パンフレットができました。
    (英語・中国語・韓国語・タイ語)

★箕面滝道 9月~11月の主なイベント・自然・歴史・文化
*自然工作を楽しもう!(9/6,10/4,11/1)
              (箕面滝道ふれあい広場)
*昆虫館・オータムフェスタ(9/22,11/29)(昆虫館)
*平成のぞきからくり(9/22,11/7)(箕面滝道ふれあい広場)
*箕面富(瀧安寺)(10/10)
*天狗祭(西江寺)(10/15,16)
*大護摩供(瀧安寺)(11/7)
*箕面の紅葉観賞(11/中旬~11/下旬)
★箕面の植物

★箕面の歴史(箕面を訪れた人々:第1回:野口英世)

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2015年9月 4日 (金)

リヤカーを引き徒歩で日本一周の旅人・鈴木康吉さん、その後の現況(7)

前回に続き、鈴木康吉さんの中学生時代の友人である女性「U・Kさん」からの7回目のレポートを下記に記します。

今回は、8月14日(島牧村~弁慶岬)~9月1日(竜飛岬)までの記録です。

鈴木さんの更なる旅の、安全、成功をお祈りします。

前回の記事は⇒ここをクリック

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鈴木康吉君からのリヤカーで日本一周のレポート、送付します。宜しくお願いいたします。

2ヶ月半、北海道一周が終わりました。感謝の毎日だったようです。追っかけ女といたしまして、話を聞いているうちに、いつの間にか未踏の地を一緒に歩いている錯覚に陥るような夏を過ごしました。毎晩定期連絡に合わせての生活・・・夕食を終え、ケイタイ片手にパソコンの前でスタンバイという生活・・・になってもいました。               (U・K)

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8月14日(島牧村~弁慶岬)

R229を瀬棚町への途上、「明け方から腹、壊して、声も出んだわぁ。どうなる事かと思った。足に力が入りませんわ、、、ちょっとは回復してる気がする。まあ、このまま行ける所まで行きますわ。予定の半分だなっ」、、、以後連絡がとれない。一日中連絡不能。

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8月15日(弁慶岬~瀬棚町)

朝、いつもの声が飛び込んできた。自分の体は伏しているより動いてる方が治るように出来てるらしいとのこと。まあ、お丈夫な事!不調を来したわけはしばらく言わなかったが、あとでこっそりと教えてくれた。紙面では伏せといてあげる、友達だから。

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8月17日(乙部町へ)

トンネルたくさん、ヘビもたくさん。マムシも草むらにいるので、道の海岸側を歩く。橋の上から50~60㌢の桜ますを見た。はまなすの実が赤くなって来てるが、まだ食べ頃ではない。8月から10月ごろ実り、果実は弱い甘みと酸味、ビタミンCがたっぷり。今日はおじさんが巨峰をくれた。これが今夜のデザート。おばさんは「アメルから、早く食べろ」っておにぎりをくれた。「アメル」? 伊勢の言葉だあ。

最近気付いた事、「おはよう」と挨拶したら、何かくれる。托鉢してるみたい。この方程式、だれか解いてください。今夜は大きなトイレの縁側で寝る。あたかも高床式だわ。コンセントはちょっと隠れた所に有り、、もちろん確認済み。グッドナイト!

(親小熊)

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8月18日(乙部温泉~上ノ国道の駅)

一日中、雨。帽子のてっぺんがぼろぼろになり使い物にならん。帽子、、、襟裳岬の風で行方不明になったのが6月26日。運良く忘れ物の帽子をいただけたのが白糠駅近くのホテルまつや、7月2日、、雨よけのひさしにどうしても帽子が要るので、朝から不得意な繕い物。出来上がったのが9時。アップダウンの道を江差町へ。ケイタイの電波が弱い地域だった。

江差は歌で有名だけど寂れ始めてる町。鉄道が廃止され町の賑わいもいまいち。江差から12㌔。沈没船の慰霊碑のある所で野宿。さっき狐が食物をあさりにやって来た。汗臭い衣類まで持ち去って、どろどろにされた。いよいよリヤカーのタイヤがいかれて来た。様似で交換したほうがやられて来た。なんとか函館まで保ってほしい。

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8月22日(木古内~北斗市)

台風のような雨で向かい風。気になっていたタイヤがまたパンク。北海道最後の日になんという事じゃ。もう一本の疲れたタイヤから糸が出て来ている。この雨では接着剤が着かず、修理もできない。タイヤがなければ、万事休すだ。7㌔ ほど歩いた所の木古内(きこない)のスーパーで買い物。若い女の子に「自転車屋はないか?」。村で一軒の自転車屋を教えてくれた。運良く一本のタイヤの在庫があった。うれしかった。天はまだわしを見放さなかったとつくづく思った。

木古内の公園で充電と洗濯。江差線に沿って歩いた。食料欠乏につき、コンビニ、コンビニと念じながら歩き、とうとう北斗市まで来てしまった。

函館まであと10㌔。格好の場所があり、野宿。目の前の湾の向こうにすごいギラギラの光がみえるけど、なんじゃ?函館の街の灯よ、康吉君。何日ぶりだろう。青函連絡船が往来する函館湾の向こうに煌めく灯りは北海道一周完了の金メダル。おめでとう。

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8月23日(北斗市~函館~大間)

北海道の最後の朝、曇っていて日の出は撮れなかった。8:45フェリ-乗り場着。リヤカーを駐車場において、空身で函館山の伊能忠敬測量地碑へ。1800年(寛政12)蝦夷地に渡航し、観測にあたった時の起点。途中公園の楓の木がなっなっなんとおもしろい!人面木(写メ参照)最後のサプライズかな? いやっ、犬も歩けば、、、だっ!11:30立待岬。16:30発の大函丸乗船までスマホの充電、乗船中も充電。

大間港には18時着。一仕事終えて帰って来たって感じ。大間フェリー乗り場の職員が覚えていてくれた。はあ、うれしかったのぅ。日が暮れるのが本当に早くなり、野宿場所を探すのが億劫になり、警察の前に決定。6時過ぎたのでスーパーも半値。寿司を買った。大間に戻り、つくづく北海道は物価が高いことを実感。

「暗(やみ)より明けし北海の 空光明のおとずれよ」と今年の甲子園出場校の校歌にも歌われてる光景を何度見ただろうか。未知への不安と期待が入り交じった緊張をほぐすかの如く大きく一歩を函館の地に踏み入れて早や75日目、両の手に持ちきれないほどの見知らぬ人達からの温情と、故郷からの応援に支えれて、無事津軽海峡を大間へ。
 
 

一番の思い出の景色は、7月23日、浜頓別と枝幸の中間にある北見神威岬。疲れた足を歩幅を狭め登り切った峠道、目の前に三角の山が三つ連なって裾に白い霞をまとったあの景色が現れたときは、本当に神様が住んでる山と思ったほどだった。

折しも27年間走り続けた寝台特急ブルトレ「北斗星」が終点の上野駅に到着。各地を結んだブルトレの歴史は終わったけど、康吉君の旅はまだまだ、、、さあ、明日は仏が浦だ。がんばりますっ!

人面木(かえで)

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8月26日(流汗台の山上~川内町)

やっとケイタイの状態良好になり連絡あり。昨日は山また山を越え、わきのさわ道の駅。野宿の場所を聞けば、この先に見晴らし台があるとのこと。一時間半、4、5㌔ほどを登りに登った。むつ湾の絶景ポイントまで来た。が、天気が悪くなり、おまけに強風ときた。テントが揺れ、体ごと持って行かれそうになる。一睡もしないまま起き、下り始めた。下る事14㌔、向かい風で苦労した。下りと言っても急坂で、リヤカーを押さえ支えながらだから、往生した。知床峠よりしんどかった。

川内町に入って「おはよう」。そのおばあさん、「歳は?」「73歳だ」と康吉君。「わしも午年じゃ。同い年だ」。小さい手押し車を押し、二つ折れになった腰をささえながら、細い首をあげて笑った。途中道や崖でドングリを食べてる猿の群れにいくつか出会った。こちらの猿は体つきが小さい。昼過ぎには雨に変わり、食料求めて歩き続けた。非常食がいつの間にか底をつき、猿たちもそれが分かってるのか寄っても来ないわ。はっはっはっ!

願掛け岩(男岩と女岩)

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8月27日(川内町~金谷沢駅)

さすが昨日の山の疲れが足にきて、重かった。大湊町の航空自衛隊を過ぎた道路でうろうろしているカモシカに遭遇。人間に驚かないので飼育されてるのかと思ったほど。地元民に聞くとよく出るそうな。更に目を陸奥湾に転じると野付半島に劣らない「砂嘴」が横たわっていた。すれ違ったパトカーが戻って来て、職務質問を受けた。聞くだけ聞いてなぜ職質をするか理由は言わない。「40㌔の山道を越えて来たんだぞ。やってみるか?」と逆に質問をしたら、「気をつけて」と行ってしまった。北海道のパトカーは、車が猛スピードで通るので「気をつけて」と黄色いテープをくれたけどのー。

疲れている時は、話をするといっぺんに疲れがエネルギーに変わる。鮨を買ってスーパーで充電しながら食べてると、男女いろいろな人が話しかけてくる。特に歩きに興味のある人が話しかけてくる。どれだけ自分の話が役に立つか知らんが、昔女優の和泉雅子が北極を制覇し、帰って来たあの笑顔に刺激を受けて、よしっ、自分もやってみようと思ったように、自分の体験談が何かのきっかけになればと思う。大湊町までは海抜4㌔から24㌔の坂道がなんどもあった。それ以後は歩きやすい道。金谷沢駅の前に老朽化した生活改善センターがあり、ちょうどコンセントもあるので、今夜はここで野宿。コンセントは必須条件ですわ。

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8月31日(津軽線蓮谷駅~弁天崎)

弁天崎で野宿。ここからは今まで歩いて来た下北半島の佐井が見える。佐井から続く険しい山々。仏ケ浦からわきのさわ道の駅、間違って歩いた川内湖までの10㌔、勧められて登った山の天辺での強風、、、我ながらよく越えてきたもんだと呆れるほどの急峻な連山が、平館海峡を隔てて見える。左に目を転じれば、北海道の福島町、ちょうど海峡線が海へ潜る所。

平館灯台で出会った東京からの来た自転車のおねえちゃんが竜飛岬からの道は大変だと教えてくれた。下北を越えて来たんだという自信がその言葉を静かに否定する。

駅で札幌に帰るお兄ちゃんから「もう、要らないから」と言って、青森県の地図をもらう。彼は新幹線の切符を紛失し、市役所でお金を借りてこれから帰るところ。全図で見ると位置関係が分かり、こんな風に歩いて来たのかと他人事のように感心する。・・・毎度思うのですが、よーく地図も持たずに歩けますね。あんたは天才ですよーーー。

平館灯台

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9月1日(竜飛岬)

午後5時過ぎに竜飛岬着。階段国道も竜飛岬灯台も行って来た。R339沿いで野宿。今夜は十六夜、星は見えない。途中コンビニでお茶とビールを調達。水は湧き水や清水がある。今別を過ぎるとまた道路は波のようにうねり始めた。途中漁師の店の前を通るとちょうどスイカを切ったところだから食べていけって声かけられ、遠慮なくいただきましたわ。

そこへメロンを持った旅人が「これも切って下さい」と入って来て、さらに上等なメロンまでごちそうになりましたわ。漁師のご亭主が生のイカをくれると言うので火の気は持参してない事を言うと、女将さんがすぐ焼きイカにしてくれました。ありがたいのー!今夜のつまみは焼きイカ。腰回りが細くなった分、昨日ひとやすみをしていた大工に道具を借りて、ベルトに2つ穴を作ったとのこと。明日からは本当の南下です。

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人文科学の必要性

文部科学省が全国の国立大学人文科学系の学部や大学院の縮小ないしは廃止を促したのに対し、日本学術会議が7月、反対声明を出した。このことに関して、跡見学園女子大学教授の奥田洋子さんが意見を述べられている。もっともな意見である、共感を覚えた。

奥田さんは、次の様に、外国の識者の話を引用され、論じられている。...
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文学は、人間という存在への洞察に満ちた、言葉による芸術である。これに関して、英国の作家カズオ・イシグロ氏は「小説とは、情緒を伝えるものである」と。
また、米国の認知学者パトリック・ホーガン氏は、文学がどのように読者の感情を揺さぶるのかを論じている。「作家は、作中人物の微妙な情緒をつぶさに描写し、かつ共感や慈しみなどを読み手の心の中に引き起こす。時として、不快な感情を与えることもある。そんな時は、気持ちを直ぐに立て直すしなやかさも生み出すのである」と。
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そして、グローバル化に伴う異文化間の摩擦がクローズアップされる中、衝突を避けるために寛容性、言いかえると「情緒的な成熟」が求められている。そんな時代だからこそ、文学を学ぶことの意義は大きい。

奥田さんは、更に次のようなことも述べている。
文学は初読では終わらせないで、再読しながら作品を分析する方がいい。更に、作品の意味や魅力、あるいは解釈などをまとめ、人に伝えることを御奨めする。それによって作品を読み取る感性と論理を組み立てる能力が養える。何故ならば文学作品はもともと論理的に書かれているわけではないからである。逆説的だが、だからこそ文学は思考力を鍛える力を秘めている。
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人間社会は、工学や理学のような実用的な科学技術だけでなく、文学、哲学、歴史の様な人文科学があってこそ調和のとれた発展ができるということなのである。

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自民党の本質

まるで戦時中の大政翼賛会の様だ。
自民党総裁選は安倍首相が無投票で再選される見込みである。というのは、無投票でないと、安保法案(戦争法案)の審議に影響が出るので、他の候補者の立候補を取り止めさせようと躍起になっている。

野田聖子氏は立候補の意志あるも推薦人20名の獲得を目指すも苦戦中。
安倍側近による野田つぶしが激しさを増している。

自民党というのは本当に堕落した、悲しい政党だ。安倍首相に対抗して正々堂々と自分の意見を述べる矜持をもった人物が一人もいないとは。

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