リヤカーを引き徒歩で日本一周の旅人・鈴木康吉さん、その後の現況(7)
前回に続き、鈴木康吉さんの中学生時代の友人である女性「U・Kさん」からの7回目のレポートを下記に記します。
今回は、8月14日(島牧村~弁慶岬)~9月1日(竜飛岬)までの記録です。
鈴木さんの更なる旅の、安全、成功をお祈りします。
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鈴木康吉君からのリヤカーで日本一周のレポート、送付します。宜しくお願いいたします。
2ヶ月半、北海道一周が終わりました。感謝の毎日だったようです。追っかけ女といたしまして、話を聞いているうちに、いつの間にか未踏の地を一緒に歩いている錯覚に陥るような夏を過ごしました。毎晩定期連絡に合わせての生活・・・夕食を終え、ケイタイ片手にパソコンの前でスタンバイという生活・・・になってもいました。 (U・K)
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8月14日(島牧村~弁慶岬)
R229を瀬棚町への途上、「明け方から腹、壊して、声も出んだわぁ。どうなる事かと思った。足に力が入りませんわ、、、ちょっとは回復してる気がする。まあ、このまま行ける所まで行きますわ。予定の半分だなっ」、、、以後連絡がとれない。一日中連絡不能。
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8月15日(弁慶岬~瀬棚町)
朝、いつもの声が飛び込んできた。自分の体は伏しているより動いてる方が治るように出来てるらしいとのこと。まあ、お丈夫な事!不調を来したわけはしばらく言わなかったが、あとでこっそりと教えてくれた。紙面では伏せといてあげる、友達だから。
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8月17日(乙部町へ)
トンネルたくさん、ヘビもたくさん。マムシも草むらにいるので、道の海岸側を歩く。橋の上から50~60㌢の桜ますを見た。はまなすの実が赤くなって来てるが、まだ食べ頃ではない。8月から10月ごろ実り、果実は弱い甘みと酸味、ビタミンCがたっぷり。今日はおじさんが巨峰をくれた。これが今夜のデザート。おばさんは「アメルから、早く食べろ」っておにぎりをくれた。「アメル」? 伊勢の言葉だあ。
最近気付いた事、「おはよう」と挨拶したら、何かくれる。托鉢してるみたい。この方程式、だれか解いてください。今夜は大きなトイレの縁側で寝る。あたかも高床式だわ。コンセントはちょっと隠れた所に有り、、もちろん確認済み。グッドナイト!
(親小熊)
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8月18日(乙部温泉~上ノ国道の駅)
一日中、雨。帽子のてっぺんがぼろぼろになり使い物にならん。帽子、、、襟裳岬の風で行方不明になったのが6月26日。運良く忘れ物の帽子をいただけたのが白糠駅近くのホテルまつや、7月2日、、雨よけのひさしにどうしても帽子が要るので、朝から不得意な繕い物。出来上がったのが9時。アップダウンの道を江差町へ。ケイタイの電波が弱い地域だった。
江差は歌で有名だけど寂れ始めてる町。鉄道が廃止され町の賑わいもいまいち。江差から12㌔。沈没船の慰霊碑のある所で野宿。さっき狐が食物をあさりにやって来た。汗臭い衣類まで持ち去って、どろどろにされた。いよいよリヤカーのタイヤがいかれて来た。様似で交換したほうがやられて来た。なんとか函館まで保ってほしい。
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8月22日(木古内~北斗市)
台風のような雨で向かい風。気になっていたタイヤがまたパンク。北海道最後の日になんという事じゃ。もう一本の疲れたタイヤから糸が出て来ている。この雨では接着剤が着かず、修理もできない。タイヤがなければ、万事休すだ。7㌔ ほど歩いた所の木古内(きこない)のスーパーで買い物。若い女の子に「自転車屋はないか?」。村で一軒の自転車屋を教えてくれた。運良く一本のタイヤの在庫があった。うれしかった。天はまだわしを見放さなかったとつくづく思った。
木古内の公園で充電と洗濯。江差線に沿って歩いた。食料欠乏につき、コンビニ、コンビニと念じながら歩き、とうとう北斗市まで来てしまった。
函館まであと10㌔。格好の場所があり、野宿。目の前の湾の向こうにすごいギラギラの光がみえるけど、なんじゃ?函館の街の灯よ、康吉君。何日ぶりだろう。青函連絡船が往来する函館湾の向こうに煌めく灯りは北海道一周完了の金メダル。おめでとう。
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8月23日(北斗市~函館~大間)
北海道の最後の朝、曇っていて日の出は撮れなかった。8:45フェリ-乗り場着。リヤカーを駐車場において、空身で函館山の伊能忠敬測量地碑へ。1800年(寛政12)蝦夷地に渡航し、観測にあたった時の起点。途中公園の楓の木がなっなっなんとおもしろい!人面木(写メ参照)最後のサプライズかな? いやっ、犬も歩けば、、、だっ!11:30立待岬。16:30発の大函丸乗船までスマホの充電、乗船中も充電。
大間港には18時着。一仕事終えて帰って来たって感じ。大間フェリー乗り場の職員が覚えていてくれた。はあ、うれしかったのぅ。日が暮れるのが本当に早くなり、野宿場所を探すのが億劫になり、警察の前に決定。6時過ぎたのでスーパーも半値。寿司を買った。大間に戻り、つくづく北海道は物価が高いことを実感。
「暗(やみ)より明けし北海の 空光明のおとずれよ」と今年の甲子園出場校の校歌にも歌われてる光景を何度見ただろうか。未知への不安と期待が入り交じった緊張をほぐすかの如く大きく一歩を函館の地に踏み入れて早や75日目、両の手に持ちきれないほどの見知らぬ人達からの温情と、故郷からの応援に支えれて、無事津軽海峡を大間へ。
一番の思い出の景色は、7月23日、浜頓別と枝幸の中間にある北見神威岬。疲れた足を歩幅を狭め登り切った峠道、目の前に三角の山が三つ連なって裾に白い霞をまとったあの景色が現れたときは、本当に神様が住んでる山と思ったほどだった。
折しも27年間走り続けた寝台特急ブルトレ「北斗星」が終点の上野駅に到着。各地を結んだブルトレの歴史は終わったけど、康吉君の旅はまだまだ、、、さあ、明日は仏が浦だ。がんばりますっ!
人面木(かえで)
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8月26日(流汗台の山上~川内町)
やっとケイタイの状態良好になり連絡あり。昨日は山また山を越え、わきのさわ道の駅。野宿の場所を聞けば、この先に見晴らし台があるとのこと。一時間半、4、5㌔ほどを登りに登った。むつ湾の絶景ポイントまで来た。が、天気が悪くなり、おまけに強風ときた。テントが揺れ、体ごと持って行かれそうになる。一睡もしないまま起き、下り始めた。下る事14㌔、向かい風で苦労した。下りと言っても急坂で、リヤカーを押さえ支えながらだから、往生した。知床峠よりしんどかった。
川内町に入って「おはよう」。そのおばあさん、「歳は?」「73歳だ」と康吉君。「わしも午年じゃ。同い年だ」。小さい手押し車を押し、二つ折れになった腰をささえながら、細い首をあげて笑った。途中道や崖でドングリを食べてる猿の群れにいくつか出会った。こちらの猿は体つきが小さい。昼過ぎには雨に変わり、食料求めて歩き続けた。非常食がいつの間にか底をつき、猿たちもそれが分かってるのか寄っても来ないわ。はっはっはっ!
願掛け岩(男岩と女岩)
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8月27日(川内町~金谷沢駅)
さすが昨日の山の疲れが足にきて、重かった。大湊町の航空自衛隊を過ぎた道路でうろうろしているカモシカに遭遇。人間に驚かないので飼育されてるのかと思ったほど。地元民に聞くとよく出るそうな。更に目を陸奥湾に転じると野付半島に劣らない「砂嘴」が横たわっていた。すれ違ったパトカーが戻って来て、職務質問を受けた。聞くだけ聞いてなぜ職質をするか理由は言わない。「40㌔の山道を越えて来たんだぞ。やってみるか?」と逆に質問をしたら、「気をつけて」と行ってしまった。北海道のパトカーは、車が猛スピードで通るので「気をつけて」と黄色いテープをくれたけどのー。
疲れている時は、話をするといっぺんに疲れがエネルギーに変わる。鮨を買ってスーパーで充電しながら食べてると、男女いろいろな人が話しかけてくる。特に歩きに興味のある人が話しかけてくる。どれだけ自分の話が役に立つか知らんが、昔女優の和泉雅子が北極を制覇し、帰って来たあの笑顔に刺激を受けて、よしっ、自分もやってみようと思ったように、自分の体験談が何かのきっかけになればと思う。大湊町までは海抜4㌔から24㌔の坂道がなんどもあった。それ以後は歩きやすい道。金谷沢駅の前に老朽化した生活改善センターがあり、ちょうどコンセントもあるので、今夜はここで野宿。コンセントは必須条件ですわ。
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8月31日(津軽線蓮谷駅~弁天崎)
弁天崎で野宿。ここからは今まで歩いて来た下北半島の佐井が見える。佐井から続く険しい山々。仏ケ浦からわきのさわ道の駅、間違って歩いた川内湖までの10㌔、勧められて登った山の天辺での強風、、、我ながらよく越えてきたもんだと呆れるほどの急峻な連山が、平館海峡を隔てて見える。左に目を転じれば、北海道の福島町、ちょうど海峡線が海へ潜る所。
平館灯台で出会った東京からの来た自転車のおねえちゃんが竜飛岬からの道は大変だと教えてくれた。下北を越えて来たんだという自信がその言葉を静かに否定する。
駅で札幌に帰るお兄ちゃんから「もう、要らないから」と言って、青森県の地図をもらう。彼は新幹線の切符を紛失し、市役所でお金を借りてこれから帰るところ。全図で見ると位置関係が分かり、こんな風に歩いて来たのかと他人事のように感心する。・・・毎度思うのですが、よーく地図も持たずに歩けますね。あんたは天才ですよーーー。
平館灯台
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9月1日(竜飛岬)
午後5時過ぎに竜飛岬着。階段国道も竜飛岬灯台も行って来た。R339沿いで野宿。今夜は十六夜、星は見えない。途中コンビニでお茶とビールを調達。水は湧き水や清水がある。今別を過ぎるとまた道路は波のようにうねり始めた。途中漁師の店の前を通るとちょうどスイカを切ったところだから食べていけって声かけられ、遠慮なくいただきましたわ。
そこへメロンを持った旅人が「これも切って下さい」と入って来て、さらに上等なメロンまでごちそうになりましたわ。漁師のご亭主が生のイカをくれると言うので火の気は持参してない事を言うと、女将さんがすぐ焼きイカにしてくれました。ありがたいのー!今夜のつまみは焼きイカ。腰回りが細くなった分、昨日ひとやすみをしていた大工に道具を借りて、ベルトに2つ穴を作ったとのこと。明日からは本当の南下です。
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