« 国家主義思想を増長させないために!! | トップページ | 司馬遼太郎氏が語った徴兵の思い出 »

2015年9月29日 (火)

リヤカーを引き徒歩で日本一周の旅人・鈴木康吉さん、その後の現況(8)

前回に続き、鈴木康吉さんの中学生時代の友人である女性「U・Kさん」からの8回目のレポートを下記に記します。

今回は、9月3日(小泊道の駅~高山稲荷神社近く)~9月23日(寺泊みなと公園~柏崎海岸公園)までの記録です。

あと、一月ぐらいで、北海道を含む東日本の行工程が終了するとのことです。鈴木さん、長い旅にもかかわらず、お元気そうです。本当にその頑張りには驚かされます。

鈴木さんの更なる旅の、安全、成功をお祈りします。

前回の記事は⇒ここをクリック

========================

八木芳昭様

お変わりございませんか。
またお世話になります。


♪折々そそぐ秋の雨♪、、、歌の如く、ひと雨ごとに秋の気配を感じつつ、青森~秋田~山形~新潟と進み、明日9月27日はいよいよ富山入りです。

毎日元気な声が飛び込んで来るのが日課になりました。後ひと月くらいで「日課」が終わるのをちょっと淋しく思い始めているこの頃です。

北海道を含む東日本行程が終了予定だからです。


よろしくお願いいたします。

                                 
(U・K)

===================== 

9月3日(小泊道の駅~高山稲荷神社近く)

十三湖を目指しての朝、小泊のサークルKで食料を買い込む。仕事に行く前の人達がリヤカーの周りに集まり、懇談。車から手を振ってくれる人もいる。勿論それには手を振って応える。見えない糸が心の距離を縮める。
 
十三湖でシジミ汁2杯、美味なり。近くでたき火をしていた人に教えられた農道を進み、高山稲荷神社近くの公園で野宿。風がキツく150M先の海岸では寝られない。

=====================

9月4日(高山稲荷神社近くの公園~陸奥赤石駅)

いよいよ五能線に沿って南下。鯵ヶ沢で元気な自転車に乗ったおねえちゃんに声を掛けられた。龍飛岬からやって来たと言う。愛知県出身?えっ、どこや?田原市です。そうかっ、わしは大府じゃ。と言うことで、親戚にでも会ったかのように喜び合った。故郷遠く離れて同郷の人を会うと不思議とすべてが解放弦になる。

昼過ぎリンゴ4つ200円で買ったら、1個おまけしてくれた。しばらくして軽トラックが追いかけて来て「これ、持って行け!」、、、大きなメロン。さあて、ナイフもスプーンも持ってないから、どうして食べたらいいか考えてくれとのこと。叩き付けて割ってほおばるしかないんじゃい?って答えたけど、正しかったかしら?

=====================

9月6日(深浦駅~大間越駅)

黄金崎不老不死温泉、疲れと汗を流す。褐色の49度の温泉、カルシウムや鉄分などのミネラルが多い食塩泉。十二湖には15時着。リヤカーを置いて空身で青池を目指す。以前観光バスできた時はわずか100mほどと思っていたが、なんと一時間の歩き。大間越に着く頃には雨。ここら辺にもクマゲラがいるとの看板。
 
周りには何軒か立派なお屋敷のような家がある。昔はどんな村だったんだろうか。30㌔の歩きは伊勢から久居まで、、、伊勢の人間は誰も歩いて久居まで行かんわなあっと考えはじめたら、足が重くなって来た。一目散にひたすら歩いていた自分を忘れ始めたみたい。邪念が入ったらいかんのー、疲れるわぁ。明日はいよいよ秋田県能代、心機一転、行きますわ。

======================

9月7日(秋田県)(大間越駅~能代3㌔手前の道の駅)

スマホを充電してたら、道の駅の食堂に出勤してきた女性、秋田小町か秋田おばこか?そうだ!煌めいた!メロンの解決法が、、、包丁で切ってもらって仲良く3人で食べましたとさ。やるじゃん!
 
秋田には「ナマハゲもいるでよー。気をつけろ」って、一愛読者より声がかかった。能代まであと3㌔、風もキツくなり、今夜はこの道の駅の芝生で野宿。店長さんが「ぶどう」「なし」「カボチャのてんぷら」を差し入れてくれた。明日は能代の「風の松原」を通り、宇宙研究所ロケット実験場を見てみる。

小学2年生の頃、ロケットを作って遊んだ。鉛筆のアルミのキャップに、セルロイドの下敷きを小さく切ったのを詰め込み、口を石でつぶすんだ。それにマッチで火をつけると、よう飛んだ。どこへ飛ぶか分からんから怖かったけど、実に面白かった。割と長い時間飛んだ。宮川の堤でのお話。だから糸川博士よりわしのほうがロケット実験開始は早かった。へえぇー、知らんかったぁ。科学少年だったのね、康吉くんは。

=======================

9月8日(能代3㌔手前の道の駅~宮沢海岸)

18:45、ちょうど夕日の写真を撮っている時、警官に話しかけられた。ちょっと代わって応えてほしいとの要請に筆者びっくり!「秋田県警です。鈴木さんは今、宮沢海岸に居て、無事です。この先山形の方へ向かわれます。中学校のお友達ですか?、、、夢を実行するために歩いて見えるとか、、、無事でいますから安心して下さい」秋田のイントネーションが受話器を通してやさしさ、温かさに変わり、漂ってくる。
 
若い感じのお巡りさんだった。一応職務というけど、本当は興味津々で話しかけて来たんじゃないかな。

男鹿半島付近は砂地、花崗岩できた砂地。水はけが良過ぎて米がとれないので八郎潟を埋めたんだなあ。能代の「風の松原」は防砂林で樹齢130年余の松林だった。二人の話が弾んで、明日は足取り軽く歩けそうだ。ありがとう。おやすみ! 

=======================

9月10日(男鹿半島旅館つばき~赤神神社五社堂)

前日は入道崎灯台、夜はナマハゲの実演を見た。一日中降ったりやんだり。県道59号線には、信号無ぇ、自販機無ぇ、コンビニなんてあるわけ無ぇ。この辺には電柱が無ぇ。車それほど通っ無ぇ。この日は巡査廻って無ぇ。猿でも鹿でも出て来いや!そんな一日。ナマハゲ街道がメインなんだ。だが、私はなんたって「沿岸派」だ。

旅行案内にも載ってる五社堂を訪ねた。麓にリヤカーを置いて、999段の石段をのぼった所にある。メールは通じない。電話は通じる。食べ物はみかん、桃、マンゴの缶詰だけ。午後3時くらい、後から登ってきた人に声掛けられた。

宇都宮からの旅人、昭和20年生まれ。話をしてたら、感激したと言って涙を流された。こんなのは初めてだ。明日は潮瀬崎のゴジラ岩へ、そのあと寒風山目指します。

=======================

9月11日(五社堂~脇本駅)

脇本駅の駐輪場にリヤカーを置き、頂上付近に雨雲の帽子をかぶった寒風山を目指す。空身で1時間20分ほどで360度の展望が望める頂上に着く。355Mのなだらかな山、奈良の若草山を思い出して、芝生の山を直線的に登ってみた。ふうふう言いながらでも、登れた。すると、ご褒美のような一瞬の晴れ間。虹が出迎えてくれた。
 
入道崎は見えなかったけど、八郎潟の埋め立て、秋田港の遠景、黄金色の稲穂が頭を垂れてる「秋」が飛び込んできた。大満足の寒風山だった。下山後スーパーで、幕の内弁当、カツ丼、海鮮丼など5つ買う。雨が降っていたので、店内で一気に2つの弁当を平らげたら、おばさんがびっくらしてた。今夜は脇本駅駐輪場にテントを張って野宿。

=====================

9月14日(道川~西目湯っ娘ランド道の駅)

羽後亀田駅へ。12時着。松本清張「砂の器」のキーワードの駅。50歳過ぎの男性に呼び止められた。江戸時代、この付近を伊能忠敬が測量のため通り、本荘の資料館に資料があるとのこと。郷土史に興味のある人だと思った。
 
(1804年6/1、第3次測量でお付き6人と能代ー男鹿半島ー本荘ー酒田と廻っている。筆者調べ)しばらく行くと7号線で測量の人達10人ほどが出迎えてくれた。50歳過ぎの人も測量士で、仲間に「リヤカー」が来ると先回りして連絡してたらしい。驚いたなあ。

======================

9月15日(山形県)(西目湯っ娘ランド道の駅~吹浦駅)

秋晴れの一日。日本海側には雲一つなし、左前方の鳥海山には厚い雲がかかってる。羽後本線の女鹿(めが)駅はもう山形県。秋田を8日で通過した。

海岸線を行き、絶景の夕日を撮るのも一案、五百羅漢もあるとの案内板もある。ちょっと迷った。日中の歩きで喉がしきりに冷たいビール、冷たいビールと懇願してる。その声がだんだん大きくなってきた。幸か不幸か、ちょうど通りかかったおばちゃんに「冷たいビールを売ってる所は近くにないか?」と尋ねたら「ちょっと歩けば吹浦駅近くにAコープがある」という。
 
いつの間にか「喉の声」が「天の声」になり、Aコープへ一目散。吹浦駅には必要三条件がすべて有り、大満足だ。着いたのが17時半。だんだん日没が早くなった。同い年くらいのおじさんが康吉君の姿を見て「俺もやりたいなあ。今年やろうかなあ。やるなら自転車だけど、なあ」「ゆっくり春まで考えて、人生悔いを残こすなよ」って康吉君。「自分の姿がおじさんの夢の後押しになれば、いいがなあ」

======================

9月16日(吹浦駅~R112浜中海水浴場)

22時台の終電のあと、駅構内にテントを張る。3時頃、オリオン座を発見。いよいよ季節が変わり始めてる事を実感する。

早朝撤収してると目の前の旅館から泊まり客が出て来た。80歳代で何人かでグループをつくり、日本沿岸を歩いてると言う。同じ目的のご仁と話が盛り上がった。彼はこの区域担当だ。何人かが集まれば伊能忠敬になれるのかと、、、

それを康吉君は一人でやってる!すごい!

夕方近く、一人の青年と遭遇。酒田出身で旅をして、自宅にあと8㌔のところでバイクがパンク。エンジン掛けて引っ張って行くしかないとあきらめ顔。北海道で康吉君に会ったと言う。旅の最後の日にまた「リヤカーの康吉君」に偶然出会えて、ほんとにうれしい!パンクのおかげだと喜んでいた。康吉君の動静はブログですべて知ってるとの事。(八木さんのブログのおかげかな?)

======================

9月19日(桑川駅~坂町駅)

新潟県に入り二日目、天気にいじめられた一日だった。スコールのように雨が降ったかと思うと真っ青な空が見え、またざーっと降って来る。着替えてまた濡れて、最後には着替えが無くなった。旅立ち時のズボンを引っ張り出してはくが、腰回りがげんこつ二つ分細くなっていて役に立たん。

瀬波温泉、たこ焼きを食べながら、足湯を楽しんだ。もう村上市だ。百川の橋から鮭か?ますか?10匹ほどが遡上してた。農道に近い道筋に銀杏の木を発見。ギンナンがたくさん落ちていた。少し行くと大きな栗の木が二本。交配のためか、昔の人は二本植えろと言ったが、その通りの二本。大きなつややかな実がイガから顔を出して落ちている。
 
収穫の秋を体験。初めてコオホネと思われる植物を見た。緩やかな流れの中、スクッと真っすぐに茎を出し、ちいさな黄色の花を付けている。坂町駅からちょっと離れた自転車置き場でテント張る。ベッド代わりのベニヤが濡れて、どうもいかん。

=======================

9月21日(黒山駅~寺尾中央公園)

阿賀野川、川幅がべらぼうに広く、ゆったりと流れてる。利根川以上だ。途中食料は3日分しっかりとゲット。16時半に寺尾駅着。エレベーター付きの立派な駅で野宿には適さない。寺尾駅の位置は海側からもR116からもこう配30度くらいのえらい坂で往生したわ。はあー!稚内公園でもそうだったなあ。あの時はリヤカーを残して空身で行ったけどなあ。

それにまた今日は踏切を探すのに苦労。秋田駅のあっちへウロウロ、こっちへウロウロを思い出した。一時間半ほど探しまわってようやく中央公園へ。犬の散歩コースらしい。周りは住宅がびっしり。大きな公園でトイレはあるが汚いし、電源なし。

朝と夕方、「伊能忠敬」の絵がすごい効力を発揮した。丁寧に描いてつくづくよかったと思った。というのも、地元のこうるさそうなおっちゃんが、「赤いテントのこの男は何者だ」と不審に思って近寄ってくるが、リヤカーをぐるりを廻ると、その顔つきが全く異なり、話しかけてきて、揚句の果てに激励してくれる。忠敬様様ですわ。はあー!「一晩おせわになります」とこちらから声を掛けることにしている。この効果も大。

=====================

9月23日(寺泊みなと公園~柏崎海岸公園)

さすが昨日の疲れが足にきて、歩きが重かった。5:30テントなど片付け始める。近くに車で寝泊まりしてる人と挨拶。魚津市の加藤さん。康吉君とリヤカーに興味を示し、動画で撮りたいという。OKを出すと、撤収作業からリヤカーの中身など撮影。名前に年齢など全くどこかの県警の職質と同じ。テレビ局へ持ち込みたいとも言ってた。はい、どうぞ、と許可。

歩きやすい道で出雲崎を通り越し、刈羽原発を右に見て、柏崎まできてしまった。
 
途中30歳代の男性がオートバイを止めて待っていた。青森の2カ所で、おばあさんから「リヤカーの康吉君」の話を聞いた。あなたでしたか?と感激していた。青森のばばあ?だれじゃ?話掛けるのはだいたいばばあばかりだから、誰だろうなあ?

良寛さんも山頭火も佐渡が見えなかったとのこと。私も霞んで見えなかった。芭蕉は見えたのかな?

柏崎に入るとスーパー2カ所あり。「タコのぶつ切り、肉じゃが、アジのフライ」が夕食。

ちょっと飛ばし気味だから、親不知の難所のために体力温存、なるべくトラックなどの交通量を考慮すると日曜日(9/27)に親不知を越えて行きたい。 

Dsc_2660


 

|

« 国家主義思想を増長させないために!! | トップページ | 司馬遼太郎氏が語った徴兵の思い出 »

2.日記・随想・歴史紀行・音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/209617/62379226

この記事へのトラックバック一覧です: リヤカーを引き徒歩で日本一周の旅人・鈴木康吉さん、その後の現況(8):

« 国家主義思想を増長させないために!! | トップページ | 司馬遼太郎氏が語った徴兵の思い出 »