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2015年10月

2015年10月27日 (火)

人生は本当に奇縁です・冒険家・鈴木康吉さんとの出逢い・リヤカーを引いて徒歩で日本一周・東日本を完歩!!

人生は本当に奇縁です。
今年の4月17日、娘夫婦との、とある旅行から車で娘夫婦の横浜の自宅へ車で帰る途中、立ち寄った神奈川県大磯の旧吉田邸。吉田邸とは言うまでもなく、戦後の我が国の政治に君臨した故・吉田茂氏が住んでおられ、天皇陛下やGHQの要人、白洲次郎など日本の要人も足を運んだところです。

そこでリヤカーを引いて日本一周を試みようとしている鈴木康吉さんに偶然にお会いしました。吉田邸の見学を終り、私と鈴木さんが、その吉田邸の出入り口でタイミングよく、偶然に出会ったわけです。
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その時、私は鈴木さんの少し奇異な姿に惹きつけられました。「伊能忠敬」「歩いて日本の海岸一回り」という文字が見える看板を掲げたリヤカーを引き、まさに出発しようとしていました。私は好奇心から、「今からどこへ行かれるのですか」と質問しますと、「自分は海岸沿いに日本一周を試みている者です」との返事。

リヤカーに生活用品を収納し、これを手で引き歩く。大体一日20kmの行程で7か月程かけて、北海道から日本海側へ出て名古屋に戻り、それから少し休息後、今度はあと半分の西日本への旅に出るとのこと。ちなみに費用を倹約するため、3日に一度は旅館に泊まり、あとは野宿とのこと。
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とんでもないこと(偉大なこと)をする冒険家に出会ったものだと思い、その時の様子を記事にしてブログにアップしておきました。
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すると、暫くして、5月19日、このブログを見たという、鈴木さんの中学生時代の友人だという「U・Kさん」という女性の方から思いがけない嬉しいメールを頂きました。

その時から「U・Kさん」とのメールでのお付き合いが始まりました。それ以後、「U・Kさん」からの現況レポートをお送り頂き、9回にわたってブログとフェイスブックに投稿してきたわけです。

そして、鈴木さんは、遂に10月24日、日本一周の前半(半分)・東日本 を無事完歩されました。

鈴木さんは、今後一旦休養され、来年の春、「日本沿岸一回り」の後半を再開される予定です。それまでは充分に休養され、日本一周を是非達成して頂きたいと思います。

参照ブログ→ここをクリック

最初の写真は、鈴木さんと出迎えの同級生の方々です。中央の、一段と真っ黒なのが鈴木康吉さんです。次の写真は、出発時点のお見送りの時の写真です(愛知県碧南市への橋・衣浦大橋にて)

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2015年10月26日 (月)

リヤカーを引き徒歩で日本一周の旅人・鈴木康吉さん・前半を無事完歩!! その後の現況(9)

前回に続き、鈴木康吉さんの中学生時代の友人である女性「U・Kさん」からの9回目のレポートを下記に記します。
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鈴木さんは、遂に「日本沿岸一回り」の前半を無事完歩され、10月24日、最終目的地の熱田神宮西門にゴールインされました。リヤカーを引いての長い旅、鈴木さん、大変お疲れ様でした。

鈴木さんとは、4月17日、旅の途中、神奈川県の大磯にある旧吉田邸で偶然にもお会いしてから、約6ヶ月間、「U・Kさん」からのレポートをブログで発信して来ました。長い道程でした。 鈴木さんは、これからは一旦休まれて、来年の春、「日本沿岸一回り」の後半を再開される予定です。それまでは充分に休養され、日本一周を是非達成して頂きたいと思っています。

今回は、9月27日(姫川の堤防~泊駅)から10月24日(名城公園~熱田神宮西門)ゴールまでの記録です。

前回の記事は⇒ここをクリック

写真は、鈴木さんと出迎えの同級生の方々です。中央の、一段と真っ黒なのが鈴木康吉さんです。

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それでは、(U・Kさん)からの以下のレポートをご覧下さい。
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八木芳昭様

一ヶ月のご無沙汰でした。10月24日に熱田神宮西門へ無事帰って参りました。 吉田邸で八木様とお会いさせていただいた事で、「歩く康吉君」がブログの世界でさまざまな方に見守られていたように思います。ご多忙にも関わりませず、その都度お手間をおかけし、本当にありがとうございました。

途中出会ったおばあさんに「何を売ってる?」と尋ねられて、返答に困りながらも「敢えて言えば、夢を売ってるのかな?」と一言。その話を聞いたとき、的中過ぎて震えました。

康吉君は、次の旅のために干し柿作りを始めるそうです。留まる事は知らないようです。

「日本沿岸一回り」の前編最終のレポートを送付します。

よろしくお願いいたします。    (U・K)

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9月27日(姫川の堤防~泊駅)

朝4時、野宿の堤防に車のライト、なんだっと思えば、伝書鳩の訓練のためこの堤防に運んできたとか。新潟の老舗呉服屋の旦那、歳を訊けば午年の同い年、思わず握手。伝書鳩も親から子に飛び方など教えるための訓練が必要。今日は130羽。商売の呉服屋も、時代の変化で踊りとかお茶をやる人しか必要がなく、廃れる一方。好きなことをやってるしかないとぼやいていた。

病気がちなので、康吉君の行動がうらやましいと言っていた。 子供の頃から好きなことをしたくてもできないままだった70年の俺、好きなことばかりやっているしかない病気がちの旦那、人生これで帳尻が合うのかのー。「金儲けしようと思うと金はたまらんぞ。好きなことをやってる方が金を遣わんぞ」これが康吉君の理論。

今夜は中秋の名月、昔は大名行列はこの2、3日後の干潮に狭い親不知を通ったのだろう。予想通り日曜日で車両は少なく無事通過。安堵。トンネルの中でも上り下りがあった。やはり難所。初めて留守宅の話に及ぶ。富山まで来たなら、車で迎えに行くから帰って来いという。半年近くまずいご飯ばかりで我慢しているので、早く帰って来ておいしい食事を作ってくれと言う。俺も「さとうのご飯」をチンして食べてるから、お前達もそうしろ!って言ってやった。

伊勢から3人の美熟女達が交互に励ましのコール。嬉しかったのー!激励がこんなに力に変わるとは思いも寄らなかった。道の駅でタラ汁を食べながらの昼下がりの出来事だった。 
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9月30日(海老江海浜公園~みろくの湯の宿こうざぶろうの前)

雨晴海岸、見晴台から立山連峰はぼんやりしか見えなかった。そこで30歳くらいの女性に声を掛けられた。「どこかでお目にかかりましたよね?」「リヤカー引いて歩いてるから、どこかで会ったかもしれんなあ」「あぁ、そう だ!田中陽輝さんのブログでお目にかかりました」。その出会いでいっぺんに元気になった。美人すぎてシャッター切るのを忘れてた。ぽんぽんの足の腫れがすーっと引いて行くのを覚えた。全身から疲れが消えてゆくのがわかった。オロナミンCもリポビタンDも追いつかないほどの効き目だ。人様から応援を受けるのは人生で初めての経験。

15時、今はクローズの道の駅でのこと。85歳のあばあさんがとぼとぼと乳母車を押して歩いてる。「どうしたんだ?」「死にたいけど、死ねん。息子の家族と住んでるが、家にいてもつまらん。相手にしてもらえん」等々、一時間ほど「傾聴ボランティア」らしきことをした。おばあさんが「何を売ってるの?」。康吉君「売ってる?と言えないが、まあ敢えて言えば『夢を売ってる』かな?」最高の名言が出たーーー!。帰るおばあさんの足の運びは確かに軽く、目はやさしかった。 17時温泉に入る(600円)。相変わらず一度の洗いでは泡が立たず、二度目の洗いでようやく泡が立つ。温泉を出たら、真っ暗。広い駐車場のどこに自分のテントがあるのか分からんほど暗くなった。
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10月4日(R429木本の鎖着脱場~26㌔歩いた残土置き場)

夜半、前線が通過し2時頃豪雨。夜が明ける頃、雨上がり、我が運の強さに驚く。バス停で、びしょぬれになったテントを乾かしていると、おばあさんが「ぽっぽ」をくれた。能登に一本しかない果物の木から落ちたばかりの実だという。甘みなし、ちょうど青いバナナのかたいのを食べてるよう。 「フグの卵巣のぬか漬け」を食す。3年漬けるそうだ。一腹700円。まあ辛いだけだ。 念願の「へしこ」と宇出津で出会った。これを食べたくて能登半島をうろうろしたようなもんだ。かむほどに味がある。5㍉に切ってあった。輪島産のへしこ。大満足じゃ。ちなみに道の駅で買ったと言って土産にもらった「へしこ」はアルゼンチン産。宇出津で出会った人は豊田市の人で、仕事で来てると言っていた。やはり郷里の人と会うと、気持がほぐれるわ、はぁー!
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10月6日(禄剛崎灯台~揚げ浜塩田道の駅)

輪島から来る男性とすれ違った。下関の62歳、定年を迎え、病気がちだった自分だったが、心機一転、自転車で廻ってるとのこと。無精髭はゴールまでそのままのつもりかな?彼の記録方法はスマホに声を録音。こんな方法があるんかぁ?康吉君はペンと紙、迷わずに康吉流で行きましょ! 「伊能忠敬と灯台と民具の???」の看板の「能登さいはて資料館」が野宿場所の隣りにあった。10時開館なのであきらめた。さいはての地でも忠敬さんが記録と記憶に残されてる事を知る。感激だ。
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10月7日(塩田道の駅~輪島道の駅)

風のキツい一日。25歳くらいの若者が声を掛けて来た。7日間の休暇をとって、友人のいる金沢をまわるらしい。「声をかけられると、ほんとに嬉しいんだぜ。元気が出る。これからもいっぱい声がけをしろよ」「そうします!」さわやかな朝の始まりだった。 白米千枚田の道の駅のこと。隅っこで朝市風のおばさんが店を出している。下を向いて、売りたいのか、売れんでもいいのか分からんような雰囲気で座っていた。竹の皮で作ったフクロウ、わら草履等々。荷物にならないような物を土産に買った。そこへ観光バス、台湾観光客がどっと下りて来た。トイレ休憩だ。リヤカーを見て一人、二人、また一人、、、結局全員に取り囲まれて握手に記念撮影が始まった。「はい!チーズ」を何度やったことだろう。それをみた朝市風のおばちゃんんまでが喜んで、自分の商売はそっちのけであおる!あおる!、、、早々に逃げ出しましたわ。

輪島で切り子会館へ。絵はがきを10枚購入。係のお姉さんに地図をもらう。名古屋からぐるっと廻って来たと言ったら、目が飛び出さんばかりに驚いていた。地図を便りに廃線になった輪島駅をまず押さえ、ここで今夜は野宿だからと、通りすがりのお嬢さんにスーパーへの道を尋ねたらそのお嬢さん、「わたし、おじさん知ってる!」「わしは知らんぞ」「ネットで観ました」日々好日!
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10月8日(輪島道の駅~道下ポケットパーク)

R38からR249に出て、道下の道の駅まできた。防砂防風の間垣集落を経て、男女(なめ)滝、なんと読みにくい名前。しかし、その滝はぐっとくるものがあった。満ちあふれる霊気のようなものが押し寄せて来るのを感じ、流れ落ちる様にしばし見入った。日本一の滝だなあって思った。R38は実にキツい道だった。リヤカーをまた後ろにし、自分も後ろ向きに歩いた。

そうでなければ、リヤカーが勝手に転がっていくから。足の筋肉の使い方は慣れた。 道下のポケットパークで男女滝の周辺で育ったという40歳代のトラックの男の人から声を掛けられた。印象深かった滝だったので、ご縁かなって思った。彼の母校の小学校は廃校になった。子供の頃はその男女滝を滑り台代わりにしてよく遊んだと言っていた。つるつるの岩肌に苔が生えて、それは楽しかったらしい。ふるさとの山、川、いくつになってもいいもんだ。明日は泣き砂のほうへまわっみようと思っている。もうご飯のストックがない。 ======================= 
10月11日(羽咋駅~宇野木駅)

11:30突然の豪雨、つぶれたスーパーに入り、雨宿りを兼ねて仮眠。12:20歩き始めたら、また雨。ちょうど銭湯があり、雨宿りのつもりで入った。420円(石けんなし)、13時だった。客は誰も居なかった。番台のおじさんが話に乗って来て、「能登半島をよくぞ、廻った」と、感心してくれた。他の客も入って来たが、話に夢中になり、番台の仕事は二の次になっていた。宇野木の町では珍しく「獅子舞」に出会った。河北市に入った途端、スーパーにコンビニ、立ち並んでいる。この先食料のことを心配せずに歩けそう。
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10月13日(弥生さくら公園~安宅の関)

夜中、テントの外から「起きて下さい。起きて下さい」。眠い目をこすりながらテントから首を出すと、「石川県警」のお巡りさんお二人。きっと近所からの通報があったのだろう。都会はこんな事になるから、俺は人里離れた山の中や海辺が好きなんやけどなあ。 おかげさまでこちらは慣れたもので、いつもの質問事項にすらすら答える。「どこから来ましたか?」「どちらへ向いますか」「身分証明のなにかを持ってる?免許証は、、、」ゴールドカードで違反無し、、、しぶしぶと帰って行った。誠にご苦労なことじゃのう。

5:40頃起き、出発の準備をしていたら、近くの年寄りが歩いてくる。「おはよう」と大きな声で挨拶。もう一度大きな声で「おはよう!」。向こうも話しやすくなったのか、近くに寄って来て話を始める。最初は信じられない様子だが、「伊能忠敬」の絵が効果を表す。「そうか、そうか。すごい事をやってるのー。体に気を付けてな。足は痛くないか?風邪引かないように」この流れの会話が三度、と言う事は三人の老人が一人一人別々にやって来たわけだ。「伊能忠敬」は皆知ってる。知らんのはNHKだけじゃ。なんで大河ドラマに取り上げてくれんのかのー?」 出発が遅くなった。8:15、町の交番で職質の巡査二人と偶然の出会い。パトカーに乗り込もうとしてる時に、通りかかった。昨晩とは打って変わってニコニコ顔で「しっかりがんばって、体に気を付けて」。 ぱらぱら降る雨の金沢を抜けるのに苦労した。俺は都会向きではない事が分かった。 今夜は安宅の関の関守のつもりで野宿だ。東尋坊まで43㌔と出てる。
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10月14日(安宅の関~蓮如上人記念会館前)

国道20号、真っすぐの広い道、「小松」「コマツ」が並んでいる。小松飛行場では低空で轟音を残して離着陸している。その音たるや腸(はらわた)がひっくり返るようなすごい音。思わずR8に行きそうになったが、R19で大聖寺町。12:20、嬉しい事にバロー発見。2、3日分の食料を4000円分購入。お好み焼きを食す。R305をひたすら歩く。 途中小さな食料品屋で柿6個50円を買おうと思い、お金を出そうとし財布を探したが見当たらない。バローで落したんだとあきらめた。別の財布からお金を出し、蒸かしたサツマイモ150円、合計200円で買った。蓮如上人記念館にまだ明るい内に着いた。今日の記録を書こうと取り出した日記帳の間から「落したはずの財布」が出て来た。中身の1万円も出て来た。明日は友達のサッちゃんのハネムーン先の東尋坊だ。40年の変わり様を写メで送ってやりたいなあ。まあ康吉君、粋な計らい。
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10月15日(蓮如上人記念会館前~道の駅みくに)

北潟湖に沿ったR305は、くねくね、くねくね、曲がりくねっていた。地図がないからどこをどう歩いてるのやら、、、。出会ったおばさんに東尋坊はここをこの道を行けば大丈夫と言われ、安心して歩けた。平坦な道の向こうに断崖絶壁が広がっていた。観光客が何人も興味津々で話しかけてくる。 今朝は思い切り冷えた。3月22日出発の碧南水族館で野宿した時の寒さを思い出した。まわりは何一つ光がない真っ暗のなか、星がめちゃくちゃ輝いていた。もうすぐだなあ、もう見えて来た、大府が。
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10月18日(河野道の駅~新疋田駅)

8号線で敦賀へ。京都、大津、長浜が標識に出て来た。市内に入って、食料品買い出し。昼食をとり、スーパーを出たのが13:30。標識には「大垣」が出て来た。完全に日本海とはおさらばだ。長かったなあとしみじみ思っていたら、疋田の交差点を700Mほど間違って新引田駅にきてしまった。ログハウスの平屋建て、鉄道写真を飾るギャラリーもある。駅を老人二人が清掃をしてる。たくさん写真が飾ってあるガラス戸を割って、盗んで行く不届き者がいるらしい。困ったもんだと嘆いていた。3時頃着き、野宿場所と決める。明日は滋賀県の河毛駅目指し、行きますわ。賤ヶ岳の峠越えがあるだろうが、まあ大丈夫だ、はあー。 ========================
10月21日(関ヶ原古戦場~岐阜羽島)

充電器が壊れたから17時まで通信不能とメールが入る。R18には、電気屋さんが見当たらなくて、ようやくみつけた小さな電気屋には、乾電池使用の充電器しかなかった。関ヶ原からはなるい下りで楽だった。この「楽」というのがくせ者で気持の張りがなくなるから、かえって疲れる。岐阜羽島駅200M手前の公園で野宿。だれもいないところがええわ。お出迎えの友人達の名前を伝える。うれしいのー。そうか、来てくれるのか!弾んだ声。「後二日、あと二日、、で、、、、」康吉くんは笑ってたけど、私は後は声にならなかった。 「最後まで気を抜かないでね」おやすみなさい。
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10月24日(名城公園~熱田神宮西門)

ゴール もう白川公園まで着いたぞと8時40分にケイタイに元気な声。清掃のボランティアさんが年一回の清掃活動で、熱田神宮西門へ続く歩道の草引きや掃除をしてくれている。まるで康吉君のゴールデンゲイトのための清掃のよう。まだかまだかとみんな(伊勢から8名、名古屋周辺から5名)首を長くして待ってると、康吉君から「今、神宮の立体交差点。これからどちらへ行くんだ?」とケイタイが入る。K君、「迎えに行ってくるわ」と言い終わる前に走って行った。康吉君の娘さんとお孫さんも駆けつける。伊勢組は背中に「伊勢」の文字の揃いのハッピ姿。

待つ事しばし、歩道の向こうからリヤカーを押し、黄色い帽子の真っ黒な顔。だんだんその姿が大きくなり、迎える皆から拍手が起こる。康吉君の顔がくしゃくしゃで大きな目から涙が幾すじも見える。ゴールのテープには「鈴木康吉君 日本沿岸半周 おめでとう!」感涙で声にならないけど、身体中で「ありがとう」を叫んでいるのが分かる。 赤銅色の肌が歩いた歩数を物語っている。すり減ったゴム草履や靴が217日のすごさを証明している。あなたはただ歩いてるだけと簡単にいうけど、この感動はほんまもの。感動をありがとう。 「今の思いを一文字で書いてくれ」との友人の言葉に、用意した色紙に「涙」としたためた。漢字の最後の「点」を書いた上に、ほんまものの涙が落ちて、大きくにじんで行った。

                         完  

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播州赤穂を訪れました

<播州赤穂訪問>
先週の金曜日、播州赤穂へ行って来ました(初めての訪問です)。目的は第48番目の赤穂義士と言われている萱野三平について、知りたいことがあったからです。萱野三平旧邸というのが、私が住んでいる箕面市にあって地元では三平は有名です。この三平が播州赤穂ではどのように受けとめられているか等々を知りたいと思ってのことです。

萱野三平は、浅野藩の筆頭家老・大石内蔵助を頭とした吉良邸討ち入りに際して、同志との盟約を果たす忠義か、父への孝行をとるべきか、その狭間で大いに悩みましたが、最後は自刃することを決意し、萱野三平旧邸長屋門の自室で若い命を自ら絶ちました。

さて、播州赤穂では、女性ガイドのTさんに案内して頂きました。Tさんには、大変ご親切で、わかりやすい説明をして頂き、感謝しております。後で述べますが、時間が余ったので播州赤穂のもう一つの名所・坂越(さこし)にも足を延ばしてご案内頂きました。
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赤穂では、息継ぎ井戸→花岳寺→大石邸長屋門→大石神社→城跡→歴史博物館の順で歩き、美しい街並みを満喫しました。最初に驚いたのは、街路樹に「松」が沢山使われていることです。これ元禄赤穂事件が起こった「松の廊下」に因むものです。

事件が起こった時、早見藤左衛門、萱野三平の両名は、知らせを届けるために早駕籠で、江戸から赤穂へ駆け付けた際に、「息継ぎ井戸」で、一息ついて城内の大石内蔵助邸へ入りました。大石邸長屋門には、当時と同じ早駕籠が保存されており、また両名が大石内蔵助に事件の経緯について報告している様子が人形を使って説明されており、昔が偲ばれました。

花岳寺は浅野家の菩提寺で、歴代藩主や47義士の墓碑がありました。義士木像堂には、47義士の他に、特別の計らい?で萱野三平の像も安置されていました。大石神社にも三平の像がありましたが、淋しげな顔をしていました。当時、三平が自刃前、このような顔色をしていたのだろうと推測されます。
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播州赤穂の見どころには、赤穂義士の他に、「赤穂の塩」と「旧赤穂上水道」があり、それらは歴史博物館で展示されていました。長くなるのでこれらについては省略しますが、ゆっくり見ると、子供たちにはいい勉強になると思いました。歴史博物館は赤穂城米蔵跡に建てられた白壁の土蔵風建物です。倉敷とよく似た風景だと感じられました。
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最後に坂越のことを少しばかり記します。坂越湾は奥深い入江をもつ天然の良港で、中世以降に廻船業が栄えました。港町には当時の面影が偲ばれる風情ある街並みが残っており、景観形成地区にも指定されています。

坂越湾の生島という小さな島には、645年・大化改新の前年の644年、蘇我入鹿から逃れ、漂着したという秦河勝(はたのかわかつ)の墓があり、近くの陸地には、河勝が祭神として祀られている大避神社がありました。大道という石畳の道に沿った町は、白壁と焼板の町屋が並ぶ静かで癒しを感じるところでした。入口にある旧坂越浦会所は、赤穂藩の茶屋としての役割ももっていたところで、2階には藩主専用の部屋「観海楼」があり、窓から眺める風景には、生島も視界に入り、素晴らしいものがありました。

西国大名の本陣にあてられていた奥藤家の家屋は築後300年といわれ、その酒蔵で日本酒「忠臣蔵」を土産に買い求めました。レトロなカフェ「暖木」というところで休憩しましたが、外観は質素な佇まいですが、中は不思議な雑貨や、手作りの洋服、アクセサリーなども並べられ、地元の野菜や米を使ったヘルシーなランチや種々のケーキのメニューで、女性に人気があるとのことでした。
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2015年10月23日 (金)

書籍の原稿完成

本の執筆が先日完了し、初原稿を出版社に提出しました。年末~年初に出版される予定です。2年程前の構想段階から始まり、取材を経て、書き始めたのが今年の3月初め、四六版で約250頁。ようやく終わってほっとしています。まだ原稿の修正など、出版社との打ち合わせはありますが。どんな装丁にして頂けるか楽しみにしています。

書籍名は「伝えたい細やかな日本のモノづくりの心」(仮称)で、技術的内容よりは歴史・文化に重きを置いた本です。
執筆の終盤には、スムースに読めないところやわかりにくいところ、説得力のない表現、等々を、修正するのに時間を要しました。
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執筆が終盤に差しかかった10月21日、気晴らしに、奈良県ウォーキング協会主催のイベント「いにしえの人が歩いた山の辺の道」に家内と一緒に参加しました。

天理駅~石上神宮→夜都伎神社→天理市トレイルセンター→桧原神社→大神神社→仏教伝来の地→桜井駅 の行程は17km。この道は私にとって2回目です。道に沿って万葉集などの歌碑がところどころに設置してある大変文化を感じる道です。

当日は好天。気温が少し高かったので、汗ばむぐらいで若干疲れましたが、静かで、自然に恵まれた田舎道を歩き非常に癒されました。途中の道沿いには柿の木やミカンの木が沢山見られ、即売されていました。

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2015年10月 7日 (水)

ノーベル物理学賞を受賞された梶田氏が実験に使用されている装置「スーパーカミオカンデ」に三元ラセン管工業(株)様の製品「ベローズ」が。

この度、東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章教授がノーベル物理学賞を受賞されました。梶田氏が実験に使用されている、岐阜県にある装置「スーパーカミオカンデ」に、三元ラセン管工業(株)様の製品「ベローズ」が使用されています。

今、私が書いている本で、三元ラセン管工業(株)様の紹介をさせて頂いていますが、このニュースを追記したいと思います。

写真は、同社の高嶋社長さんです。
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2015年10月 5日 (月)

留学生を迎えました

この頃は秋の気配が徐々に感じられるようになりました。我が家の金木犀も甘い香りを漂わせてくれています。近くの畑に植えられたコスモスも賑やかに咲いています。

我が家では、8月に中国の女子学生・トンヤさんを送り出し、少し淋しく感じていましたが、今回、新たに箕面国際交流協会を通じてホームビジットの留学生を迎えました。 今回の留学生は、同じく中国からの女子学生、リ・チャンさんです。

先日、我が家で、家内がつくった家庭料理での昼食を共にしました。彼女は外交的で明るい、読書や旅行が好きな法学を専攻する学生です。 お互いの家族のこと、中国や日本の文化のことなど、話しが弾みました。中国の文豪・魯迅の小説「藤野先生」のことにも話が及びました。この小説の藤野先生については、我が家も若干の係わりがあるので、お互いに興味深く感じました。

彼女は日本のこと(文化や歴史など)を沢山知りたいということですので、半年の滞在中にできるだけ多くの日本体験をさせてあげたいと思います。彼女との会話は日本語と英語、半々での状態ですが、若いので、あと1ヶ月も経つと会話もスムースになると思います。 ==============================
ところで、私の本の執筆の方は、いよいよ終盤を迎えました。本の名は仮称「ものづくりの心」。10月中頃には殆ど完全な状態で出版社に原稿を渡せる予定です。それまで暫く推敲が続きます。
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10月に入って

9月も終わり、10月に入りました。
暑かった夏の思い出は、少しずつ去って行くようです。
下記は、市民活動をしている仲間による月刊冊子に投稿した和歌です。我流で拙いものですが・・・

今年の夏は、百日紅(サルスベリ)の花がよく目に入りました。夏の間中、ずっと咲いているサルスベリは、癒しを与えてくれました。
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雄弁に 語りかけし 百日紅(サルスベリ)我は癒さる 長き夏の間
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また、楽しいことや悲しいこと、痛ましいこと、民主化を求める国内外の様々な出来事などがありました。
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行く末の 不透明な世 案じつつ  惹きつけられし今日もニュースに

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