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2015年10月26日 (月)

リヤカーを引き徒歩で日本一周の旅人・鈴木康吉さん・前半を無事完歩!! その後の現況(9)

前回に続き、鈴木康吉さんの中学生時代の友人である女性「U・Kさん」からの9回目のレポートを下記に記します。
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鈴木さんは、遂に「日本沿岸一回り」の前半を無事完歩され、10月24日、最終目的地の熱田神宮西門にゴールインされました。リヤカーを引いての長い旅、鈴木さん、大変お疲れ様でした。

鈴木さんとは、4月17日、旅の途中、神奈川県の大磯にある旧吉田邸で偶然にもお会いしてから、約6ヶ月間、「U・Kさん」からのレポートをブログで発信して来ました。長い道程でした。 鈴木さんは、これからは一旦休まれて、来年の春、「日本沿岸一回り」の後半を再開される予定です。それまでは充分に休養され、日本一周を是非達成して頂きたいと思っています。

今回は、9月27日(姫川の堤防~泊駅)から10月24日(名城公園~熱田神宮西門)ゴールまでの記録です。

前回の記事は⇒ここをクリック

写真は、鈴木さんと出迎えの同級生の方々です。中央の、一段と真っ黒なのが鈴木康吉さんです。

Img_3180

それでは、(U・Kさん)からの以下のレポートをご覧下さい。
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八木芳昭様

一ヶ月のご無沙汰でした。10月24日に熱田神宮西門へ無事帰って参りました。 吉田邸で八木様とお会いさせていただいた事で、「歩く康吉君」がブログの世界でさまざまな方に見守られていたように思います。ご多忙にも関わりませず、その都度お手間をおかけし、本当にありがとうございました。

途中出会ったおばあさんに「何を売ってる?」と尋ねられて、返答に困りながらも「敢えて言えば、夢を売ってるのかな?」と一言。その話を聞いたとき、的中過ぎて震えました。

康吉君は、次の旅のために干し柿作りを始めるそうです。留まる事は知らないようです。

「日本沿岸一回り」の前編最終のレポートを送付します。

よろしくお願いいたします。    (U・K)

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9月27日(姫川の堤防~泊駅)

朝4時、野宿の堤防に車のライト、なんだっと思えば、伝書鳩の訓練のためこの堤防に運んできたとか。新潟の老舗呉服屋の旦那、歳を訊けば午年の同い年、思わず握手。伝書鳩も親から子に飛び方など教えるための訓練が必要。今日は130羽。商売の呉服屋も、時代の変化で踊りとかお茶をやる人しか必要がなく、廃れる一方。好きなことをやってるしかないとぼやいていた。

病気がちなので、康吉君の行動がうらやましいと言っていた。 子供の頃から好きなことをしたくてもできないままだった70年の俺、好きなことばかりやっているしかない病気がちの旦那、人生これで帳尻が合うのかのー。「金儲けしようと思うと金はたまらんぞ。好きなことをやってる方が金を遣わんぞ」これが康吉君の理論。

今夜は中秋の名月、昔は大名行列はこの2、3日後の干潮に狭い親不知を通ったのだろう。予想通り日曜日で車両は少なく無事通過。安堵。トンネルの中でも上り下りがあった。やはり難所。初めて留守宅の話に及ぶ。富山まで来たなら、車で迎えに行くから帰って来いという。半年近くまずいご飯ばかりで我慢しているので、早く帰って来ておいしい食事を作ってくれと言う。俺も「さとうのご飯」をチンして食べてるから、お前達もそうしろ!って言ってやった。

伊勢から3人の美熟女達が交互に励ましのコール。嬉しかったのー!激励がこんなに力に変わるとは思いも寄らなかった。道の駅でタラ汁を食べながらの昼下がりの出来事だった。 
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9月30日(海老江海浜公園~みろくの湯の宿こうざぶろうの前)

雨晴海岸、見晴台から立山連峰はぼんやりしか見えなかった。そこで30歳くらいの女性に声を掛けられた。「どこかでお目にかかりましたよね?」「リヤカー引いて歩いてるから、どこかで会ったかもしれんなあ」「あぁ、そう だ!田中陽輝さんのブログでお目にかかりました」。その出会いでいっぺんに元気になった。美人すぎてシャッター切るのを忘れてた。ぽんぽんの足の腫れがすーっと引いて行くのを覚えた。全身から疲れが消えてゆくのがわかった。オロナミンCもリポビタンDも追いつかないほどの効き目だ。人様から応援を受けるのは人生で初めての経験。

15時、今はクローズの道の駅でのこと。85歳のあばあさんがとぼとぼと乳母車を押して歩いてる。「どうしたんだ?」「死にたいけど、死ねん。息子の家族と住んでるが、家にいてもつまらん。相手にしてもらえん」等々、一時間ほど「傾聴ボランティア」らしきことをした。おばあさんが「何を売ってるの?」。康吉君「売ってる?と言えないが、まあ敢えて言えば『夢を売ってる』かな?」最高の名言が出たーーー!。帰るおばあさんの足の運びは確かに軽く、目はやさしかった。 17時温泉に入る(600円)。相変わらず一度の洗いでは泡が立たず、二度目の洗いでようやく泡が立つ。温泉を出たら、真っ暗。広い駐車場のどこに自分のテントがあるのか分からんほど暗くなった。
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10月4日(R429木本の鎖着脱場~26㌔歩いた残土置き場)

夜半、前線が通過し2時頃豪雨。夜が明ける頃、雨上がり、我が運の強さに驚く。バス停で、びしょぬれになったテントを乾かしていると、おばあさんが「ぽっぽ」をくれた。能登に一本しかない果物の木から落ちたばかりの実だという。甘みなし、ちょうど青いバナナのかたいのを食べてるよう。 「フグの卵巣のぬか漬け」を食す。3年漬けるそうだ。一腹700円。まあ辛いだけだ。 念願の「へしこ」と宇出津で出会った。これを食べたくて能登半島をうろうろしたようなもんだ。かむほどに味がある。5㍉に切ってあった。輪島産のへしこ。大満足じゃ。ちなみに道の駅で買ったと言って土産にもらった「へしこ」はアルゼンチン産。宇出津で出会った人は豊田市の人で、仕事で来てると言っていた。やはり郷里の人と会うと、気持がほぐれるわ、はぁー!
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10月6日(禄剛崎灯台~揚げ浜塩田道の駅)

輪島から来る男性とすれ違った。下関の62歳、定年を迎え、病気がちだった自分だったが、心機一転、自転車で廻ってるとのこと。無精髭はゴールまでそのままのつもりかな?彼の記録方法はスマホに声を録音。こんな方法があるんかぁ?康吉君はペンと紙、迷わずに康吉流で行きましょ! 「伊能忠敬と灯台と民具の???」の看板の「能登さいはて資料館」が野宿場所の隣りにあった。10時開館なのであきらめた。さいはての地でも忠敬さんが記録と記憶に残されてる事を知る。感激だ。
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10月7日(塩田道の駅~輪島道の駅)

風のキツい一日。25歳くらいの若者が声を掛けて来た。7日間の休暇をとって、友人のいる金沢をまわるらしい。「声をかけられると、ほんとに嬉しいんだぜ。元気が出る。これからもいっぱい声がけをしろよ」「そうします!」さわやかな朝の始まりだった。 白米千枚田の道の駅のこと。隅っこで朝市風のおばさんが店を出している。下を向いて、売りたいのか、売れんでもいいのか分からんような雰囲気で座っていた。竹の皮で作ったフクロウ、わら草履等々。荷物にならないような物を土産に買った。そこへ観光バス、台湾観光客がどっと下りて来た。トイレ休憩だ。リヤカーを見て一人、二人、また一人、、、結局全員に取り囲まれて握手に記念撮影が始まった。「はい!チーズ」を何度やったことだろう。それをみた朝市風のおばちゃんんまでが喜んで、自分の商売はそっちのけであおる!あおる!、、、早々に逃げ出しましたわ。

輪島で切り子会館へ。絵はがきを10枚購入。係のお姉さんに地図をもらう。名古屋からぐるっと廻って来たと言ったら、目が飛び出さんばかりに驚いていた。地図を便りに廃線になった輪島駅をまず押さえ、ここで今夜は野宿だからと、通りすがりのお嬢さんにスーパーへの道を尋ねたらそのお嬢さん、「わたし、おじさん知ってる!」「わしは知らんぞ」「ネットで観ました」日々好日!
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10月8日(輪島道の駅~道下ポケットパーク)

R38からR249に出て、道下の道の駅まできた。防砂防風の間垣集落を経て、男女(なめ)滝、なんと読みにくい名前。しかし、その滝はぐっとくるものがあった。満ちあふれる霊気のようなものが押し寄せて来るのを感じ、流れ落ちる様にしばし見入った。日本一の滝だなあって思った。R38は実にキツい道だった。リヤカーをまた後ろにし、自分も後ろ向きに歩いた。

そうでなければ、リヤカーが勝手に転がっていくから。足の筋肉の使い方は慣れた。 道下のポケットパークで男女滝の周辺で育ったという40歳代のトラックの男の人から声を掛けられた。印象深かった滝だったので、ご縁かなって思った。彼の母校の小学校は廃校になった。子供の頃はその男女滝を滑り台代わりにしてよく遊んだと言っていた。つるつるの岩肌に苔が生えて、それは楽しかったらしい。ふるさとの山、川、いくつになってもいいもんだ。明日は泣き砂のほうへまわっみようと思っている。もうご飯のストックがない。 ======================= 
10月11日(羽咋駅~宇野木駅)

11:30突然の豪雨、つぶれたスーパーに入り、雨宿りを兼ねて仮眠。12:20歩き始めたら、また雨。ちょうど銭湯があり、雨宿りのつもりで入った。420円(石けんなし)、13時だった。客は誰も居なかった。番台のおじさんが話に乗って来て、「能登半島をよくぞ、廻った」と、感心してくれた。他の客も入って来たが、話に夢中になり、番台の仕事は二の次になっていた。宇野木の町では珍しく「獅子舞」に出会った。河北市に入った途端、スーパーにコンビニ、立ち並んでいる。この先食料のことを心配せずに歩けそう。
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10月13日(弥生さくら公園~安宅の関)

夜中、テントの外から「起きて下さい。起きて下さい」。眠い目をこすりながらテントから首を出すと、「石川県警」のお巡りさんお二人。きっと近所からの通報があったのだろう。都会はこんな事になるから、俺は人里離れた山の中や海辺が好きなんやけどなあ。 おかげさまでこちらは慣れたもので、いつもの質問事項にすらすら答える。「どこから来ましたか?」「どちらへ向いますか」「身分証明のなにかを持ってる?免許証は、、、」ゴールドカードで違反無し、、、しぶしぶと帰って行った。誠にご苦労なことじゃのう。

5:40頃起き、出発の準備をしていたら、近くの年寄りが歩いてくる。「おはよう」と大きな声で挨拶。もう一度大きな声で「おはよう!」。向こうも話しやすくなったのか、近くに寄って来て話を始める。最初は信じられない様子だが、「伊能忠敬」の絵が効果を表す。「そうか、そうか。すごい事をやってるのー。体に気を付けてな。足は痛くないか?風邪引かないように」この流れの会話が三度、と言う事は三人の老人が一人一人別々にやって来たわけだ。「伊能忠敬」は皆知ってる。知らんのはNHKだけじゃ。なんで大河ドラマに取り上げてくれんのかのー?」 出発が遅くなった。8:15、町の交番で職質の巡査二人と偶然の出会い。パトカーに乗り込もうとしてる時に、通りかかった。昨晩とは打って変わってニコニコ顔で「しっかりがんばって、体に気を付けて」。 ぱらぱら降る雨の金沢を抜けるのに苦労した。俺は都会向きではない事が分かった。 今夜は安宅の関の関守のつもりで野宿だ。東尋坊まで43㌔と出てる。
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10月14日(安宅の関~蓮如上人記念会館前)

国道20号、真っすぐの広い道、「小松」「コマツ」が並んでいる。小松飛行場では低空で轟音を残して離着陸している。その音たるや腸(はらわた)がひっくり返るようなすごい音。思わずR8に行きそうになったが、R19で大聖寺町。12:20、嬉しい事にバロー発見。2、3日分の食料を4000円分購入。お好み焼きを食す。R305をひたすら歩く。 途中小さな食料品屋で柿6個50円を買おうと思い、お金を出そうとし財布を探したが見当たらない。バローで落したんだとあきらめた。別の財布からお金を出し、蒸かしたサツマイモ150円、合計200円で買った。蓮如上人記念館にまだ明るい内に着いた。今日の記録を書こうと取り出した日記帳の間から「落したはずの財布」が出て来た。中身の1万円も出て来た。明日は友達のサッちゃんのハネムーン先の東尋坊だ。40年の変わり様を写メで送ってやりたいなあ。まあ康吉君、粋な計らい。
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10月15日(蓮如上人記念会館前~道の駅みくに)

北潟湖に沿ったR305は、くねくね、くねくね、曲がりくねっていた。地図がないからどこをどう歩いてるのやら、、、。出会ったおばさんに東尋坊はここをこの道を行けば大丈夫と言われ、安心して歩けた。平坦な道の向こうに断崖絶壁が広がっていた。観光客が何人も興味津々で話しかけてくる。 今朝は思い切り冷えた。3月22日出発の碧南水族館で野宿した時の寒さを思い出した。まわりは何一つ光がない真っ暗のなか、星がめちゃくちゃ輝いていた。もうすぐだなあ、もう見えて来た、大府が。
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10月18日(河野道の駅~新疋田駅)

8号線で敦賀へ。京都、大津、長浜が標識に出て来た。市内に入って、食料品買い出し。昼食をとり、スーパーを出たのが13:30。標識には「大垣」が出て来た。完全に日本海とはおさらばだ。長かったなあとしみじみ思っていたら、疋田の交差点を700Mほど間違って新引田駅にきてしまった。ログハウスの平屋建て、鉄道写真を飾るギャラリーもある。駅を老人二人が清掃をしてる。たくさん写真が飾ってあるガラス戸を割って、盗んで行く不届き者がいるらしい。困ったもんだと嘆いていた。3時頃着き、野宿場所と決める。明日は滋賀県の河毛駅目指し、行きますわ。賤ヶ岳の峠越えがあるだろうが、まあ大丈夫だ、はあー。 ========================
10月21日(関ヶ原古戦場~岐阜羽島)

充電器が壊れたから17時まで通信不能とメールが入る。R18には、電気屋さんが見当たらなくて、ようやくみつけた小さな電気屋には、乾電池使用の充電器しかなかった。関ヶ原からはなるい下りで楽だった。この「楽」というのがくせ者で気持の張りがなくなるから、かえって疲れる。岐阜羽島駅200M手前の公園で野宿。だれもいないところがええわ。お出迎えの友人達の名前を伝える。うれしいのー。そうか、来てくれるのか!弾んだ声。「後二日、あと二日、、で、、、、」康吉くんは笑ってたけど、私は後は声にならなかった。 「最後まで気を抜かないでね」おやすみなさい。
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10月24日(名城公園~熱田神宮西門)

ゴール もう白川公園まで着いたぞと8時40分にケイタイに元気な声。清掃のボランティアさんが年一回の清掃活動で、熱田神宮西門へ続く歩道の草引きや掃除をしてくれている。まるで康吉君のゴールデンゲイトのための清掃のよう。まだかまだかとみんな(伊勢から8名、名古屋周辺から5名)首を長くして待ってると、康吉君から「今、神宮の立体交差点。これからどちらへ行くんだ?」とケイタイが入る。K君、「迎えに行ってくるわ」と言い終わる前に走って行った。康吉君の娘さんとお孫さんも駆けつける。伊勢組は背中に「伊勢」の文字の揃いのハッピ姿。

待つ事しばし、歩道の向こうからリヤカーを押し、黄色い帽子の真っ黒な顔。だんだんその姿が大きくなり、迎える皆から拍手が起こる。康吉君の顔がくしゃくしゃで大きな目から涙が幾すじも見える。ゴールのテープには「鈴木康吉君 日本沿岸半周 おめでとう!」感涙で声にならないけど、身体中で「ありがとう」を叫んでいるのが分かる。 赤銅色の肌が歩いた歩数を物語っている。すり減ったゴム草履や靴が217日のすごさを証明している。あなたはただ歩いてるだけと簡単にいうけど、この感動はほんまもの。感動をありがとう。 「今の思いを一文字で書いてくれ」との友人の言葉に、用意した色紙に「涙」としたためた。漢字の最後の「点」を書いた上に、ほんまものの涙が落ちて、大きくにじんで行った。

                         完  

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