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2015年12月

2015年12月15日 (火)

萱野三平邸を訪ねて、12月14日

昨日の12月14日(月)は赤穂義士の討ち入りの日でした。近畿地方のあちこちで赤穂義士ゆかりの様々な催しが行われた様です。とりわけ本場の播州赤穂市では市を挙げての赤穂義士祭が行われ、西郷輝彦さんが大石内蔵助役、浜村淳さんがパレードアナウンサーとして出場され、大変賑わったようです。

ここ箕面は、48番目の義士と言われる萱野三平の出身地です。三平は忠孝両道全からずとして、討ち入りには参加できませんでしたが、泉岳寺には墓があり、赤穂の大石神社にはその尊像が祀られています。箕面市では、特に萱野三平にまつわる公式な行事は近年行われていません。箕面観光ボタンティアガイドによる「萱野三平旧邸宅を訪ねて」という街歩きのオープンハイクが、ささやかにここ毎年行われているだけです。

今年のこのオープンハイクは私が責任者でした。ハイクは、写真のチラシにあるように、約9kmのコース。萱野三平の姉“こきん”の墓、萱野三平邸、三平の墓、庚申塔、お寺などを巡り、好天の下、約50名の参加者に楽しんで頂きました。

私も萱野三平邸などで講話をさせて頂きました。元禄赤穂事件と忠臣蔵との関係、高家と勅使饗応役による朝廷/幕府の儀礼交換が何故行われたのか、その時代背景は、萱野三平と早駕籠のこと、三平の自害のこと、三平の辞世の句のこと、浅野内匠頭長矩がなぜ刃傷に及んだのか、赤穂事件に対する世論はどのようであったか、等々。

この話をするに当たって、赤穂義士のことをより詳しく知るために、10月には播州赤穂へも足を運び、当地のガイドの方にご案内頂きました。また赤穂義士についての真相を知るために、かなりの書籍を読み漁りました。お蔭でいい勉強になりました。萱野三平にまつわる文化遺産を大切にし、維持し、後世に伝えていく必要性を益々感じています。

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2015年12月 6日 (日)

原節子さん、水木しげるさん のこと

戦後間もない混乱の時代を活躍され、多くの人に忘れざる思い出を遺した二人の方が世を去った。女優の原節子さん、漫画家の水木しげるさん。それぞれ享年95歳と93歳。

私にとって原節子さんの思い出は、小津監督の「東京物語」。戦後、家族の崩壊によりその絆が壊れ始めた時代、古風な女性を演じ、古き良き時代への郷愁を感じさせてくれた。そして42歳の若さで突如引退し、公式の場には一切現れず、神秘的なイメージを生んだ。

水木しげるさん。「ゲゲゲの鬼太郎」など妖怪などで知られるが、「総員玉砕せよ!」「水木しげるのラバウル戦記」など、戦争を告発する作品も残した。戦争に関する作品では、戦争で死んでいった仲間への哀惜の念や自らの戦争体験を描いた。戦争を体験し、戦争を物語る人がまた一人去ったという感じだ。...

今の世の中には、ある政治家に代表されるように、戦争のことは忘れて前に進むべきだという政治家がいる。しかしこのような考えは人間社会を良き方向に導かないと私は思う。戦争というものを二度と起こらないようにすることが大切である。そのためには、戦争というものがあったという事実を覆い隠さず、反省と総括を行い、それを若い世代にも伝えていくことが必要である。人間というものは元来、善良な生き物であるが、何かの事情で社会が混沌とした時、不完全な弱い生き物となり、正しくない流れに逆らえず、権力に追従する虞がある。そのようなことがないためにも過去の清算はしっかりとやらなければならない。

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