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2016年1月

2016年1月27日 (水)

天皇、皇后両陛下のフィリピン訪問に思う

天皇、皇后両陛下は1月26日、フィリピンに向われました。訪問は皇太子ご夫婦時代の1962年以来のことです。国交正常化60年を迎えての親善訪問ですが、太平洋戦争の激戦地への慰霊の旅ということの意味合いが強いそうです。

太平洋戦争では、日本による侵略の戦禍のため約111万人といわれるフィリピン人の方々が亡くなられたそうです。一方約52万人の日本兵が亡くなられました。 両陛下は27日にはフィリピン人の戦没者を悼む「無名戦士の墓」を訪れた後、29日は日本人戦没者を悼む碑を訪れる予定です。

今回の両陛下のフィリピン訪問は、フィリピンの人々に対し心からお詫びをしたいという両陛下の強いお気持ちから設定されたそうです。

満州事変、日中戦争、太平洋戦争という、昭和の初め、我が国の心ない政治家と軍部によってもたらされた愚かな戦争。この時代を生きた昭和天皇は軍部による外国への侵略に反対し、常に彼らを戒める立場にありました。しかし意に反し日本は戦争への道を突き進んでしまいました(半藤一利氏「昭和史」等にこのことが記載されています)。

昭和天皇の胸には、こんなことは二度とあってはならないという強いお気持ちがいつまでも残っていたのでしよう。そのお気持ちがお子さんである現在の天皇と皇后陛下に引き継がれたのでしよう。

今回のフィリピン訪問に当たって天皇陛下は次のように述べられています。

「・・・私どもは、ガルシア大統領が国賓として日本を御訪問になったことに対する答訪として、昭和37年、昭和天皇の名代として、フィリピンを訪問いたしました。それから54年、日・フィリピン国交正常化60周年に当たり、皇后と共に再び同国を訪れることをうれしく、感慨深く思っております。フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜の(罪のない)フィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています。・・・・」

天皇陛下の心からのお詫びのお気持ちが伝わってきます。

一方の安倍首相。2,013年4月、参議院予算委員会で、侵略を認めた村山談話について問われ、「侵略の定義は学問的に定まっていないと言っていいだろうと思うし、国と国の関係においてどちらか側から見るかで違う」と疑問を呈しました。侵略した事実を正直に認めず、その後も加害国に対する真摯なお詫びの言葉に欠けるようです。淋しいですね。

写真は今回のフィリピン訪問時及び1962年の皇太子ご夫婦時代の訪問時の写真です。
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2016年1月25日 (月)

富田林・寺内町(じないまち)を訪ねて

先日、「みのお市民まちなみ会議」の皆様と訪れた富田林・寺内町は、旧家の白壁と石畳が続く美しい町で、江戸時代、明治時代、大正時代の面影を色濃く遺し、町を歩くとまるでその時代にタイムスリップしたように感じられました。私にとっても初めて訪れる地であったので、一層そのように感じられました。当地の観光ボランティアガイド・樋口さんの巧みな、わかりやすい説明もあり、一行15名は楽しく視察を行うことができました。

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富田林へは、大阪天王寺から近鉄南大阪線で約30分。下車して東側に歩を進めると直ぐに寺内町の町並みが開けます。寺内町(じないまち)とは、室町時代に浄土真宗の寺院の境内に発達した集落で、周りに堀や土塁を巡らし、他宗派や封建領主の攻撃に備えた町です。他には、越前の吉崎、大阪の石山、奈良の今井町などが有名です。

富田林・寺内町は永禄初年(15581561)に誕生しました。京都興正寺の証秀上人が訪れ「荒芝地」を銭百貫文で購入、近隣4ケ村から8人の有力者を集めて興正寺別院を建立し8人衆の合議制のもとで御坊を中心とした町づくりが行われました。

 
その後、織田信長、豊臣秀吉の時代にも独立を維持し、江戸時代には幕府の直轄地(天領)となり、近くを流れる石川の水運と東高野街道・千早街道が交差する陸運に恵まれて宗教自治商業都市、在郷町として発展、今日に至っています。
 
平成9年には、大阪府で唯一の国の「重要建築物群保存地区」として指定され、更に平成20年には「日本の美しい歴史的風土100選」にも選定されています。町には、往時、木材業、酒造業、油業などを営んでいた旧家を含めて約250軒が伝統的民家としての風格を今も漂わせています。
 
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なぜこのような美しい歴史的な町並みが維持されて来たのでしようか。明治、大正、昭和と時代を生き、昭和の高度経済成長の時代も、境内は開発されず、そのまま残ったそうです。しかし昭和58年、境内にある杉山家が不動産屋の手に移り、一時、町の環境維持が危機に陥った時がありましたが、文化遺産に理解のある当時の市長さんが、これに反対し、不動産屋から買い戻したということです。これを端緒として、その後住民による保護運動が盛んになり、平成6年には町の保護運動組織が結成され、現在に至っています。

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町を歩くと、虫籠窓、忍返し、煙だしなどの昔の建築様式、更には、「当てまげ」という町筋の道と道を半間ほどずらし見通しを妨げるような道路上の工夫、などが見られ興味深く鑑賞させて頂きました。また古い町屋を若い方が廉価で借用し営んでいる町屋カフェやレストランが沢山見られました。

我々が視察していた時、富田林小学校の生徒が先生に連れられて町を散策し、勉強している姿が目に入りました。

このような社会見学は将来、郷土を愛する子供たちを育てるに役立つことだと思いました。

JInai-machi is the name of a town once protected by moats and earthworks, centering on a Buddhist Temple of the Shinshu sect.Tondabayasi Jinai-nachi was built in 1558-1561.Shoshu Shonin, a high priest from Kosho-JI Temple in Kyoto,came to Tondabayasi  and bought uncultivated grassland for 100 kan mon.
He assembled eight persons of great influence from local villanges,
and built the Kosho-JI Betsuin or a branch temple.Under the council system of these eight persons, they started to build the town centering on this temple.


(記:八木芳昭)
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2016年1月23日 (土)

SMAP騒動とブラック企業説

SMAPやAKB48などの明るい歌声は、この閉塞感に満ちた今の世において、若者のみならず、私もそうですが、多くの我々国民全員にもささやかな希望を感じさせるような雰囲気を与えてくれています。

しかし、SMAP独立問題に端を発した某芸能プロダクション内の騒動を単なる一プロダクションの問題として語るわけにいきません。この騒動を、ブラック企業の問題として捉える見解が労働関係の法律家の方々によって提起されましたが、当を得ていると思いました。

ブラック企業といえば、過酷な労働を強いて、若い女性の命を奪った「ワタミ」が、ようやく責任を認めて謝罪し和解しました。ブラック企業は、従業員に過酷な労働を強要するが故に、短期的には生産性を上げ利益を上げることができるかも知れません。しかし長期的には、そこで働く人々の協働感を得ることができず、企業は消滅の道を歩みます。

政治の世界でも言えることです。政治のブラック企業化が始まっています。国民の声を聞かないで、自分本位にことを進める党派は、短期的には見かけの成果を上げることができますが、いずれは、国民も馬鹿ではありませんから、国民の厳しい審判を受けることになるでしよう。

さて、SMAPの話に戻りますが、ワンマン経営者によって5人のメンバーは犠牲を強いられています。40歳を過ぎたのにかかわらず、自由な行動に縛りをかけられ、可哀想に感じます。自由にさせてあげたい気持ちです。これにまた、官邸が騒動の収拾に一役買ったとも伝えられています(国会での懸案事項が山積みになっているにかかわらず)。これは政権側の問題点を覆い隠し、不満の矛先を自らに向わないようにしているのではないかと、つい考えてしまいますが、これは考えすぎでしようか。

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2016年1月20日 (水)

半藤一利著「昭和史 上下巻」を読んで

*今、我が家から少し歩いた箕面の山裾には蠟梅(臘梅)(ロウバイ)が黄色い小さな花を一面に咲かせています。このあたりの風景だけを見ていると世は平穏で平和に満ちているようです。

*さて、年末から年初にかけて、半藤一利さんの「昭和史(上下巻)/平凡社」 を読みました。実はかなり以前に購入していたのですが、読む時間がなくて積読してありました。昭和史の概要については把握していますが、詳しくその真相を知ろうと読むことにした次第です。故司馬遼太郎氏は、「昭和の初期、特に昭和10年~20年までの間は、日本にとっては魔の時代であり、長い歴史の中でも特に非連続の時代であった。あんな時代は日本ではない。日本と日本人を調子狂いにさせたとしか思えない」、と述べられていました。

この期間は、日本においてはいわゆる軍国主義の時代で、軍部が独走し、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と続き、日本を破滅に導きました。

*さて、半藤氏の本にもこの期間、形だけは議会政治が行われてはいましたが、軍部と好戦的な政治家が我が物顔にのさばり、中には良識ある政治家もおられましたが、軍部の暴走を阻止することができなかった。天皇陛下も戦争に反対されていましたが、強硬なこのような動きに対して、どうすることもできない状態におかれていたようです、と記されています。

よく「歴史に学べ」といいますが、半藤氏は「それは歴史を正しく、きちんと学ぶという条件のもとで意味があるのであって、その意思がなければ、歴史はほとんど語ってくれません」と語っています。そして、半藤氏は、この本の中で「国民的熱狂をつくってはいけない」ということを何度も強調されているのが印象的でした。

昭和史全体をみて、なんと日本人は熱狂したことか、心ない政治家や軍部、マスコミに煽られ、いったん燃えあがってしまうと冷静にはなれない日本人。日本人というのは日頃は冷静で、美を愛で、ものの哀れを感じる繊細な精神を有する民族ですが、「熱しやすく、冷めやすい」という好ましくない国民性が、徒(あだ)になったようです。

歴史は繰り返すといいますが、現在の日本の政治をみていても、昭和の初期と同じようなことが起こらないとは言い切れないような感じがします。何とか日本人は、如何なる局面でも、立憲主義に基づき、自分の意見を持ち、間違った動きに流されないようにすることが必要であると改めて感じた次第です。いつまでも平和が維持されて欲しいと思います。
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2016年1月17日 (日)

シングルマザーに救いの手を差し伸べている都市・浜田市

先日、放送番組「ガイアの夜明け」で、地方自治体の中にシングルマザーに救いの手を差し伸べている都市があり、その様子が放映されるという話を知ったので、興味をもって観た。

世知辛い現在の世の中、弱者に親切だとはお世辞にも言えない現政権の下で、本当にそんなところがあるのかと半信半疑であったが、事実は本当であった。地方には心温かい人間味のある施策を考えておられる方もいるのだということを知り、日本人本来の助け合いの精神が依然として生きていいることを知って安堵しました。

そもそも、このようなシングルマザーに救いの手を差し伸べる施策が出て来る背景には、高齢化と人口減により、人材不足で困っている地元の企業や施設に、都会からの移住者に来てもらいたいという要望があったからだということなのですが。

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島根県で最も高齢化が進む浜田市。2040年には20〜39歳の女性人口が半減すると予測される「消滅可能性都市」のひとつだそうです。 市街地でも、通りを行き交うお年寄りの姿が目立つ。

浜田市の特別養護老人ホームでは、60〜70代のパート女性が、さらなる高齢者を介護するという「老老介護」の状態。浜田市は、そんな高齢者介護施設で働いてくれる人材を探すことにした。 狙いは「都市部で暮らす、ひとり親世帯」。移住者には給与や養育費、家賃補助など、1年間で最大400万円相当の支援をすると発表した。すると、3世帯の募集に対して150件を越える問い合わせが殺到した。

選ばれたその中のお二人を紹介します。

お一人は、大阪で幾つかの仕事を掛け持ちしながら、中学2年生の息子を育ててきた谷和香苗さん(45歳)。多忙で息子と向き合えない現状を、田舎に移住することで変えたかったと言う。

もうお一人は、名古屋で2才の娘を育てていた立松凛さん(23歳)は、待機児童の問題で娘を保育所に預けられず、そのためフルタイムの仕事にも就けないという状況から抜け出すためにやって来た。

(番組でも実名で紹介されていたのでこのまま記載させて頂きます)。

今、お二人は、知り合いのいない新たな土地での生活にも慣れ、仕事と子育てを両立させ、職場でも、戦力となり元気に働いておられるという。

お二人のこれからの幸せを祈願したい。

(写真は「ガイアの夜明け」から流用)
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2016年1月15日 (金)

1月15日、西江寺/阿比太神社  どんど焼き

今日、1月15日は、「どんど焼き」の日でした。
私の近所にも「どんど焼き」が行われるところが2カ所あります。一つは箕面滝道にある聖天宮西江寺。ここは修験道の開祖・役行者が創建した寺ですが、聖天宮という名も付いていますように、神仏習合の歴史が色濃く残る寺兼神社です。もう一つは、阿比太神社です。これは、れっきとした神社です。

今日はまず、しめ縄を持って西江寺へ行き、燃やしてもらい無病息災をお祈りしました。次に阿比太神社の様子も見て来ました。どちらも近所の方々が次々に、しめ縄などをもって訪れ、賑わっていました。...

阿比太神社では、小さな子供さんを抱いた若いお母さんが、“だるま”を持って来て、焼いてもらっていました。多分、出産という願いが叶い、今後の家内安全、無病息災を祈るためでしよう。ほほえましく思いました。

下記は、「どんど焼き」について調べた内容です。ご参考まで。
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「どんど焼き」は、小正月である1月15日に行われることが多いのですが、地域によって違いがあるそうです。お正月に飾った門松や注連縄(しめなわ)飾り、書初めなどを、松の内(関東地方では、1月1日~6日、関西地方では14日までとしている地域もある)が明けてから持ち寄って焼きます。「どんど焼き」は通常、神社で行われますが、町内会などでも行われる場合もあります。またお守りやお札、だるまも、神社によっては燃やしていいところがあります。

なぜ「どんど焼き」をするのかといいますと、民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えたその年の歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされ、一年の家内安全、無病息災や五穀豊穣を願うものです。お盆にも火を燃やす習俗がありますが、こちらは先祖の霊を迎え、その後送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられています。どんど焼きの起源は諸説ありますが、平安時代の宮中行事に求めるものもあります。

ところで、その火で焼いた餅を食べる、また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲に撒くとその年の病を除くと言われています。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われています。「どんど焼き」の呼び方ですが、門松の中の竹が燃えて割れる音が「どんど」と聞こえることから命名されたそうです。地方によって呼び方が異なり、とんど、とんど焼き、どんど、どんど焼き、左義長(さぎちょう)など様々です。
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2016年1月12日 (火)

留学生との歓談

先日、中国からの留学生4人の方々を我が家の昼食に招き、楽しく、有意義なひと時を過ごしました。彼女らは、それぞれ専門が異なる仲良しグループです。

まずは、昼食前に箕面滝道の名所を案内しました。西江寺、瀧安寺などのお寺では、仏教のこと、神道のこと、神仏習合のこと、修験道と役行者のことなどについて、自作の日英併記のガイド資料を使って日本人の信仰の拠り所となっているところを理解してもらうようにしました。また箕面滝道のお土産、モミジの天ぷらや柚子商品を味わってもらいました。昆虫館では、方蝶園で蝶が自由に飛び交う様子に興味をもって頂いたようです。

その後、我が家へ向い、家内の日本風手料理を楽しんでもらいました。料理もさることながら、料理方法(卵焼きなど)、食器、茶器などに大変興味をももって頂き、また抹茶の点て方も練習してもらいました。その後、孫文のこと、近代の日中関係のこと等々についても話が弾み、最後に家内の趣味であるデクバージュの作品について、大変興味をもって頂いた様子で、その作り方やデザインなどについて質疑が絶えませんでした。

時の経つのも忘れて気付けば外は暗くなっていました。

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消防出初式

1月3日、消防出初式というのを初めてリアルに見ました(場所は近くの箕面西小学校)。 吹奏楽団による演奏が行われ、子供たちのためのコーナー、ミニ消防車乗車などがありました。

圧巻はヘリコプターによる箕面ユルキャラ「滝の道ゆずる君」救出訓練、放水でした。孫も一緒に連れて行きましたが大変喜んでいました。 消防に携わる方々の日常のご苦労に感謝です。
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旅の思い出:チェコ・プラハの春

写真は、チェコ・プラハにあるヴァーツラフ広場です。 2014年2月に中欧を旅した時のものです。ここだけは是非見たいと思っていたので、他の旅行者とは少しの間別れて訪れました。 ====================
ここはプラハ随一の繁華街です。この広場はかつて馬広場だったところで、長さ750m、幅60mもあります。この広場の国立博物館寄りに聖ヴァーツラフの騎馬像があります。ヴァーツラフはチェコでキリスト教を初めて公認した王です。 この広場は1968年に、当時の改革派ドプチェク氏が率いた民主化運動「プラハの春」が起こった場所で有名です。市民はこの広場に座り込み、自由を求めてソ連の軍事介入に抗議しました。この時、私はテレビで、その様子を見ていましたが、全体主義の恐ろしさを如実に感じました。
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2016年1月 2日 (土)

Happy New Year ! 

Happy New Year, My Friends !
I wish all of you a happy, prosperous New Year for 2016.

New Year’s day is called as Shogatsu (正月) and the greatest day of the year in Japan.

During the first some days, the entrance of houses are decorated with a pair of small pine trees and bamboo stems, and rice cakes (餅) decorated with fern leaves and an orange are placed in the alcove. People drink called Toso(a kind of 酒)and eat Zoni soup(雑煮). 
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We usually go to shrine to worship for good luck with our family.
Yesterday, I went to shrine, too, with my family and got lucky charm.   

I hope that the world is getting better in 2016.

best regards,

From Yagi yoshiaki
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2016年1月 1日 (金)

新年における大伴家持の気持ち

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
毎年元旦になると、「万葉集」の最後を飾る大伴家持の歌が思い浮かびます。家持が天平宝字3年(795)の正月元旦、左遷され因幡守(鳥取県)となって迎えた賀宴において歌ったものです。

「新しき 年の初めの 初春の  今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)」

(新しい年の初めの初春の今日、めでたくも降る雪のように、いよいよ良いことが重なるように)、いう意味ですが、この歌は決して明るい雰囲気の歌ではありません。左遷され都から離れて淋しく暮らす家持が何か良い転機が訪れることを期待して歌ったものと想像されます(昔、正月に降る雪は、その年が、豊年になる前兆だと言われていました)。

いま、世界や日本において、必ずしも明るい将来的な展望があるわけではありません。世界的にみても、今後世界が良い方向に向かっていくと思う人たちが次第に少なくなってきているようです。しかし何とか、大伴家持のように希望だけは失いたくないですね。

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さて、話しが少し変わりますが、大晦日の紅白歌合戦では紅組が久し振りに勝利しました。嬉しいことです。たかが歌の世界とはいえ、白組が勝ち続けることは、望ましくないと思っていました。

全ての分野においても、双方がバランスよく均衡を保っている姿が自然な姿であると思います。また、この紅白歌合戦では、若い人たちの歌に混じって、美輪明宏「ヨイトマケの唄」、森進一「おふくろさん」、高橋真梨子「五番街のマリーへ2015」などの芯のある歌や、レベッカ「フレンズ」などの懐かしい歌を聴けて楽しく感じました。

写真は今日、近所の「阿比太神社」に娘夫婦、孫とお参りした時の写真です。参道は人の列が続いていました。
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空気を読む、という危険性

今年も今日で終わり。フェイスブックへの投稿は久し振りです。 出版社から送られてきた初稿の校正を昨日終えました。今回の書籍(仮称:日本人のモノづくりのこころ)は、古典や現代の文化人などからの引用部分が多く、どれが自分の意見で、どれが引用かを明確にする作業に多くを費やしました。表紙のデザインもほぼイメージしたものが出来上がり満足しています。来年3月初めには出版できそうです。

写真は、今月26日、枯山水庭園で有名な京都の龍安寺を訪れた時、鏡容池の廻りを歩いていて撮った写真です。かつてはおしどりが群れ遊んだところからおしどり池と呼ばれました。池の堤防から龍安寺全景の山々が眺望され、四季それぞれの風景に定評があります。 =====================
ところで、今年は「空気を読む」という言葉の危うさに気づかされた一年でした。 今までこの言葉は、「その場の空気を読んで行動する」というように、人間社会において、皆がお互いに協調して生きていくための生活の知恵として、大きな役目を果たしてきたと言えます。

しかし、この言葉は、他の方々が述べているように、使い方を誤れば大変危険だと改めて感じるようになりました。特にこれが、組織集団や政治の世界で使われる場合です。たとえば、誤った権力者によって描かれた未来図に従って、皆が大した疑問も抱かずに、ただ他の人が賛成しているからというだけで、これは大丈夫だから自分も賛成しようと、世の中の空気を見て行動すると大変なことになります。

人間って弱い者です。何も問題がない平穏な状態であればいいのですが、国際情勢が流動化し、食糧難やエネルギー難などで、自分の国が窮地に陥れば、突然、自国中心主義となり、悪いナショナリズムが台頭し、誤った、いわゆる強い独裁的な指導者に煽られる危険性が増大すると思うのです。今、フランスやアメリカの政治の舞台で起こっていることをみると、一層そのように思います。我が国も例外ではありません。 ですから、「空気を読む」必要がある場面は、各人が慎重に選んで決める必要があると思うのです。
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