北野天満宮
(北野天満宮)
先日、梅の花を見るために京都にある北野天満宮へ行って来ました。予てから行きたいと思っていたところですが初めての訪問です。平日でしたが、沢山の人が詰めかけていました。結婚式も行われていましたので、それも写真に収めました。
北野天満宮といえば、学問の神様、菅原道真が祭神として祀られているところで、全国約1万2千社の天満宮、天神社の総本社であり、天神信仰の発祥の地です。菅原道真は学者出身の政治家として、右大臣という要職に任命され、左大臣藤原時平と並び国家の政務を統括しましたが、藤原氏の策謀により太宰権師に左遷され、そのわずか2年後、大宰府の配所にて波乱の生涯を閉じました。...
道真は、江戸時代における寺小屋では、道真の姿を描いた「御神影」が掲げられ学業成就や武芸上達が祈られたそうです。
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境内には梅と、天神様のお使いとして臥牛(伏した牛)の像や彫刻が目につきます。
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まず梅のことですが、梅について道真が詠んだ次の有名な歌があります。知ってはいましたが、ここ北野天満宮で梅の花を眺めていると、道真が生きた時代に思いを馳せ、一層素晴らしく心を打つ歌だと感じました。
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「東風(こち)吹かば匂(にほ)ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」 (菅原道真、拾遺和歌集より)
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歌の意味は、“東風が吹いたならば配所にいる私に、風に託して匂いを送って寄こしてくれ、梅の花よ、家の主人がいなくなったとしても、花の咲く春を忘れてくれるな”という意味です。
道真は梅をこよなく愛しました。この歌は大宰府へ左遷され旅立つにあたり、住み慣れた都を去るに当たり、懐かしさの余り、自邸に咲く梅の花に別れを惜しんで詠んだ歌です。
いわれなき無実の罪により大宰府へ左降される道真の深い悲しみと望郷の想いが溢れている名歌として現在まで語り継がれています。栄達を巡る人間関係の煩わしさは、いつの時代も同じですね。道真の命日にあたる2月25日は梅花祭が厳粛に行われるそうです。
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さて、臥牛のことですが、牛は道真が丑年生まれであったことと、大宰府で生涯を閉じた際、道真の遺骸を運ぶ途中で車を引く牛が座り込んで動かなくなって、やむなく付近の安楽寺というところに埋葬したという故事に由来し、この伝説から神牛は臥牛の姿で表されているそうです。
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