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2016年3月

2016年3月30日 (水)

留学生・ブームさん

先日の土曜日、タイ国からの男子留学生のブームさん(愛称名)が、我が家を訪ねてくれました。彼は一昨年日本に来て、大阪での語学研修の後、東京の大学へ進学しましたが、東京へ行くまでの1年間、我が家でホームビジットとしてお世話させて頂きました。

来日した時は、殆ど話せなかった日本語も、2年経った今、流暢に話せるようになり、まるで別人のようでした。 その日は、新宿から夜行バスで大阪へやって来ましたが、バスの中では殆ど一睡もできなかったということで、7時頃我が家に着いてから朝食をとり、その後2時間ほど睡眠をとってから、私と家内ともども出かけました。

彼は1年間過ごした箕面近辺が懐かしいというので、箕面の滝道を散歩のあと、1年間勉強した学び舎へ、その後万博公園へ向かいました。万博公園では桜はまだ咲き始めでしたが、日本庭園などを歩き、初春の雰囲気を楽しみ、また当日、女性の大道芸人の方がアクロバットを演じているのを見ながら、大阪での思い出、東京での生活などについて、彼が話してくれるのを聞きながら、夕方までの時間があっという間に過ぎました。

夜はタイ国留学生仲間で毎年行っている同窓会に出席するとのことでした。留学生仲間の結束力が強いなあ、と感じました。
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2016年3月24日 (木)

東日本大震災復興への思い:自然と共生する生き方

3.11の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が起きてから5年が経ちました。 この程、フェイスブックの友人である阿部恒雄さんから、「復興への思い」というタイトルで「福島みんなのNEWs」への投稿のお誘いがありました。阿部さんは、「Web News リベラ」の代表理事・エディターをされています。

私は関西に住む者として、関西電力の福井原発の安全性については無関心ではおられません。特に琵琶湖が原発事故によって汚染される可能性がないとは限りません。このことを含めて、「自然との共生」という言葉で、復興への思いを述べさせて頂きました。

以下はその記事です。少し長文ですが読んで頂ければ幸いです。 同じ内容が、http://www.fukushima-net.com/sites/content/1973 (福島みんなのNEWs)に掲載されています。

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復興への思い “自然と共生する生き方”

3.11の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が起きてから6年目に入りました。震災が起きた時、私は地震による大津波とそれによって引き起こされた福島原発事故の悲惨さに慄(おのの)くとともに、物理学者で随筆家でもある寺田寅彦の「天災は忘れたころにやってくる」という有名な言葉を思い出しました。

 寺田寅彦は夏目漱石の愛弟子でもあり、漱石の作品『吾輩は猫である』に寅彦をモデルとした登場人物がいることはよく知られています。  寅彦はあるエッセイの中で、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度を増す。文明が進むにしたがって、人間は次第に自然を征服しようとする野心を増大させ、自然の暴威を封じ込める堤防やダムなどの人工的造営物を建設したが、しかしその脅威を完全に防ぐことができず、度々の災禍に見舞われた。その災禍は忘れた頃にやってくるので、十分な予防策が必要だと言っています。

さらに寅彦は、日本について、西欧の文明諸国と比べて、地勢学的にも、気象学的・地球物理学的にいっても、特殊な環境の支配を受けており、その最大のものは「天変地異」であり、これに悩まされることによりかえって我が国の「国民性」の上に好ましい影響、すなわち、環境に対する観察の精緻と敏捷を付与したのではないか、そして、自然の神秘とその威力を知ることが深ければ深いほど、日本人は自然に対して従順になり、自然を師として学び、自然自身の太古以来の経験を我が物として自然の環境に適応するように努めて来た、というのです。そして「日本人にとって自然は、一方では、ひとたび荒れ狂うと手がつけられないほどに凶暴な『厳父』のような存在だが、しかし他方では、我々が豊かに包み込む慈母『慈母』のような存在でもある」と述べています。

これは自然と共生する生き方こそが日本人にとって相応しい生き方であることを示唆しているように思われます。 自然と共生するのがベストな生き方ならば、日本人は何故、自然に刃向い、自然を征服するような原子力発電をエネルギーとして選択したのでしようか。原子力発電は、自然を征服しようとする西欧技術文明がもたらしたものです。このエネルギー選択に当たって、我が国の賢明な人たちが頭を絞って、自然との共生を図る道を選んでいれば、太陽光や風力、地熱などの、いわゆる地球にやさしいエネルギーを選び、福島のような悲惨な事態は起こらなかったとも言えます。しかし済んでしまったことを幾ら嘆いても始まりません。これからは原発をできるだけ早くなくし、原発に頼らない社会を実現する方向に進んでいくべきだと思います。

 原発を巡る議論は今も活発ですが、各社の世論調査を見ても、今もなお国民の多くは「原発がないほうがいい」「原発にできるだけ頼らない社を実現すべきだ」と思っています。ただ震災直後の世論と比較すると、原発反対のムードが若干弱まり、風化しつつある傾向が見られることは残念です。日本人の強みでもあり弱みでもある、熱しやすく冷めやすい国民性が現われているようです。一方、現政権は大多数の民意を無視して原発の再稼働に熱心で、最近では原発の安全神話を復活させるような発言も行っています。ましてや将来的に原発をどのようにしていくかの明確なビジョンを示さずにいます。たとえば野田政権が2012年9月に打ち出した「2030年に原発ゼロを目指す」といったようなビジョンです。このようなビジョンが若し国民の間で合意されていれば、今頃は廃炉の問題や自然エレルギー利用への道はもっと加速していたであろうと思うと残念でなりません。世界では、ここ10年自然エネルギーの本流化が急速に進んでいますが、日本は遅れをとっているようです。社会を全体として、どのようにすべきかの視点、すなわち哲学的思考が欠如しているといえます。

さて私も含めて関西に住んでいる人々にとって気がかりなのは、関西電力の原発依存が電力会社の中でも突出しており、福井県には多くの原発があり、しかも琵琶湖がそれに近接しているということです。琵琶湖の水資源に依存している多くの人たちがいます。琵琶湖の水が、万一原発事故によって汚染されればどうなるのでしようか。少なくとも、京都、滋賀、大阪の生活基盤や文化が一瞬の内に破壊されてしまいます。福島原発事故により故郷を去り、県外に避難を余儀なくされている福島の皆様のご苦労を想うと、いつかは、我々も同じような運命になるかもしれないという不安に襲われます。

このような不安に慄く滋賀県住民の有志の方々の訴えにより、大津地裁は、3月9日、関西電力高浜3、4号機(福井県)の運転を差し止める仮処分決定を出しました。稼働中の原発を司法が止めるのは初めてのことです。従来の司法は政権の意向を忖度し、原発稼働には容認の態度を取ってきたようですが、良識ある裁判官が徐々に育ちつつあることは嬉しいことです。今回の大津地裁の判決では「単に発電の効率性をもって、甚大な災禍とひきかえにすべきだとは言い難い」と述べています。関西電力という企業経営の安泰を図ることよりも先ず考えなければならないのは人命の尊重です。経済成長を重視するあまり、経済効率優先という何ごとも利潤を動機として動き、人々が平和に幸せに暮らせるという社会全体の安寧を考えない考えは、人間として恥ずべきものとしなければなりません。 原発再稼働をするか否かの判断は、特に原子力は人間が制御不可能なエネルギーであるが故に、社会全体としてかくあるべきであるという判断が求められるのではないでしようか。

今年のノーベル文学賞の受賞者であるベルラーシの女性作家スベトラーナ・アレクシェービッチさんは、チェルノブイリ原発事故などの経験を基に、「国家というのは自国の問題や権力を守ることのみに専念し、人は歴史の中に消えていくのです。だからこそ、個々の人間の記憶を残すことが大切なのです」と述べています。チェルノブイリ原発事故が起こったのは旧ソビエト連邦という全体主義政治体制の中で起こったことであり、日本と比較することは適当でないかもしれませんが、原子力の利用については、国と一部の科学者からなる専門家集団に任せるのではなく、市民や国民が、自分たちの問題として捉え、最後に決めるのは市民や国民であるという“科学技術のシビリアンコントロール的”な考え方が必要だと思われます。これには、科学と社会と経済の問題を俯瞰的にも見ることができる知見を有した人物が求められます。

さて最後に、震災後5年経過した復興そのものについて述べたいと思います。震災の復興は、一部には進んでいるところもあるようですが、全体としては遅々として進んでいないようです。安部自民党政権は「創造的復興」を掲げましたが、「創造」どころか「復旧」さえ見通せない状態であると多くの被災地の首長は嘆いておられるようです。復興計画立案に時間がかかり過ぎ、その間に高齢化と人口流出が進んでしまいました。政治家を含めて、全体として知見のある人が主体となって復興が進められなかったことが原因です。被災した市民個々人への支援が不十分で、堤防などの巨大なインフラ整備に偏り過ぎているという声がよく聞かれます。被災地には持続可能な社会を再建するという考えが必要です。 しかしまだ遅くありません。これからは被災した市民個々人への支援を重視する方向へ向かって欲しいと思います。市民の声をもっと汲み上げ、政府や行政任せの状態にならないようにして欲しいと思います。

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良き日本の企業風土を護るために→ブラック企業淘汰を!

春の訪れが急ピッチで進んでいます。我が家にもクリスマスローズやアセビ(馬酔木)が可愛らしい花を咲かせています。近くの溜池の周りの柳は淡い黄緑の葉を風に靡かせ始めました。さて今日は久し振りに日本の企業のことについて触れたくなりました。

我が国には創業100年とか200年という企業が沢山存在します。他の国に比べて圧倒的に多いです。何故このように多いかといいますと、我が国は聖徳太子の「和を以て貴しとなす」という言葉が示すように、他国に比べれば、古代より、国民は平等で、皆で助け合って生活して来たということにあると思います。企業について述べれば、このような環境の中、職人を尊ぶ(広く実務をする人といってもいい)精神が芽生え、経営者も従業員もお互いに仲良く協調してやって来たと思います。そして「私欲起こせば家を破壊する」というような誡めがあり、企業経営者を律して来ました。このような風土が日本の企業を支えて来たといっても過言ではありません。

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ところが、先日、ガイアの夜明け「会社と闘う者たち~長時間労働をなくすために~」という番組を観ていて悲しくなりました。 「和民」という会社がブラック企業と見做され、1人の若き女性従業員の方が犠牲となり命を絶たれたことは記憶に新しいですが、まだまだこのようなブラック企業が多いことに驚きました。ドンキホーテ、すき家、アリさんマークの引越社、等々です。


「アリさんマークの引越し社」について番組で紹介されていた内容は次の通りです(番組の概要から引用):Aさん(34)は、家族を持ち、現役社員として働きながら会社と闘っている。Aさんが訴えたのは「月300時間を超える長時間労働」に対する「残業代の未払い」。さらには、車両事故の高額な弁償金を社員個人に負わせる「弁償金制度」である。長時間労働の上に、その疲労から事故を起こせば弁償金を背負わされ、更に働かなければならない悪循環・・・Aさんは会社に是正を求めるため、社外の労働ユニオンに加入・・・団体交渉などを通して問題を解決しようとした。・・・しかし直後に会社側は、Aさんを「シュレッダー係」に異動させ、その後一方的に懲戒解雇を言い渡して来たという。企業側はAさんに対する対応の正当性を訴える。そして今、労働組合とAさんは東京都労働委員会や裁判を通して闘い続けている。

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このような企業が日本に存在するのは、“日本の恥”だと言ってもいいでしよう。このような、人を大切にせず、社会に貢献しようという意思が微塵もなく、経営者の私腹を肥やすためにやっているような企業はいずれ淘汰されるはずです。このような企業は日本から見れば例外的な企業と見做していいと思います。 最後にこのような良き番組を制作している「ガイアの夜明け」のスタッフの皆様に敬意を表したいと思います。
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2016年3月17日 (木)

マーティン・ファクラー「安部政権にひれ伏す日本のメディア」

マーティン・ファクラーさんというニューヨーク・タイムズ前東京支局長が書かれた「安部政権にひれ伏す日本のメディア」という本を読みました。また中島岳志さん・島薗進さん共著の「愛国と信仰の構造~全体主義はよみがえるのか~」も併せて読みました。今日は、前者のマーティン・ファクラーさんが述べられていることについて、私が興味を感じたことについて記したいと思います。
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彼は10年間、日本に特派員として滞在した、普通の常識的な考えの持ち主です。今後、日本のポジティブな部分を英語圏に発信する仕事を通じて、長年暮らしてきた日本に恩返ししたいと述べています。
マーティン・ファクラーさんによれば、日本は今、特定秘密保護法が成立し、確実にアメリカ型の社会へと変質していると言っています。この流れを食い止めるために今、国民とメディアが立ち上がらなければ、いずれ権力は必ず本性を剥き出しにしてくる、と警告してくれています。
ごく最近では、高市早苗総務相が、政権に都合の良い報道をしなければ放送局の「電波停止」をすると発言し、その後野党によりこのこ...とを追求されても、政権によるメディア支配、自由な言論封じの可能性を肯定しています。恐ろしいことです。

アメリカでも政権からメディアにかかる圧力は日本よりも強いそうです。しかしアメリカではあるジャーナリズムが政権の圧力を受け、危機に瀕すると、他の新聞や報道機関が会社やメディアの垣根を越えて擁護するためのメディア・スクラムを組んでキャンペーンを張るのだそうです。
しかし日本ではどうでしようか?
日本では、従軍慰安婦問題における「吉田証言」や原発の「吉田調書」に関して朝日新聞に小さい不適切な記事が掲載された時、安倍政権はことさらに朝日新聞を攻撃し、慰安婦問題が全く存在しなかったような態度を取り続けました。他のメディアも朝日新聞を擁護するどころか、攻撃しました。特に右寄りの政権迎合的な産経新聞や読売新聞はその程度が顕著でした。
マーティン・ファクラーさんは、このような時でも右、左に関係なくメディアは一体となって権力に対抗して欲しかったと述べています。この時、朝日新聞は率直にその部分の誤りを認めて訂正記事を出せば良かったのです。全面的に記事を取り消すからおかしなことになったのだと、とも述べています。

話はそれますが、「戦時中に日本は悪いことをした」と認めることは、常識的で普通の考え方です。それを認めた上で「だが今の日本は違う」といった方が、相手側も納得します。あんなにベトナムに悪いことをしたアメリカが今、ベトナムと友好的な関係を築くことになったのは、アメリカが「あの戦争は間違いだった」という本心から発した意識を持ち、ベトナムもそれを認めているからである、と言っています。
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英国の新聞「ガーディアン」やアメリカの新聞「ワシントンポスト」などが最近相次いで、安倍自民党政権によるメディアへの圧力を批判しています。これらの批判をしっかりと受け止める必要があります。このことを放置すると、戦前の大政翼賛会の下での言論弾圧に繫がる怖れがないとは言い切れません。戦前、政権批判する新聞は身の危険に晒されるのを避けるため、大本営発表を垂れ流す新聞に成り下がり、軍国主義的傾向を強めるのに協力し日本を破滅させました。

今中国で行われている言論弾圧を見ていても悲しい気持ちになります。

こんなことにならないように、健全な市民社会を維持するためにも、権力は常に監視する必要があります。
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2016年3月12日 (土)

東日本大震災:天皇陛下のお言葉

(天皇陛下のお言葉)

春が一段と近づいて来たようです。我が家のカンヒザクラも満開です。この桜は大体いつも梅が咲いた後、桜が咲くまでの期間に咲きます。釣り鐘状の花が特徴で、花が下向きに咲きます。沖縄では桜と言えば、このサクラを指すそうです。

 

さて東日本大震災から早くも5年の歳月が過ぎました。行方不明者は2万以上に上り、また約17万人の方が避難生活を余儀なくされています。先日の追悼式には、天皇、皇后両陛下が参列され、お言葉を述べられました。

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そのお言葉を読みますと、「・・このような津波に対してどのような避難の道が確保できるのか暗澹たる気持ちになったことが思い起こされます」「・・今なお、自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます」「・・被災地で、また避難先で、今日もなお多くの人が苦難の生活を続けています。特に、年々高齢化していく被災者を始めとし、私どもの関心の届かぬ所で、いまだ人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないかと心に掛ります」「困難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく・・・これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います」

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天皇陛下のお言葉には、我々と同じ人間として、被災者の方々を思いやる温かい気持ちが込められているように感じました。一方、安倍首相の式辞は、他人がつくったようなものの様で、ありきたりで、政権の自画自賛的なものも混じっていて、心を打ちません。

 

大震災の復興は、一部には進んでいるところもあるようですが、全体としては遅々として進んでいません。安部自民党政権は「創造的復興」を掲げましたが、「創造」どころか「復旧」さえ見通せない状態であると多くの被災地の首長は言われています。

安部自民党政権は、オリンピックや特定秘密保護法案、安保法案(戦争法案)などには熱心ですが、肝心の国民に寄り添った思いやりのある政策には、冷淡なようです。最近の待機児童ゼロ対策などを見れば、それは明白です。
 
これは経済至上主義、国家主義という同党の性格からいって望むのが無理なことかもしれませんが・・・。政権が大震災の幕引きをしているのではないかという声さえも出ています。
 
驚くことに安倍自民党政権は、選挙を意識した政局的な思惑から、民主政権時の原発対応などを検証するというような、重要な復興政策を軽視して、とんでもないムダな作業も始めようとしています。国民は冷静に、高慢で驕りにみちた現政権の政策を監視しなければならないと思います。
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2016年3月 8日 (火)

石山寺/梅園/紫式部

1週間前の今日、滋賀県にある石山寺を家内と一緒に訪れました。主な目的は梅の花を観るためです。その日はまだ少し寒く、曇天ということもあってか、訪問客はまばらでした。

石山寺を訪れるのは、婚約時代に一度訪れた以来で、随分久しぶりです。その時の石山寺の記憶に残っているイメージは、それほど大きくなくこじんまりしたお寺というものでしたが、梅園を含む境内は思いのほか広く、今回訪れてその規模に圧倒されました。...

さて、肝心の梅の花も充分楽しみましたが、それよりも石山寺は、紫式部が源氏物語の着想を得たところだということなので、そのことを意識して境内を見てまわり、楽しみました。本堂の中にあり、紫式部が過ごしたといわれる源氏の間、梅園の中にある紫式部像、境内で催されていた「54歩で読む源氏物語展」など。最後にお土産屋さんで源氏物語をコンパクトに収めた冊子があったので興味を覚え買い求めました。
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ところで、紫式部は、仕えていた一条院の后・藤原彰子の命に従い、新作の物語を書く必要に迫られていました。その祈念のため石山寺に7日間の参籠をしていましたが、折しも八月一五夜の月が琵琶湖に映えて、それを眺めていた彼女の脳裏にひとつの物語の構想が浮かび、下に述べる説から始まる文章を書き始めたと言われています。

その部分は光源氏が須磨に流され十五夜の月に都での管弦の遊びを回想する場面として「須磨巻」に生かされることになりました。彼女の参籠したという本堂にある部屋は「源氏の間」として今も保存されています。

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月のいとはなやかに さし出でたるに「今宵は十五夜なりけり」と思し出でて、殿上の御遊び恋しく、「所々眺めたまふらむかし」と思ひやりたまふにつけても、月の顔のみまもられたまふ。(12帖 ・須磨)
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源氏物語といえば、光源氏という、人並み以上に多感好色な一人の皇子を主人公とし、彼が愛した個性的で魅力に富んだ女君たちとの目まぐるしく起こる恋愛事件の様相や運命の喜憂を、描いたものであり、とるに足らない、つまらない小説だという人もいますが、瀬戸内寂聴氏によれば、源氏物語は、ありきたりの恋愛小説ではない。

人生の深奥を見極めようとする作者の姿勢が強く感じられるもので、そのテーマは永遠に新しい。だから今もなお愛読されているのである、と述べられています。私もそのように思います。
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大和郡山市 「大和な雛祭り」

3月2日、大和郡山市で行われた奈良県ウォーキング協会主催のウォーキング、「『大和な雛祭り』と大和郡山市内を廻る10km」に参加しました。参加者は凡そ230名。少し寒さが残る一日でしたが、歩くと汗ばむほどでした。
 
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大和郡山といえば、何と言っても金魚が思い浮かびます。町を歩くと金魚の養殖池が目に付きます。大和郡山の金魚は、柳安吉保の子、吉里が甲斐の国から郡山藩主としてやって来た時、趣味である金魚を持って来たのが始まりと言われています。そして下級武士の内職として飼育され、その養殖技術は江戸時代末期から明治の初期にかけて付近の農家に伝えられました。因みに当地の金魚のシェアは全国の40%だそうです。

そして次に挙げなければならないのは、郡山城跡です。城址公園には、石垣や堀が残り、再建された櫓や塀、門などもあり、かなり広大なところです。訪れた日は、梅の花が満開で、大和郡山市長が昼食時、ゆるキャラと並んで歓迎の挨拶をされるなど、観光に力を入れている市の姿勢が見て取れました。
 
ところで、郡山城と言えば、筒井順慶ですね。織田信長の時代、順慶がこの城を築きました。順慶は35歳でこの世を去りますが、その後、豊臣秀長によって更に城郭が整備されました。

忘れてならないのは、『元の木阿弥』という諺のことです。これには諸説があるのですが、そのひとつが筒井順慶に因むものです。順慶の父・初代城主・筒井順昭が病死した際、その子順慶がまだ幼かったので、順慶の死が敵に知られないように、順昭に似た木阿弥という僧侶を替え玉(影武者)とし、薄暗い寝床で順昭が寝ているように見せかけて人目を欺き、順慶が成人して順昭の死が公表された時、替え玉の木阿弥は元の身分に戻ったという説です。

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さて大和郡山市の「雛祭り」のことですが、市の商工会・観光協会共催で、220日~36日の間、実施しており、今年で5回目だそうです。これを市民ボランティアが支えています。近鉄・JR郡山駅界隈の商店など約140ヶ所に雛人形を展示していました。この様子は写真に示してある通りです。
 
雛人形を飾る家が減少して来ている中、祭を通じて、子供たちの幸せを願い、飾る雛人形文化を伝えて行きたい、という思いが市民の皆様の間で共有されているように感じました。雛人形の中には、米澤酒店で最近見つかった江戸時代末期頃の作と見られる「古今雛」や旧遊郭の旧川本邸に飾られていた大階段の雛飾りなどがあり、沢山の雛人形を満喫させて頂きました。
 
大和郡山のことについては、ピエール瀧さんの「城下町へ行こう」という番組で凡そのことは知っていましたが、初めて現地に来て、文化や文化財が大切に保存されている所だと思いました。行政、市民の皆様の地元愛によって支えられているのでしよう。
 
郡山市には、この他にも、稗田阿礼が祀られている売太神社、藍染め工房「箱本館『紺屋』」、義経ゆかりの『厳九郎稲荷神社』など、紹介したいところがまだありますが、長くなりますのでこの辺りで終えたいと思います。
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