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2016年3月24日 (木)

東日本大震災復興への思い:自然と共生する生き方

3.11の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が起きてから5年が経ちました。 この程、フェイスブックの友人である阿部恒雄さんから、「復興への思い」というタイトルで「福島みんなのNEWs」への投稿のお誘いがありました。阿部さんは、「Web News リベラ」の代表理事・エディターをされています。

私は関西に住む者として、関西電力の福井原発の安全性については無関心ではおられません。特に琵琶湖が原発事故によって汚染される可能性がないとは限りません。このことを含めて、「自然との共生」という言葉で、復興への思いを述べさせて頂きました。

以下はその記事です。少し長文ですが読んで頂ければ幸いです。 同じ内容が、http://www.fukushima-net.com/sites/content/1973 (福島みんなのNEWs)に掲載されています。

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復興への思い “自然と共生する生き方”

3.11の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が起きてから6年目に入りました。震災が起きた時、私は地震による大津波とそれによって引き起こされた福島原発事故の悲惨さに慄(おのの)くとともに、物理学者で随筆家でもある寺田寅彦の「天災は忘れたころにやってくる」という有名な言葉を思い出しました。

 寺田寅彦は夏目漱石の愛弟子でもあり、漱石の作品『吾輩は猫である』に寅彦をモデルとした登場人物がいることはよく知られています。  寅彦はあるエッセイの中で、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度を増す。文明が進むにしたがって、人間は次第に自然を征服しようとする野心を増大させ、自然の暴威を封じ込める堤防やダムなどの人工的造営物を建設したが、しかしその脅威を完全に防ぐことができず、度々の災禍に見舞われた。その災禍は忘れた頃にやってくるので、十分な予防策が必要だと言っています。

さらに寅彦は、日本について、西欧の文明諸国と比べて、地勢学的にも、気象学的・地球物理学的にいっても、特殊な環境の支配を受けており、その最大のものは「天変地異」であり、これに悩まされることによりかえって我が国の「国民性」の上に好ましい影響、すなわち、環境に対する観察の精緻と敏捷を付与したのではないか、そして、自然の神秘とその威力を知ることが深ければ深いほど、日本人は自然に対して従順になり、自然を師として学び、自然自身の太古以来の経験を我が物として自然の環境に適応するように努めて来た、というのです。そして「日本人にとって自然は、一方では、ひとたび荒れ狂うと手がつけられないほどに凶暴な『厳父』のような存在だが、しかし他方では、我々が豊かに包み込む慈母『慈母』のような存在でもある」と述べています。

これは自然と共生する生き方こそが日本人にとって相応しい生き方であることを示唆しているように思われます。 自然と共生するのがベストな生き方ならば、日本人は何故、自然に刃向い、自然を征服するような原子力発電をエネルギーとして選択したのでしようか。原子力発電は、自然を征服しようとする西欧技術文明がもたらしたものです。このエネルギー選択に当たって、我が国の賢明な人たちが頭を絞って、自然との共生を図る道を選んでいれば、太陽光や風力、地熱などの、いわゆる地球にやさしいエネルギーを選び、福島のような悲惨な事態は起こらなかったとも言えます。しかし済んでしまったことを幾ら嘆いても始まりません。これからは原発をできるだけ早くなくし、原発に頼らない社会を実現する方向に進んでいくべきだと思います。

 原発を巡る議論は今も活発ですが、各社の世論調査を見ても、今もなお国民の多くは「原発がないほうがいい」「原発にできるだけ頼らない社を実現すべきだ」と思っています。ただ震災直後の世論と比較すると、原発反対のムードが若干弱まり、風化しつつある傾向が見られることは残念です。日本人の強みでもあり弱みでもある、熱しやすく冷めやすい国民性が現われているようです。一方、現政権は大多数の民意を無視して原発の再稼働に熱心で、最近では原発の安全神話を復活させるような発言も行っています。ましてや将来的に原発をどのようにしていくかの明確なビジョンを示さずにいます。たとえば野田政権が2012年9月に打ち出した「2030年に原発ゼロを目指す」といったようなビジョンです。このようなビジョンが若し国民の間で合意されていれば、今頃は廃炉の問題や自然エレルギー利用への道はもっと加速していたであろうと思うと残念でなりません。世界では、ここ10年自然エネルギーの本流化が急速に進んでいますが、日本は遅れをとっているようです。社会を全体として、どのようにすべきかの視点、すなわち哲学的思考が欠如しているといえます。

さて私も含めて関西に住んでいる人々にとって気がかりなのは、関西電力の原発依存が電力会社の中でも突出しており、福井県には多くの原発があり、しかも琵琶湖がそれに近接しているということです。琵琶湖の水資源に依存している多くの人たちがいます。琵琶湖の水が、万一原発事故によって汚染されればどうなるのでしようか。少なくとも、京都、滋賀、大阪の生活基盤や文化が一瞬の内に破壊されてしまいます。福島原発事故により故郷を去り、県外に避難を余儀なくされている福島の皆様のご苦労を想うと、いつかは、我々も同じような運命になるかもしれないという不安に襲われます。

このような不安に慄く滋賀県住民の有志の方々の訴えにより、大津地裁は、3月9日、関西電力高浜3、4号機(福井県)の運転を差し止める仮処分決定を出しました。稼働中の原発を司法が止めるのは初めてのことです。従来の司法は政権の意向を忖度し、原発稼働には容認の態度を取ってきたようですが、良識ある裁判官が徐々に育ちつつあることは嬉しいことです。今回の大津地裁の判決では「単に発電の効率性をもって、甚大な災禍とひきかえにすべきだとは言い難い」と述べています。関西電力という企業経営の安泰を図ることよりも先ず考えなければならないのは人命の尊重です。経済成長を重視するあまり、経済効率優先という何ごとも利潤を動機として動き、人々が平和に幸せに暮らせるという社会全体の安寧を考えない考えは、人間として恥ずべきものとしなければなりません。 原発再稼働をするか否かの判断は、特に原子力は人間が制御不可能なエネルギーであるが故に、社会全体としてかくあるべきであるという判断が求められるのではないでしようか。

今年のノーベル文学賞の受賞者であるベルラーシの女性作家スベトラーナ・アレクシェービッチさんは、チェルノブイリ原発事故などの経験を基に、「国家というのは自国の問題や権力を守ることのみに専念し、人は歴史の中に消えていくのです。だからこそ、個々の人間の記憶を残すことが大切なのです」と述べています。チェルノブイリ原発事故が起こったのは旧ソビエト連邦という全体主義政治体制の中で起こったことであり、日本と比較することは適当でないかもしれませんが、原子力の利用については、国と一部の科学者からなる専門家集団に任せるのではなく、市民や国民が、自分たちの問題として捉え、最後に決めるのは市民や国民であるという“科学技術のシビリアンコントロール的”な考え方が必要だと思われます。これには、科学と社会と経済の問題を俯瞰的にも見ることができる知見を有した人物が求められます。

さて最後に、震災後5年経過した復興そのものについて述べたいと思います。震災の復興は、一部には進んでいるところもあるようですが、全体としては遅々として進んでいないようです。安部自民党政権は「創造的復興」を掲げましたが、「創造」どころか「復旧」さえ見通せない状態であると多くの被災地の首長は嘆いておられるようです。復興計画立案に時間がかかり過ぎ、その間に高齢化と人口流出が進んでしまいました。政治家を含めて、全体として知見のある人が主体となって復興が進められなかったことが原因です。被災した市民個々人への支援が不十分で、堤防などの巨大なインフラ整備に偏り過ぎているという声がよく聞かれます。被災地には持続可能な社会を再建するという考えが必要です。 しかしまだ遅くありません。これからは被災した市民個々人への支援を重視する方向へ向かって欲しいと思います。市民の声をもっと汲み上げ、政府や行政任せの状態にならないようにして欲しいと思います。

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