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2016年3月 8日 (火)

大和郡山市 「大和な雛祭り」

3月2日、大和郡山市で行われた奈良県ウォーキング協会主催のウォーキング、「『大和な雛祭り』と大和郡山市内を廻る10km」に参加しました。参加者は凡そ230名。少し寒さが残る一日でしたが、歩くと汗ばむほどでした。
 
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大和郡山といえば、何と言っても金魚が思い浮かびます。町を歩くと金魚の養殖池が目に付きます。大和郡山の金魚は、柳安吉保の子、吉里が甲斐の国から郡山藩主としてやって来た時、趣味である金魚を持って来たのが始まりと言われています。そして下級武士の内職として飼育され、その養殖技術は江戸時代末期から明治の初期にかけて付近の農家に伝えられました。因みに当地の金魚のシェアは全国の40%だそうです。

そして次に挙げなければならないのは、郡山城跡です。城址公園には、石垣や堀が残り、再建された櫓や塀、門などもあり、かなり広大なところです。訪れた日は、梅の花が満開で、大和郡山市長が昼食時、ゆるキャラと並んで歓迎の挨拶をされるなど、観光に力を入れている市の姿勢が見て取れました。
 
ところで、郡山城と言えば、筒井順慶ですね。織田信長の時代、順慶がこの城を築きました。順慶は35歳でこの世を去りますが、その後、豊臣秀長によって更に城郭が整備されました。

忘れてならないのは、『元の木阿弥』という諺のことです。これには諸説があるのですが、そのひとつが筒井順慶に因むものです。順慶の父・初代城主・筒井順昭が病死した際、その子順慶がまだ幼かったので、順慶の死が敵に知られないように、順昭に似た木阿弥という僧侶を替え玉(影武者)とし、薄暗い寝床で順昭が寝ているように見せかけて人目を欺き、順慶が成人して順昭の死が公表された時、替え玉の木阿弥は元の身分に戻ったという説です。

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さて大和郡山市の「雛祭り」のことですが、市の商工会・観光協会共催で、220日~36日の間、実施しており、今年で5回目だそうです。これを市民ボランティアが支えています。近鉄・JR郡山駅界隈の商店など約140ヶ所に雛人形を展示していました。この様子は写真に示してある通りです。
 
雛人形を飾る家が減少して来ている中、祭を通じて、子供たちの幸せを願い、飾る雛人形文化を伝えて行きたい、という思いが市民の皆様の間で共有されているように感じました。雛人形の中には、米澤酒店で最近見つかった江戸時代末期頃の作と見られる「古今雛」や旧遊郭の旧川本邸に飾られていた大階段の雛飾りなどがあり、沢山の雛人形を満喫させて頂きました。
 
大和郡山のことについては、ピエール瀧さんの「城下町へ行こう」という番組で凡そのことは知っていましたが、初めて現地に来て、文化や文化財が大切に保存されている所だと思いました。行政、市民の皆様の地元愛によって支えられているのでしよう。
 
郡山市には、この他にも、稗田阿礼が祀られている売太神社、藍染め工房「箱本館『紺屋』」、義経ゆかりの『厳九郎稲荷神社』など、紹介したいところがまだありますが、長くなりますのでこの辺りで終えたいと思います。
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