「さもしい」という代名詞がつく政治家たち
大和言葉が多く使われている文章や書籍を読んでいると、何となくなごやかさの中にも厳かな気分を感じて、自分は日本人だなあと思わせてくれます。
そのような大和言葉について記した本のひとつに、『さりげなく思いやりが伝わる大和言葉』があります。上野誠さんという万葉学者の著書です。
(注:写真は、コバノミツバツツジです。本文とは直接、関係ありません、この間、山で見かけました。)
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その中に「さもしい」という言葉が紹介されており、現在この言葉は、もっぱら「心の、みすぼらしさ」について言及する時に使います、とあります。「さもしい」人とは、たとえば、地位や名誉、お金を得ることだけを目指している人で、目的のために手段を選ばない、信義がない人です。その反対の人は、志あるひと、信念を曲げない人で、このような生き方は、時として不器用な生き方と思われるかもしれません。信義のない「さもしい」人は、世渡りのうまい人とも言えます。だがこのような人が長期的に成功するかどうかは疑問です。
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さて、政治を行う人には、自分のことは脇に置いておいて「公」に仕える、国民のために物事を行なうことが求められます。しかし、日本においても世界においても、これに反している人が政治を行っている例がしばしば見受けられます。
九州の大地震が起こりましたが、日本人は、例外はありますが、やはり皆が助け合って困難に対応している姿を見ると、素晴らしと思います。全国の市町村の中にも、消防団やスタッフを被災地へ派遣してところもあります。
しかし、このような中、そうでない事例も見受けられることは悲しいことです。熊本地震の現地対策本部長を任されたM内閣府副大臣が、政府の会議で、被災者の方々を差し置いて、自分たち政府のメンバーへの食事の差し入れを要請し、問題となりました。さすがに政府関係の良識ある方が、「何のために行っているのか状況が分かっていないのではないか。本当に腹立たしい」と苦言を呈しました。その後、M氏は役目を解かれました。
このような人物は少ないながらも存在しています。
特に最近の自民党政権の中枢を占めている人の中にも、このような「さもしい」人がおり、国民のための政治を行うという志をもっているとは思われません。残念なことです(程度の差はありますが、昔の自民党にはもっと節度というものがありました)。
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