ウツギ(卯の花)
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2016年5月末、沖縄うるま市で起こった将来性を秘めた若き女性の痛ましい被害。残念でなりません。遠地より心からご冥福をお祈り致します。
オバマ大統領は「哀悼と遺憾の意」を表明したが、それ以上踏み込んでの発言はなかった。
沖縄県北谷町の野国昌春町長は、「大統領が具体的な対策を示すかも知れないと期待していただけに、がっかりした」、と語っている。私も、理知的なオバマ大統領なら、もう少し何かやってくれそうな感じがしたのだか期待はずれだった。
一方、安倍首相も「徹底した再発防止」を唱えるだけで、アメリカ政府に対して日本国民の真実の気持ちを伝えようという姿勢に欠けた。...
翁長知事は安倍首相と会談した後で「徹底した再発防止というのはこの数十年間、何百回も聞かされたが、現状は全く何も変わらない。安部内閣はできることは全てやるというが、できないことは全てやらない、という意味しか聞こえない」と怒りを露わにされた。
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なぜもっと強い態度でアメリカに望まないのか。独立国・日本としての矜持はないのか。
安部首相は、「現憲法は米国に押し付けられたもので恥ずかしくみっともない憲法だ」と声高に改憲を叫び、立憲主義を否定するような憲法をつくろうと目論んでいるが、今回の沖縄問題については、同じく押し付けられた「日米地位協定」なのに、廃止又は改定には尻込みしている。
戦後平和を守ってきた憲法は毛嫌い?するが、日本国民を差別し、苦しめる日米地位協定は擁護する? というのか。この矛盾は何であろうか?
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今の季節(5月中旬~6月下旬)を代表する日本的な花としては、菖蒲(アヤメ)、花菖蒲(ハナショウブ)、杜若(カキツバタ)を挙げることができます。私もこれらの花が大好きで、ゆっくりとくつろいだ雰囲気の中で見ていると随分癒さる思いがします。
先日、知人と一緒に京都で観光バスに乗り、京都駅から東南部にある勧修寺(かじゅうじ)というところ(有名な醍醐寺の近くにあります)にある「氷室の池」で、花菖蒲(ハナショウブ)と杜若(カキツバタ)を見ました。
そこで、観光ガイドの女性の方が、アヤメ、ハナショウブ、カキツバタの簡単な見分け方を教えてくれました。...
水中で咲いているのは、1)杜若(カキツバタ)、水辺で咲いているのは、2)花菖蒲(ハナショウブ)、陸で咲いているのは、3)菖蒲(アヤメ)だということです。
「いずれアヤメかカキツバタ」という言葉がありますが、「どちらも甲乙つけ難いほど美しい」という意味だそうです。この言葉は太平記や源平盛衰記に由来するという説があります。
最初の写真で、遠くに見える黄色い花がカキツバタで、手前の紫や白の花がハナショウブです。
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帰宅後、この3つの花について調べて見ました。
まず、この他に菖蒲(ショウブ)というのがありますが、これは漢字で書くと菖蒲(アヤメ)と同じですが、別物です。5月5日端午の節句の菖蒲湯に入れるショウブはサトイモ科で葉っぱが似ているだけ。花も咲くことは咲くが綺麗な花ではなく、蒲(がま)の穂のような黄色い花です。
<名前の由来>
2)花菖蒲(ハナショウブ)は、葉が菖蒲(ショウブ)に似ていて花を咲かせるから付いた名前。日本産で、江戸時代の中頃、各地に自生するノハナショウブを基に改良されたもので種類も多い。
3)菖蒲(アヤメ)は、剣状の細い葉が縦に並んでいる様子が文目(あやめ)模様だから付いた名前。
1)杜若(カキツバタ)は、かきつばたの色(青紫)を染め出させ、布などに書き付けた、つまり衣の染料に使われたことから「書付花」と呼ばれていたのが訛ったもの。
<咲く場所>
アヤメは畑のような乾燥地で栽培するのに適し、カキツバタは水辺などの湿地帯に適し、ハナショウブはその中間で畑地でも湿地でも栽培できる。
<花の大きさと背丈>
アヤメは小輪で背も一番低い(30~60cm)、カキツバタは中輪で背丈は中間(50~70cm)、ハナショウブは大輪で背丈は一番高い(80~100cm)
<花の種類と花弁の元の部分の特徴>
アヤメは花の種類は多くない。花弁の元に網目状の模様がある。
カキツバタもあまり花の種類は多くないが、花弁の元に白い目型の模様がある。
ハナショウブは花の種類は多く、紫系統の他に黄色や白、絞り等がある。花弁の元に黄色い目形の模様がある。
<花が咲く時期:5月中旬~6月下旬>
カキツバタ→アヤメ→ハナショウブ の順に咲く。
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注:勧修寺は醍醐天皇が創建した門跡寺院です。
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5月の連休前、以前から読みたいと思っていたスベトラーナ・アレクシェービッチさんの本を読んだ。この本は2015年ノーベル文学賞を受賞した本である。彼女の著作には他に、『戦争は女の顔をしていない』などがある。
この本を読んでいると、彼女が語るチェルノブイリ原発事故の惨状風景がリアルに心象に浮かんで来て、原発という近代文明が生み出した得体の知れない、人間が制御できない魔物のような恐ろしさについて、改めて思い知らされた。この本を読んだ人の多くは、事故の実際の現場を見たと同じように感じ、原発というものに頼る恐ろしさと愚かさを感じるのではないかと思った。特に日本のような地震国においては。
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チェルノブイリ原発事故が起きたのは1986年4月26日、今から30年前である。『チェルノブイリの祈り』は、事故から10年を経た1996年に発表された。なぜ直ぐに書かなかったのか?これに応えて彼女は語っている「今私が本を書いても、事故の緊急レポートにすぎず、本質はすっぽり抜け落ちてしまうであろうことを、直ぐに悟ったのです」と。
その後、彼女は、原発の従業員、科学者、元党官僚、医学者、兵士、移住者、サマショール、神を信じている人、いない人、農民、インテリ、等々にインタビューし、彼らが体験したこと、見たこと、考えたこと、感じたことを詳細に聞き出し、書籍としてまとめた。
次に記すのは、この本の一節で、自己処理技術者の妻(孤独な人間の声)が語るくだりである。
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「私、ついこの間までとっても幸せでした。どうしてですって? 忘れました。それはぜんぶ別の人生にのこしたまま。わかりません。どうやってまた生きることができたのか、生きたくなったのか、わかりません。・・・・(中略:この間、彼女の幸せだった婚約時代、結婚してからの話、そして夫が被爆後の悲惨な生活について、夫への愛情にあふれた回想が綴られている。)・・・これから先、私、どんなふうに生きればいいのかしら? あなたにはまだ全部は話していません、おしまいまでは。幸せだったのです。とても。私の名前はいりませんよね。祈りはひそかに唱えるものです。ささやくように、心の中で(沈黙)いいえ、名前を出して下さい。神様に名前をいってください。私は理解したい。なぜ私たちに苦しみが与えられるのか、理解したいのです。なんのための苦しみなのでしよう?
・・・・私には息子がいるのです。私と夫の息子。息子は長いこと悩んでいます。・・・・
息子は精神病院にいるのです。医者に宣告されました。息子が生きていくためには、そこに入ってなくちゃだめだと。私は休みの度に行きます。息子は出迎えてくれます。「ミーシャパパはどこにいるの? いつきてくれるの?」と。ほかにだれが、私にこんなことを聞いてくれます?私と息子は一緒に待ちます。私は、自分のチェルノブイリの祈りを小さな声で唱えながら。息子は、世の中と子供の目でながめながら」。
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この小説には、上記のような描写が多くを占め、読んでいて“身につまされる”思いに襲われる。夫の体が放射能でぼろぼろに剥離していくさなかでも、自己処理技術者の妻が、死にゆく夫の尊厳ある人間の姿を伝えている様子などの描写もリアルに表現されていて胸が痛む。
最後に、著者・スベトラーナ・アレクシェービッチさんが述べている、次のことが特に印象に残った。
<見落とされた歴史>
「・・・この本は・・・チェルノブイリを取り巻く世界のこと、私たちが知らなかったこと、殆ど知らなかったことについての本です。見落とされた歴史とでもいえばいいのかしら。私の関心をひいたのは事故そのものではありません・・・この未知なるもの、謎にふれた人々がどんな気持ちでいたか、何を感じていたかということです。チェルノブイリは私たちが解き明かさねばならない謎です。もしかしたら21世紀への課題、21世紀への挑戦なのかもしれません。・・・・この本は人々の気持ちを再現したものです。事故の再現ではありません。・・・・以前何冊か本を書きましたが、私は他人の苦悩をじっとながめるだけでした。今度は私自身も同じく目撃者です。私の暮らしは事故の一部なのです」。
<個々の人間の記憶を残すことの大切さ>
「私はチェルノブイリの本を書かずにはいられませんでした。~チェルノブイリは第三次世界大戦なのです。しかし、私たちはそれが始まったことに気づきさえしませんでした。この戦争がどう展開し、人間や人間の本質に何が起き、国家が人間に対していかに恥知らずな振る舞いをするか、こんなことを知ったのは私たちが最初なのです。国家というものは自分の問題や政府を守ることだけに専念し、人間は歴史の中に消えていくのです。革命や第二次世界大戦の中に一人ひとりの人間が消えてしまったように。だからこそ、個々の人間の記憶を残すことが大切なのです」。
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ゴールデンウイークも間もなく終わりです。
今年は、下の娘夫婦が横浜から孫を連れて我が家へ、連休の大半を一緒に過ごしました。その間、自宅近くの写真屋さんで七五三の早撮りをしたり、天保山へ行き、マーケットプレースにあるLEGOLANNDというところで4D映像を楽しんだり、海遊館で魚を見たりと、孫が中心の1週間でした。若い人たちと行動を共にすると我々の時代にはなかったような新しいものに触れる経験もあり、若々しさを保つことに役立つように感じます。最後の日には上の娘夫婦と彼らの孫も合流し、久し振りに賑やかな一日でした。
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5日の子供の日には、フィリピンからの男子留学生・ジョンさん(愛称)(あとの写真)を自宅に招いて昼食を共にしました。彼はバイオテクノロジーを専門とする若者です。フィリピンのこと日本のこと、等々話が尽きませんでした。彼は3年半日本で学ぶ予定とのことです。フィリピンのことについて、彼が話すことについて、今まで知らないことも多く、いい勉強になりました。
このあと、以前から我が家でお世話している韓国からの留学生・ゼユンさんが8日に我が家を訪問してくれる予定です。
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なお、以前から幾度か予告をさせて頂いている本の出版のことですが、出版社から改めて、5/末~6/初 という連絡がありました。よろしくお願い致します。
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先日久し振りにゴルフ番組を観ていると、福島浩子さんという選手が韓国のキム・ハヌル選手とイ・ボミ選手の二人と優勝争いをしていた。福島浩子選手って、聞き馴れない名前であるので、誰かと思い、もしかしてかつての女子ゴルフ界の一時代を築いた福島晃子選手の妹かと思ったが、果たしてその通りであった。
この試合で福島浩子選手はプレーオフの末、初優勝。ツアーに参戦10年、180試合目での快挙であった。これは通算24勝の姉の晃子選手に続き、史上初の姉妹でのツアー制覇という偉業?でもあった。また38歳での初優勝は歴代4位の年長記録だそうだ。しかも最近、女子ゴルフ界においては、10代、20代の選手がトップ争いをするのが殆どを占める時世でのことである。
私は、姉の福島晃子選手のファンであった。晃子選手が現役時代、試合の度に一喜一憂したものだ。その妹さんが長い苦難の末、初優勝したことを大変嬉しく思った。
「ゴルフに出会い、まっすぐな道ではなかった。今、日本の中で大変な思いをされている方もいる。あきらめないでほしい。私なりの伝え方ができれば、と頑張りました」。という彼女の涙の優勝スピーチは感動的であった。辛抱強く努力し続けていれば、いつかは報われることもある、ということを皆に教えてくれる良き教訓であった。
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