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2016年5月10日 (火)

スベトラーナ・アレクシェービッチ著『チェルノブイリの祈り~未来の物語~』を読んで

5月の連休前、以前から読みたいと思っていたスベトラーナ・アレクシェービッチさんの本を読んだ。この本は2015年ノーベル文学賞を受賞した本である。彼女の著作には他に、『戦争は女の顔をしていない』などがある。

この本を読んでいると、彼女が語るチェルノブイリ原発事故の惨状風景がリアルに心象に浮かんで来て、原発という近代文明が生み出した得体の知れない、人間が制御できない魔物のような恐ろしさについて、改めて思い知らされた。この本を読んだ人の多くは、事故の実際の現場を見たと同じように感じ、原発というものに頼る恐ろしさと愚かさを感じるのではないかと思った。特に日本のような地震国においては。
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チェルノブイリ原発事故が起きたのは1986年4月26日、今から30年前である。『チェルノブイリの祈り』は、事故から10年を経た1996年に発表された。なぜ直ぐに書かなかったのか?これに応えて彼女は語っている「今私が本を書いても、事故の緊急レポートにすぎず、本質はすっぽり抜け落ちてしまうであろうことを、直ぐに悟ったのです」と。 その後、彼女は、原発の従業員、科学者、元党官僚、医学者、兵士、移住者、サマショール、神を信じている人、いない人、農民、インテリ、等々にインタビューし、彼らが体験したこと、見たこと、考えたこと、感じたことを詳細に聞き出し、書籍としてまとめた。 次に記すのは、この本の一節で、自己処理技術者の妻(孤独な人間の声)が語るくだりである。
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「私、ついこの間までとっても幸せでした。どうしてですって? 忘れました。それはぜんぶ別の人生にのこしたまま。わかりません。どうやってまた生きることができたのか、生きたくなったのか、わかりません。・・・・(中略:この間、彼女の幸せだった婚約時代、結婚してからの話、そして夫が被爆後の悲惨な生活について、夫への愛情にあふれた回想が綴られている。)・・・これから先、私、どんなふうに生きればいいのかしら? あなたにはまだ全部は話していません、おしまいまでは。幸せだったのです。とても。私の名前はいりませんよね。祈りはひそかに唱えるものです。ささやくように、心の中で(沈黙)いいえ、名前を出して下さい。神様に名前をいってください。私は理解したい。なぜ私たちに苦しみが与えられるのか、理解したいのです。なんのための苦しみなのでしよう? ・・・・私には息子がいるのです。私と夫の息子。息子は長いこと悩んでいます。・・・・ 息子は精神病院にいるのです。医者に宣告されました。息子が生きていくためには、そこに入ってなくちゃだめだと。私は休みの度に行きます。息子は出迎えてくれます。「ミーシャパパはどこにいるの? いつきてくれるの?」と。ほかにだれが、私にこんなことを聞いてくれます?私と息子は一緒に待ちます。私は、自分のチェルノブイリの祈りを小さな声で唱えながら。息子は、世の中と子供の目でながめながら」。  ======================
この小説には、上記のような描写が多くを占め、読んでいて“身につまされる”思いに襲われる。夫の体が放射能でぼろぼろに剥離していくさなかでも、自己処理技術者の妻が、死にゆく夫の尊厳ある人間の姿を伝えている様子などの描写もリアルに表現されていて胸が痛む。

最後に、著者・スベトラーナ・アレクシェービッチさんが述べている、次のことが特に印象に残った。

<見落とされた歴史>
「・・・この本は・・・チェルノブイリを取り巻く世界のこと、私たちが知らなかったこと、殆ど知らなかったことについての本です。見落とされた歴史とでもいえばいいのかしら。私の関心をひいたのは事故そのものではありません・・・この未知なるもの、謎にふれた人々がどんな気持ちでいたか、何を感じていたかということです。チェルノブイリは私たちが解き明かさねばならない謎です。もしかしたら21世紀への課題、21世紀への挑戦なのかもしれません。・・・・この本は人々の気持ちを再現したものです。事故の再現ではありません。・・・・以前何冊か本を書きましたが、私は他人の苦悩をじっとながめるだけでした。今度は私自身も同じく目撃者です。私の暮らしは事故の一部なのです」。

<個々の人間の記憶を残すことの大切さ>
「私はチェルノブイリの本を書かずにはいられませんでした。~チェルノブイリは第三次世界大戦なのです。しかし、私たちはそれが始まったことに気づきさえしませんでした。この戦争がどう展開し、人間や人間の本質に何が起き、国家が人間に対していかに恥知らずな振る舞いをするか、こんなことを知ったのは私たちが最初なのです。国家というものは自分の問題や政府を守ることだけに専念し、人間は歴史の中に消えていくのです。革命や第二次世界大戦の中に一人ひとりの人間が消えてしまったように。だからこそ、個々の人間の記憶を残すことが大切なのです」。
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