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2016年9月 2日 (金)

チャスラフスカさんを偲ぶ

チャスラフスカさんが亡くなりました。享年74歳。チャスラフスカさんといっても若い世代の方はご存じないかも知れません。彼女と私とはほぼ同世代だったので、彼女には強烈な印象が残っています。彼女は、旧ソ連傘下の旧チェコスロバキア・プラハの出身。1964年東京五輪の女子体操で3つの金メダルに輝き、「五輪の名花」「東京の恋人」と呼ばれ、日本でもしまれました。
 
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私は、彼女の優雅な演技に魅了されたことは言うまでもありませんが、それよりも華々しい体操競技での活躍とは裏腹に、苦難に満ちた人生の中でも信念を曲げなかった生き方に魅了されました。

 
米ソによる冷戦時代、チェコスロバキアは1968年、一時ドプチェク氏という良き指導者が現れ、「プラハの春」と言われる民主化を実現しましたが、同年8月ソ連軍の介入を受け改革は阻止されました。この時彼女は母国の民主化運動「プラハの春」を支持し、“二千語宣言”に署名したことから迫害を受けました。ソ連軍侵攻直後のメキシコ五輪では、ソ連の選手が金メダルを授与されている間、顔を背け抗議したことは有名です。1989年のベルリンの壁崩壊後の民主化で名誉を取り戻した後は、大統領顧問やチェコ五輪委員会会長も務めました。
 
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当時同じ体操で銅メダルを獲得した小野清子さんは「美しくて、体操が上手なのに、威張るわけでもなく、心暖かくて、友達を大事にする人だった。ただ国家への反骨心は隠さなかった。普段は口にしないけれど、時折、『家の窓を開けると見張っている人がいるの』というように、自由を奪われていると感じる出来事をさらっという人だった」と振り返っています。彼女はまた派手な生活を嫌い、自分は質素なアパートに住み、家賃収入と年金で暮らしていたと伝えられています。親日家で日本にもたびたび来日。2011年には東日本大震災の被災地も訪れ、また被災地の子供たちをプラハに招待してくれました。

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ソ連共産党=左翼国家主義という権力の下で一時生きた彼女。その中で毅然とした態度を取り続けたチャスラフスカさん。自由の貴さを我々に教えてくれました。左であれ右であれ、国家主義というものは恐ろしいものです。我が国にも少し国家主義(右翼国家主義)の波が押し寄せているように感じられますが、いかなる場合でも自由を守るために毅然として態度で対応したいものです。

(後の方の写真は私が数年前、チェコのプラハを訪れた時の写真です。「プラハの春」で有名な広場です。この銅像がある広場にソ連軍が侵攻しました)


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