中庸を堅持し国家主義の台頭を防ぎましよう!
自宅近くの箕面市新稲界隈は秋の訪れとともに、稲田が色づき、黄色い稲穂が頭を垂れ、彼岸花の赤い花が美しく映えています。このような日本の原風景とも言える景色を見ていると心が和みます。世の中の動きを離れて平和を感じます。
しかし今、世界には平和とは必ずしも言えない雰囲気が漂っています。アメリカ大統領選挙におけるナショナリズム色の強いトランプ氏の台頭、避難民の増加に伴うヨーロッパ諸国における排他的な右翼政党の台頭、北朝鮮における暴虐的な独裁政治の存在、また我が国においても現政権による憲法を無視した安保法制の制定、放送への干渉など、国家主義(全体主義)的な動きが見られます。
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人類にとってこのような左右に偏った政治は、人々を幸福に導かないのではないでしようか。何事もほどほどにするというのが良いのではないでしようか。遙か昔、古代ギリシャの哲学者・アリストテレスは“中庸(ちゅうよう)”がベストであると提唱しました。孔子も同様に“中庸の良さ”を説いています。
ごく最近では、ハンナ・アーレントという女性現代思想家が複数の意見があることは大事だと説き、意見を画一的に統一しようとする全体主義(国家主義)の台頭を防ぐには、私たちひとり一人がきちんと自分の意見をもつのが一番だと説きました。
これはごく当たり前のことだと思ってはいけないことだと思うのです。彼女はナチズムとスターリン主義という二つの歴史的現象を全体主義(国家主義)と呼び、その本質を明らかにしました。
それによると、現代における大衆社会では、個々人がばらばらで繋がりがないために、ある種の寂しさを抱く様になり、それに乗じて共同幻想のようなものを突きつけられると、人々はすがるかのように引き込まれていくというのです。そして権力者は、皆が目を覚まさないように、秘密警察のようなものを使って恐怖で縛りつけることにより、社会を不安的な状態に保つことで、人々を一致団結させるというのです。
すなわち、人々が自分で物事を考えずに、物事を人任せにしてしまうところから全体主義が生まれ、独裁者が登場するというのです。
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このような全体主義(国家主義)が幅を利かすような世界になって欲しくありません。とりあえずは、クリントン氏がトランプ氏を抑えアメリカ大統領となり、西欧においては中庸な政党が政権を維持すること、日本においては民進党が内部争いを止め躍進すること、などを望むものです。
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