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2016年11月

2016年11月26日 (土)

七五三

昨日11月23日の勤労感謝の日、長女と次女はそれぞれの子供たち(我々夫婦の孫)の“七五三詣で”を行ないました。長女にはもうすぐ7歳になる女の子、次女には5歳になる男の子がいて、大阪と横浜と場所は異なりますが無事、人生の節目となる儀式を終えました。我々夫婦にとっても、無事に彼らが育ってくれたという安堵感を感じました。

さて七五三は、旧暦の11月は、収穫を終えてその実りを神に感謝する月であり、その月の満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになったと言われていますが、明治改暦以降は新暦の11月15日に行われるようになったと言われています。現在では11月15日にこだわらずに、11月中のいずれかの土・日・祝日に行なうことも多くなっているようです。...
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さて、晩秋の今、ツワブキ(石蕗)の黄色い花が彼方此方で咲いているのを見かけます。我が家にも咲いています。寒々とした風景の中で、ほのかに温かさを感じさせてくれる花ですね。この名前の由来には、艶葉蕗(つやはぶき)、すなわち「艶のある葉を持ったフキ」から転じたとする説や、厚葉蕗(あつはぶき)、すなわち「厚い葉を持ったフキ」から転じたとする説があります。

先日、古寺を巡るTV番組で五木寛之さんが、小京都と呼ばれる「津和野」(島根県)は昔、石蕗(つわぶき)が野に群生していたことから石蕗の野と呼ばれ、これが転じて津和野となったと言われていましたが、そうなのかと初めて津和野市の名前の由来を知りました。

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2016年11月22日 (火)

箕面の紅葉

箕面の紅葉は、今から11月末にかけて見頃です。先日神戸の歴史探訪会の皆様の一行45名が来られたので、久し振りに箕面滝道のガイドのため出動しました。箕面駅前から、箕面の滝に至る約3kmの道には、役行者ゆかりの西江寺、瀧安寺などがあります。平日とはいえ、11月のこの季節は紅葉を楽しむ人たちで溢れます。

役行者は、7世紀に生きた人で、修験道の開祖といわれています。西江寺、瀧安寺を開山した人です。この滝道には、かつて松尾芭蕉、頼山陽、夏目漱石など、有名人が訪れました。

歴史探訪会の皆様はさすが歴史好きな人たちの集まりだけあって、役行者やこれらのお寺に関する説明を熱心に聞いてくれましたので説明のし甲斐がありました。
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イ・ボミ選手 賞金女王おめでとうございます!

先週の日曜日、読書をしていて少々疲れたので気分転換のため大王製紙エリエールレディスオープンの放映を観ていました。台湾のテレサ・ルーさんが日本の比嘉真美子さんを一打差で破り優勝。またこの試合で韓国のイ・ボミさん(28歳)が2年連続の賞金女王に輝きました。日本選手にもう少し頑張ってほしいとは思いますが、外国選手が多く参加して、活躍するからこそ大会も盛り上がって楽しく見ることができるのだとも思います。

イ・ボミさんは12歳からゴルフを始め、2011年から日本ツアーに参加ですからまだ5年目での快挙です。最近のプレイで特徴的なのは、パーオンできなかった時のリカバー率が首位と抜群だとのことです。可憐な姿とは裏腹に強い精神力を持っているのでしよう。かつての強かった台湾のト阿玉さんが思い出されます。
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さてゴルフの黎明期とも云える時代からよくゴルフをみて来ましたが、男子の青木、尾崎、中島や女子の樋口、岡本、小林といった時代から男子の片山、女子のト阿玉、福島、不動といった人たちを経て、今は松山英樹や石川遼、笠りつ子、堀琴音など、若い人の時代です。特に女子は、10代も含め、若い人が多いですね。松山英樹の溌剌としたプレイは今後期待が持てますね。

時の流れを頭の片隅に感じながら、かつての選手に思いを馳せ今のゴルフを見るのも楽しい
ものです。

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2016年11月15日 (火)

真田幸村・九度山

高野山の麓にある“九度山”を訪れました。ここは、真田幸村とその父・真田正幸が関ケ原合戦後、徳川家康により蟄居を命ぜられたところです。南海線・九度山駅から真田親子が住んでいたと言われる真田庵(この跡地に善明称院という寺が建っている)に通じる“真田のみち”は古い建屋もまだ残っていて、親子が淋しく過ごしたことが偲ばれる静かな佇まいを見せていました。

途中、梅下百貨店という店で“真田紐”を売っていたので家内が買い求めました。真田紐は、幸村が織機を使い織り上げた紐で、縦に引く力に強く、とても丈夫なので日常生活での使用はもちろんのこと、兜鎧着用時の紐などに使用されたそうです。...

幸村はその真田紐を家来に全国各地に売りに歩かせ生計を支える一方、その販売を口実に諸国の動静を探ったといわれています。この真田紐、丈夫な上に、デザイン的にも美的であるのが特徴です。
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ところで、真田幸村のことですが、彼は石田三成と同じく、豊臣政権の末期、豊臣家の恩義を捨てずに豊臣のもとに留まり、忠節を尽くしました。こういうところが私もそうですが多くの人の共感を得ている理由だと思います。

私も晩年の秀吉の残虐な振舞いは好きになれませんが、司馬遼太郎氏も小説『関ケ原』の中で、次のように感想を述べていることに、現代社会にもよくある、利のために義を捨てる人間の愚かさと寂しさを感じました。
「・・・豊臣政権のほろびにあたって三成などの寵臣までが家康のもとに走って媚を売ったとすれば、世の姿は崩れ、人はけじめを失う。自分が育てた寵臣からそこまで裏切られれば、秀吉の惨めさは救いがたい・・・」

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2016年11月 7日 (月)

懐かしい昭和のデュエットソング

先日BSテレビ番組で、昭和歌謡ベストテン「デュエットソング特集」というのを放映していました。私は歌が好きなので、時々気分転換のためにこの種の番組をよく観ます。昔よく聞いたり歌ったりした歌が次から次に出て来て、昔のことが懐かしく蘇って来ました。
「もしかしてPartⅡ」、「男と女のラブゲーム」、「ふたりの大阪」、「別れても好きな人」、「忘れていいの 愛の幕切れ」、「東京ナイトクラブ」、「銀座の恋の物語」など。
 
いずれも快いメロディーに加えて甘美な歌詞が重なり、好い曲です。
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 「ふたりの大阪」(都はるみ、宮崎雅)は大阪を舞台にした歌で、「頬よせあって あなたと踊る 別れに似合いの 新地のクラブ・・・・」という歌詞。友人と難波で遅くまでスナックで飲み明かしたことが思い出されます。
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「別れても好きな人」(ロスインディアス&シルビア)は東京・渋谷を舞台にして歌で、「別れた人に会った 別れた渋谷で会った 別れたときと同じ 雨の夜だった・・・・」という歌詞。単身赴任で東京に滞在していた時、行き付けの渋谷のスナックで若い人たちと歌ったことが思い出されます。あの時一緒に歌った人たちは今どうしているのでしようか、頭に浮かびます。

 
「銀座の恋の物語」(石原裕次郎、牧村旬子)は石原裕次郎主演の映画でも歌われたもので、デュエットソング第1位の歌です。私もよく歌いました。「心の底まで しびれるような 吐息が切ない 囁きだから・・・」。この石原裕次郎の映画もよく見ました。「赤いハンカチ」など。

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2016年11月 4日 (金)

公立図書館へ書籍を寄贈しました。

私が今年5月に出版した書籍「伝えたい細やかなモノづくりの心」(出版社:ギャラクシーブックス)はアマゾンサイトで販売され、皆様よりまずまずの好評を頂いています。フェイスブックのお友達の中にも購入頂いた方がおられます。ここに改めてお買い上げ頂いた方々にお礼を申し上げたいと思います。
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ところで、この本は、日本の細やかなモノづくりの心(精神)を大切にして頂き、後世にも伝えて欲しい。そしてこの素晴らしい日本のモノづくりの体制が永く続いて欲しいという気持ちが昂じ、あれもこれも書いておきたいということから、書いているうちに内容も増え、376頁という大部の著作になってしまいました。そのため価格が2,700円と少し高価なものになりました(最近アマゾンの方で少し価格を下げ2,500円に下げて頂いたようですが)。
一般的によく売れている本の価格は、有名な著者はさておいて750円~1,700円程度だと思われます。出版前に出版社とも相談しましたが、この種の専門的な本の価格はこの程度なので、折角思いをもって書...かれたのだからということで、頁数も価格もこのままにしておこうということになりました。
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そういう経緯もあって、高価で手にとってもらえない潜在的な読者の方々にも読んで頂きたいという気持ちから公立図書館(若干大学を含む)に寄贈することにしました。今まで、北海道から九州まで、全ての都道府県図書館にという訳には、お金の関係からできませんが、モノづくりが盛んだと思われる都道府県、地元大阪府、箕面市、堺市を含む約30箇所の公立図書館に寄贈させて頂きました。

寄贈といっても最近は図書館側にも収容能力や図書館としての受け入れ方針があって、審査?を受けますが、私の場合は、本の趣旨を説明すると歓迎され、また快く受領頂いたことは嬉しいことです。添付したのは、最近頂いたお礼のハガキです。

(注)尚、各図書館に寄贈してから登録されるまでは、図書館での手続きにかなり時間がかかりますので、今、貸出可能となっている図書館はまだ少ないです。

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三笠宮さまに感銘を受けました

昭和天皇の弟、三笠宮崇仁(たかひと)さまが10月27日亡くなられました。皇族の一人でありながら過去の戦争を厭い平和を希求するお気持ちが人一倍お強いことに非常に感銘を受けました。
宮さまは戦時中、満州事変から始まる日本の軍事侵略行動に対する強い批判を一貫してもっておられました。
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陸軍士官学校を創業し、日中戦争下の昭和18年、支那派遣軍参謀として中国に着任すると、陸軍士官学校同期の青年将校が「兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突き刺させるに限る」と語るのに愕然とされたそうです。この時の宮さまの怒りは激しかったようです。

また新憲法に関する46年の枢密院本会議では「満州事変以来日本の言行不一致の侵略的行動については世界の人々を極度に不安ならしめ、かつ全世界の信頼を失っている・・・日本は真に平和を愛し絶対に侵略を行なわないという誠心のこもった言動をしてもって世界の信頼を回復せねばならない・・・憲法に明記することは確かにその第一歩である」と述べられています。

更に50年代には紀元節復活運動を評して「架空の年代を国の権威をもって国民におしつけるような企てに対しあくまで反対。・・・架空な歴史を信じた人たちは、また勝算なき戦争を始めた人たちであったのである」と述べられています。
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これらの宮さまの言動は記録に残っていますが、戦時中は、発行前に没収され公表されることはありませんでした。宮さまは、一般幕僚が大胆な発言をするのは難しいので、皇族である自分があえて発言したと回想されています。一般国民がこのようなことを言えば、それこそ国賊と言われ、身の安全も保障されなかったと思われます。

ところで、現在の日本国憲法では冒頭で「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と高らかにうたいあげられています。「国民主権」ありがたいことです。しかし今話題にあがっている自民党の改憲草案では、冒頭で日本を「天皇を戴(いただ)く国家」と位置付け、国民主権が抜け落ちています。なぜでしようか。宮さまが警鐘を鳴らされたことをもう一度噛みしめて考えたいもものです。昭和天皇、現在の天皇、三笠宮さまと一貫して、国民主権を尊重し平和を希求しているのに、おかしなことです。

宮さまは戦後、このような戦争体験を踏まえ、「軍は歴史の研究が不十分だったのではないか」との思いから、戦後は歴史研究の道を歩まれ、特に古代オリエントの研究を専門とされたのは周知の通りです。
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