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2016年11月 4日 (金)

三笠宮さまに感銘を受けました

昭和天皇の弟、三笠宮崇仁(たかひと)さまが10月27日亡くなられました。皇族の一人でありながら過去の戦争を厭い平和を希求するお気持ちが人一倍お強いことに非常に感銘を受けました。
宮さまは戦時中、満州事変から始まる日本の軍事侵略行動に対する強い批判を一貫してもっておられました。
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陸軍士官学校を創業し、日中戦争下の昭和18年、支那派遣軍参謀として中国に着任すると、陸軍士官学校同期の青年将校が「兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突き刺させるに限る」と語るのに愕然とされたそうです。この時の宮さまの怒りは激しかったようです。

また新憲法に関する46年の枢密院本会議では「満州事変以来日本の言行不一致の侵略的行動については世界の人々を極度に不安ならしめ、かつ全世界の信頼を失っている・・・日本は真に平和を愛し絶対に侵略を行なわないという誠心のこもった言動をしてもって世界の信頼を回復せねばならない・・・憲法に明記することは確かにその第一歩である」と述べられています。

更に50年代には紀元節復活運動を評して「架空の年代を国の権威をもって国民におしつけるような企てに対しあくまで反対。・・・架空な歴史を信じた人たちは、また勝算なき戦争を始めた人たちであったのである」と述べられています。
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これらの宮さまの言動は記録に残っていますが、戦時中は、発行前に没収され公表されることはありませんでした。宮さまは、一般幕僚が大胆な発言をするのは難しいので、皇族である自分があえて発言したと回想されています。一般国民がこのようなことを言えば、それこそ国賊と言われ、身の安全も保障されなかったと思われます。

ところで、現在の日本国憲法では冒頭で「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と高らかにうたいあげられています。「国民主権」ありがたいことです。しかし今話題にあがっている自民党の改憲草案では、冒頭で日本を「天皇を戴(いただ)く国家」と位置付け、国民主権が抜け落ちています。なぜでしようか。宮さまが警鐘を鳴らされたことをもう一度噛みしめて考えたいもものです。昭和天皇、現在の天皇、三笠宮さまと一貫して、国民主権を尊重し平和を希求しているのに、おかしなことです。

宮さまは戦後、このような戦争体験を踏まえ、「軍は歴史の研究が不十分だったのではないか」との思いから、戦後は歴史研究の道を歩まれ、特に古代オリエントの研究を専門とされたのは周知の通りです。
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