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2016年12月 1日 (木)

輪島功一さん:プロボクシング元世界王者 のこと

この間、プロボクシング元世界王者・輪島功一さんが『わたしの半生』という読み物の中で、人生を振り返って述懐されているのを拝見して、輪島さんとほぼ同時代を生きて来たものとして、その時代を想い懐かしく感じるとともに、私とは異なった素晴らしい経験をして来られたことに尊崇の念を覚えた。
尚、輪島さんは ”炎の男”という異名を持ちご活躍された方である。
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輪島さんは家族と共に3歳の時、旧ソ連の支配下にあった樺太から引揚げ船に乗り、北海道士別市に移った。そこでの開拓村での生活は、「おやじが建てた家は、風がピューピュー入って来て寒くてよ」というような、着るもの食べるものに不自由する苦しい生活だった。「俺も熊笹を刈った。しんどくて両手で刈る。右でも左でもパンチを打てるようになったのは、そういうのが生きている。何が功をなすかわからんよね」。と語っている。...

また学校が遠かったので8kmを歩いて通った。5年生の時、先生が見かねて家に泊めてくれたことがある。その時、寝小便をしたが、先生は「功一、いいんだ、いいんだ」と。また、輪島さんは家で料理番をしていた時もあったが、自己流でつくったまずい料理にも、おやじは「功一、今日はうめえなあ」と褒めてくれたという。そのような時、輪島さんはみんなの力を借りたのだから、今度は自分が力を貸そうという気持ちになったという。
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ケンカなどはしない輪島さんだったが後年、友達をいじめたり暴れたりする上級生がいれば「許さん!」と立ち上がり、1対1でバスケットボールのゾーンで殴りあい、相手を負かして「正義の味方」と呼ばれた、という。決して乱暴者や不良ではなく、腕白だが友達思いの優しい少年であったという。

今、いじめの問題がクローズアップされているが、このような正義感に燃えた子供たちが増えて来てくれないかと思ってしまう。
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輪島さんは、農業や漁師の仕事、トラック運転手、住み込み土木作業員などの様々な仕事をしていたが、スタミナが十分にあったので疲労を感じないことに奇妙なストレスを感じていたという。そしてある日、作業現場からの帰り道にあったことから頻繁に練習風景を眺めていた三迫ボクシングジムに入門。「一所懸命稼いだ金を、酒や博打のような下らないことに使いたくなかった。道場に通えば、疲れてくたくたになるまで思う存分ボクシングに没頭できる。毎日見ていて面白そうだったし、丁度いいじゃないかと思った」と語っている。

輪島さんは、青少年の鑑になるような人である。

因みに輪島さんは今、輪島功一スポーツセンターを経営される傍ら、だんご店「だんご」を経営されている。

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