石清水八幡宮(Iwashimizu Hachiman-gu)を訪れました
<石清水八幡宮(Iwashimizu Hachiman-gu)を訪れました>
(English explanation is shown below)
正月三が日を過ぎた1月8日、京都の西南に位置する石清水八幡宮に行って来ました。三が日を過ぎたとはいえ、最寄りの京阪電車・八幡市駅から男山の頂上にある八幡宮に向う“男山ケーブル”は大勢の参拝客で溢れていました。この石清水八幡宮を訪れたのは初めてです。以前からこの由緒あるところを、いつか訪れたいと思っていたのですが、ようやく実現しました。
石清水八幡宮は、木津川、宇治川、桂川の合流地点近くにある男山の頂上にあり、これらの川の対岸には天下分け目の戦いで知れた天王山があります。都の裏鬼門(西南の方角)を守護する王城鎮護の神です。因みに表鬼門は比叡山(北東の方角)です。...
参拝の後、八幡市駅前にある、「朝日屋」で食事をしました。ここは創業100年以上の老舗で“棒寿司”が有名です。それを戴きましたが大変美味でした。後日この店が、TBS系「ぴったんカンカン」で安住アナ、堤真一、浜田岳が出演した番組で紹介されていました。
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この石清水八幡宮は、名前が示す通り、八幡神を祀ってあります。八幡神は、568年、仏教が伝来してほどなく豊前国(大分県)の宇佐の地に出現しました。日本の固有神でなく蕃神でした。奈良の東大寺の大仏造営の時も、この神が託宣活動をし、東大寺の域内に祀られました。そして都が奈良から山城(京都)に遷ると、この神も男山にやって来ました。神霊は遠く宇佐の地から勧請(かんじょう)されました(859年)。
平安初期には、石清水八幡宮は、伊勢神宮と並んで皇室の宗廟とされました。『古事記』『日本書紀』に神名が出ていない神としては破格の扱いです。その後、鎌倉にある鎌倉八幡宮の建設に当たっては、この石清水八幡宮から神霊が勧請され、且つ源氏の氏神とされました。(司馬遼太郎氏による)
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Iwashimizu Hachiman-gu Shrine was established in 859 by transferring a divided tutelary deity from Usa Shrine. It was built to provide spiritual protection of the nation by guarding the southwest direction (known as the rear demon gate) of the ancient capital. It is one of the three largest Hachiman-gu shrines in Japan. The main shrine is built in the rare Hachiman-zukuri style and is designated an important cultural property.
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