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2017年5月29日 (月)

六道珍皇寺

(English follows Japanese)
先日、オーストラリアから来られた日本の歴史・文化研究者で作家のJ・Wさんとお会いするために家内と一緒に京都へ。行先は、彼女の希望で、まだ訪れたことがない珍しいところがいいということで、建仁寺の近くにある「六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)」へ行って来ました。この寺は“六道まいり”で名が知れたところです。

六道とは、仏教の教義でいう地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の六種の冥界をいい、人は因果応報により、死後はこの六道を輪廻転生するということで、この六道の分岐点で、いわゆるこの世とあの世の境の辻が、古来より当寺の境内あたりであると言われ、冥界への入口とも信じられて来ました。...
このような伝説が生じたのは、この寺が平安京の東の墓所であった鳥辺野に至る道筋にあたり、この地で「野辺の送り」をしたことと、小野篁が夜ごと、冥府通いのため、本堂裏庭にある井戸をその入口に使っていたという言い伝えによるものです。

小野篁は、嵯峨天皇に仕えた平安初期の官僚で、文武両道に優れた人物でした。遣唐副使にも任じられましたが、大使と争い、嵯峨天皇の怒りに触れて隠岐に流されたこともあります。小野篁は閻魔王宮の役人と言われ、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁に務めていたという伝説があります。尚、小野篁は、小野妹子を先祖に持ち、小野小町、小野道風の祖父にあたります。
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当日は住職さんに案内してもらうように予約していました。住職さんの詳しい説明は大変深く感じました。六道珍皇寺の歴史、小野篁のこと、寺宝の「熊野観心十界図」、小野篁が使った言われる井戸のこと、などなど。この後、木屋町通二条にある、がんこ寿司「高瀬川二条苑」の川床で鴨川を眺めながら料理を楽しみました。J・Wさんとの出逢いは大変楽しく感じられました。彼女は、これから暫く取材のため、九州方面に行かれる予定です。
This temple is a sub-temple of Kenninji Temple and is well known as Rokudo-san. Around here, people sent off the deceased to a burial mound known as Toribeno (the hilly area located in the southeast). It was called Rokudo-no Tsuji (the corner of Rokudo) and was believed to be the border between this world and the other world. Rokudo means the six Buddhist realms, one of which every living things is supposed to be sent  according to its deeds in this world.Legend has it that Takamura Ono, who served the Emperor in the daytime and Enma(Yama, the ruler of the underground in Buddhist mythology) at night, went to the other world through the well behind the main hall.

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