テレサテン さん のこと・・・・自由と平和を願って
先日、「テレサテン(鄧麗君)、没後22年目の真実」という番組を観た。テレサテンといえば、1989年、香港での中国民主化支援コンサートで30万人の人を前に、彼女が中国の民主化を願って歌ったことが記憶にある。“悲しい自由”“私の家は山の向こう”などがその当時の歌である。このコンサートの直後の1989年6月、天安門事件が起こったため、1990年に予定されていた、彼女の長年望んでいた中国本土でのコンサートは実現しなかった。
天安門事件は、悲しい事件であった。ついこの間、習近平主席が香港に来て、中国の民主化運動に対して不満を表明したというから、中国の明るい未来への展望は暗い。とにかく中国における左翼国家主義の存在は中国国民にとって不幸なことであるが、我が国でも、安倍自民党政権が極右組織・日本会議に支援され右翼国家主義への道を進めているので、安心できません。左右の国家主義は人間にとっては憂うべきものです。
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テレサテンの両親は、中国大陸出身。国民党の敗退と共に台湾へ移動。彼女はそこで生まれた。両親が生まれた地でのコンサートを熱望していたという。日本でも、つぐない、愛人、空港、時の流れに身をまかせ、など、哀愁に満ちた歌、その中に温かさも感じる、多くの歌をヒットさせた。中国本土でも人気が高く、1986年の改革開放路線の頃は、彼女の歌が解禁され、昼は鄧小平の話を聞き、夜は鄧麗君の歌を聴くというほどであったと言われている。彼女は天安門事件後、パリに移ったが、その後、喘息を患い、最後はタイ国で亡くなった。享年42歳であった。
私にとって思い出に残る世界的規模の偉大な歌手でした。
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