オルテガ著『大衆の反逆』、解説中島岳志氏 を読んで
オルテガ著『大衆の反逆』は、久し振りに大変感動を覚えた本である。90年前の1930年に書かれた本とは言え、現代にも十分通用する思想であり、否、現在の思想家でさえ、このような説得力ある思想を持っている者が少ないのではないかと感じた。また、中島岳志氏による本書の解説は平易で大変わかりやすかった。...
本書を読んで直ちに感じたのは、オルテガが警告を発していたことは、まさに今、我が国の現政権下で行われている独裁的で、国家主義的な政治環境に当てはまるのではないかということである。
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本書で感銘を受けた二つの言葉がある。「私は、私と私の環境である」と「死者の存在、使者からの制約」である。
前者の意味は、「私」は「私」だけで自己完結するものではないということ。「私」の本質は、そのほとんどが、私が選んだわけではないものより成り立っている。即ち、親や兄弟、友人、地域の人々等、私という人格や人間性は、私の選択外の部分、私が選びようのない「環境」によって規定、構成されているということ。だから自分の能力を過信してはいけない、多くの人の意見を聞かなければならないということである。
後者の意味は、私たちの社会には、過去の人々が失敗に基づく“経験知”を通じて構築してきた、様々な英知がある。それによって、私たちの行動や知識は一定の縛りを受けている。つまり、すでにこの世を去った「死者」の存在が、現代や未来に対する制約になっているということである。ところがその死者の存在を全く無視して、今生きている自分たちが何でも物事を決められるかのように勘違いをし、更には暴走する。だから過去の英知は尊重しなければならないと説いている。因みに英知とは、手続き、規範、礼節、正義、理性などのことである。
また、民主主義と立憲主義とは、元来相反する概念であると述べている。“民主主義”とは、“いま生きている人間”の多数決によって様々なことが決定されるシステムであるが、これに対して、いま生きている人間が決めたことでも、してはならないことがあるというのが立憲主義というシステムであると断定している。
いくら多数派であろうと、少数派を抑圧してはならないし、守るべき人権を侵してはならない。それは「死者からの制約」があるからである。死者が築いてきた英知を無視してやることは暴走に他ならない。これはまさに日本の現政権が行っていることである。
過去の歴史の実例としては、左右の国家主義者(全体主義者)による暴走がある。スターリンによる共産主義独裁、ヒトラーによるファシズム、などである。更に本書では、このような国家主義が生じないようにするには、人々が独裁者に煽られる集団(大衆)に陥らないように、その中で個々の存在が意味づけられるような共同体(自発的な共同体)が必要であると結んでいる。
最後に本書と共にお奨めしたい本がある。ハンナ・アーレント著『全体主義の起源』と拙著『尊ぶべきは、小さな社会と細やかな心~Small is Beautiful』である。(写真参照)
前者は、左右の全体主義(国家主義)、すなわち、ファシズムや共産主義独裁の発生を起きないようにするにはどう対処すればよいか、後者は、このような国家主義に翻弄されないようにするには、皆が助け合う社会の形成、すなわち、オルテガが述べている“自発的な共同体”のような維持・復活が必要であると記している。
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