「平成が何とか無事に過ぎたのは 平和求める陛下の御蔭」
平成があと一か月で終わろうとしています。
「平成が何とか無事に過ぎたのは 平和求める陛下のお蔭」
と言えます。
天皇陛下が、昨年2018年12月23日の天皇誕生日に語られた次のような言葉が印象的であった。短い16分の会見の間、涙声で、何度も感極まり、言葉を詰まらせながら、戦争を経験した天皇として、平和への思いを馳せられた。
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「戦後の平和や繁栄が多くの犠牲で築かれたことを忘れず、戦後生まれの人々にも正しく伝えていくことが大切」とし、「平成が戦争のない時代として終ろうとしていることに、心から安堵しています」と語られた。また、沖縄についても触れ「実に長い苦難の歴史を辿ってきた」「沖縄の人々が耐えつづけた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と述べられた。
更に半生を共にしてきた皇后様にも言及し、「自らも国民の一人であった者が、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました」「結婚によって開かれた窓から私は多くのものを吸収し、今日の自分を作っていったことを感じます」と述べられた。
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昭和天皇の戦争責任については、多様な意見がある。軍部による戦争を止められなかったことは事実であろう。しかし、昭和天皇が戦争を嫌い、晩年までそのことで苦悩していたことは元側近の日記などで明らかになっている。戦後、直ちに慰霊の旅に出られたことや、A級戦犯が合祀された靖国神社への参拝を拒否され続けられたことなどにその真の気持ちが表れている。
この遺志を引き続いて現天皇も、過去の戦争の不合理性、無残さを思い、「慰霊の旅」を続けた。長崎、広島、沖縄、中国、サイパン、パラオ、ベトナム等へ。「父が果たせなかった戦没者慰霊を、自分の代で成し遂げる。その上で次の世代に新しい皇室を築いて欲しい」と述べられている。更に中国への訪問では「我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」と述べられた。
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ところで、天皇制の存在について、「そんなものは必要がない、あってもなくてもよい」という人々も案外多いようであるが、私は戦後の日本は、天皇制が存在したからこそ、政治が極端に左右に触れず、戦後の昭和、平成の時代を、戦争のない平和な時として過ごせたと思う。天皇は、国民統合の「象徴」としての役目を果たし、日本社会の中での亀裂や分断を防いできたと言える。
今、安倍政権の下で、民主主義は危機的な状況に陥っている。このような最中、民主主義を尊重し、国民に寄り添う天皇陛下を初めとする皇室の存在が、安倍政権による極右政治の暴走をなんとか最小限に食い止めて来たと言える。次の天皇皇后両陛下も引き続いて、右翼国家主義=ファシズムの防波堤の役割を果して頂きたいものである。
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右翼国家主義者は、皇国史観により、天皇を頂点に抱く国家を再現しようとしているが、その天皇が、そのような右翼国家主義を嫌い、民主主義の道を尊重しているのは大変皮肉なことである。
皇国史観とは、万世一系とする天皇による国家統治を日本の歴史の特色とする考え方で、日中戦争から太平洋戦争期の軍国主義教育の強力な支えとなった天皇中心の超国家主義的な自国中心の歴史観のこと。「大東亜共栄圏」思想に歴史的裏づけを与えようとした。
その根底となっていたのが『国家神道』である。
自然信仰に端を発する神道そのものは、仏教と並んで日本の精神的支柱である。普通の国民が、この本当の神道を支えるのは、当たり前のことで全く問題ないことであるが、問題なのは、明治時代に捏造された「国家神道=ニセモノ宗教」である。これは、自民党安倍政権を陰で支えている「日本会議」が唱えているもので、右翼国家主義の本質です。リベラルな人達は、このニセモノ神道=国家神道と真の神道との違いを、国民、特に若い世代にわかりやすく説明していく必要がある。
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