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2019年4月

2019年4月28日 (日)

奈良・長谷寺を訪れる

奈良の長谷寺を久し振りに見たいという気持ちが募り、先週、家内と共に長谷寺を訪れた。前回訪れたのは、結婚して間もない頃で、家内の両親と一緒だった。長谷寺といえば、牡丹(ぼたん)で有名だが、その時は牡丹の花を十分に楽しんだ。今回、牡丹はまだ蕾の状態で楽しめなかったが、その代わり桜がまだ満開に近い状態であった。
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長い石の登廊を上って本堂へ。登廊の両側には牡丹園が続く。本堂からの眺望は見事だ。長谷寺は山に囲まれた美しい場所で、初瀬川が流れる谷間から山腹にかけて沢山の堂宇が点在する。長谷寺は「こもりくの泊瀬(はつせ)」と言われたところにある。「初瀬」は古くは「泊瀬」とも書かれ、のちには「長谷」も使われるようになった。そのため、現在、地名は「初瀬」、寺の名前は「長谷」と書くらしい。万葉集に、「隠国(こもりく)の泊瀬」という言葉がよく登場するが、

「隠国の」は泊瀬にかかる枕詞で、この地が山に囲まれていることを表している。長谷寺は、また「花の寺」とも呼ばれ、桜、牡丹などで有名だ。

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何と言っても長谷寺がよく知られているのは、本尊の十一面観音菩薩立像の存在にある。長谷寺は何度も火災に遭っていて、現在の本尊も室町時代に東大寺仏師の実清良学の手でつくられたものだ。高さが三丈三尺(約12m)、木造仏では日本最大級の大きさである。そしてこの観音像は「長谷寺式」と呼ばれる独特の姿をしているのだという。左手には観音像らしく宝瓶をもち、右手には地蔵像のような錫杖と念珠をもっている。それは観音と地蔵菩薩が合体したもので、長谷寺の本尊は、観音であると同時に地蔵の優しさも秘めているのだという。

特別拝観料を払って、この観音像を近くで拝観したが、足元から見上げる観音像の姿は壮麗で、慈悲に包まれているような感じを覚えた。昔人が、この世の憂いや悩み、病苦や悪心を除いてくれる仏として畏敬の念を抱いていたであろうことがよくわかるような感じがした。添付写真の「結縁の五色線」は拝観する時に頂いたものである。これを身につけることで観音様とご縁が結ばれるというしるしになるのだという。この五色は、仏の五つの智慧をあらわす。
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有名な牡丹の花には次のような言い伝えがある。

この牡丹は中国の唐時代の皇妃・馬頭夫人(めずぶにん)に由来するという。彼女は顔が長く鼻が馬に似ていたため、馬頭夫人と呼ばれたらしい。日本の長谷観音の霊験あらたかなることを聞いて、何とか美しくなれるように、と毎日長谷寺に向って祈禱をした。すると、素晴らしい美女になれたというのだ。そのお礼に、彼女は宝物とともに牡丹を数株、寺に献納した。それが、今の長谷寺の牡丹園の始まりだという。(五木寛之著「百寺巡礼・奈良より引用」。)

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2019年4月16日 (火)

文楽『仮名手本忠臣蔵』を観賞

先日、オーストラリアの日本研究家Jannさんにご一緒して国立文楽劇場で『仮名手本忠臣蔵』を観賞しました。いうまでもなく、『仮名手本忠臣蔵』とは、我が国の国民的物語である「忠臣蔵」の名前の由来(『仮名手本忠臣蔵』の省略形)となっているものです。

The other day we went to see Bunraku with Jann-san, a Japanese culture investigator.
Bunraku is a traditional Japanese performing art and is performed by a narrator (tayu), a shamisen player, and puppeteers.

『仮名手本忠臣蔵』は、元禄14年(1701年)に起こった元禄赤穂事件が基に脚色されたもので、事件から47年後に、大阪・竹本座で上演されました。当時は人形浄瑠璃の全盛期で大変な人気を博しました。江戸幕府は、同時代に起こった事件を、そのまま上演することを禁じていたので、室町・南北朝時代の『太平記』の世界を借りて創作されていて、登場人物は赤穂事件の人物とは異なります。『仮名手本忠臣蔵』は、『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』と並んで、三大名作のひとつに数えられています。

「仮名手本」とは寺小屋で子供たちが学ぶ四十七文字のひらがなのテキストブック。そこから転じて「万民のお手本となるべき四十七名」となり、これに大石内蔵助の「蔵」と「~を沢山集めて保存しておく蔵」とを引っ掛けた「蔵」がくっ付き、「大石内蔵助と始めとして万民のお手本となる四十七名の忠臣たちの物語」という意味です。
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吉本のお笑いだけが大阪の芸能ではありません。大阪には、「文楽」という、大阪で誕生し、品格や格式がある文化遺産があることを忘れてはなりません。「文楽」とは、大阪の文楽劇場で始まった人間浄瑠璃のことで、浄瑠璃を語る太夫、三味線遣い、人形遣いという3つのスペシャリストによって演じられる高度な舞台芸術です。人形遣いは、さらに三人で同時に一体の人形を操作することにより、人形に細やかな動き、豊かな表情を与えています。

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国立文楽劇場は開場35周年記念を迎えました。小学校跡に建設されたこの劇場ができるまでの戦後の歴史は苦難苦闘の連続だったそうです。そしてごく最近でも橋本府政下での緊縮財政の中で、存続の可否を問われた時期もありました。そのような時を経て、文楽という大阪の文化を守るための努力がなされ、観客も増えています。今回の4月の公演でも、連日満席の状態が続きそうだということです。日本文化に興味を抱く外国人の姿も多く見受けられました。

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2019年4月13日 (土)

上野千鶴子さんの東大入学式での感動的祝辞

上野千鶴子さんによる東大入学式での祝辞。 
  ⇒ 驕らずに、弱者への配慮を!

これこそ心ない政治家の祝辞とは違い、世を憂い、若者に正義のための奮起を促す感動的な祝辞だ

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あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。
ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。
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そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。

あなたたちが今日「がんばったら報われる」思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。
恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。

そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。
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女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。
これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。

学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。

異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。

大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。

知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。

ようこそ、東京大学へ。

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2019年4月 8日 (月)

安倍政権下で進む企業人の精神的・倫理的劣化

「企業は社会の公器」という言葉がある。日本の近代化をリードした企業の創業者の中には優れた人物が多くいた。松下幸之助氏や本田宗一郎氏、盛田昭夫氏などである。ごく最近でも「メザシの土光さん」と呼ばれ、財界人ながらも質素な生活を送り堅実な会社経営を行なった元経団連会長の土光 敏夫氏のような立派な人格者もいる。

松下幸之助氏は「企業は社会の公器である。従って企業は社会と共に発展していくのでなければならない。・・・ひとり企業だけが栄えるというのでなく、その活動によって、社会もまた栄えていくということでなくてはならない」と述べた。同氏は、ある時期、経済不況に陥った時期、一人の従業員の解雇も行わず、その上給料カットも実施せず、生産を抑制して不況を乗り切ったことで知られている。

優れた企業人は、会社の設立の当初より、何らかの形で社会のためになりたいという使命感をもっているようである。悪徳企業人のように「儲けるためには、法に触れなければ何をしてもよい」というような経営者とは全く相反するのである。
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このような企業人が築いた、社会や人間を大切にする良き「日本的経営」の美風は、バブル経済の崩壊後、市場経済至上主義に基づくアメリカ的経営の下で忘れられようとしている。
特に安倍自民党政権発足後の企業人の精神的、倫理的劣化は著しい。

今、話題になっているカルロス・ゴーン氏。法外な報酬を受けとりながら、なお平然としている態度には、誰しも違和感を持つだろう。彼は日産の改革をやったというが、これは多くの工場が閉鎖され、2万人を超す従業員の解雇によってなされた。その上での法外な報酬受け取り。法的問題はなくとも倫理的な問題が残る。こんな改革ならば誰でも出来るだろう。松下幸之助さんとは雲泥の差がある。

また、最近、東日本大震災での原発事故で、原発への懐疑が深まり、原発ゼロへの動きが強まっている中で、現経団連会長の中西宏明氏が、安倍政権の政策に忖度して、原発再稼働を鼓舞するような発言を行なっている(写真)。嘆かわしいことである。亡くなられた経団連先輩の土光敏夫氏があの世で嘆かれていることだろう。
このような企業人の精神劣化を食い止めたいものだ。
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#原発ゼロ #原発  #企業精神

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