« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »

2019年5月

2019年5月30日 (木)

『百万本のバラ』の原曲『マーラが与えた人生』~小国ラトビアの悲劇の歴史を歌う~ を聴いて

『百万本のバラ』は加藤登紀子さんの代表曲として知られている曲だ。先日バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)を旅した時、添乗員のSさんが、この曲には原曲があって、それはバルト三国のひとつ “ラトビア” で生まれたものだと、バスの中で加藤登紀子さんの曲と原曲の二つの曲をCDで聞かせてくれた。

異郷で聞くふたつの曲のいずれにも“もの悲しさ”を感じたが、原曲の方にその程度を強く感じた。その違いは何なのかと興味を感じ、帰国後、歌の成り立ちを調べて見た。...
===================
原曲は、『マーラが与えた人生』というタイトルで、その歌詞は次の通り。

子供のころ泣かされると
母に寄り添って慰めてもらった
そんなとき母は笑みを浮かべてささやいた
「マ―ラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」

時が経って・・・もう母はいない
今は一人で生きなくてはならない
母を思い出して寂しさに駆られると
同じことを一人つぶやく私がいる
「マ―ラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」

そんなことすっかり忘れていたけど
ある日突然驚いた
今度は私の娘が笑みを浮かべて口ずさんでいる
「マ―ラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」

このように、原曲の歌詞は加藤登紀子さんの「百万本のバラ」とは全く違っていて、ラトビアの歴史の悲劇を歌ったものだという。“マーラ”とは、ラトビア語で、命や母性を表す女神の意味なのだという。

ラトビアは、小国ゆえに近隣のスエーデン、ポーランド、ロシア、ドイツなどによって絶えず侵略、蹂躙されてきた。近年には、ナチスドイツ、ソ連共産主義政権に翻弄された。

愛国詩人レオン・ブリディスは、そんなラトビアの悲劇の歴史を「幸せをあげ忘れた」と表現し、これに、後にラトビアの文化大臣にもなった音楽家ライモンド・パウルスがソ連統治時代の1981年に曲を付け、女性歌手アイヤ・クレレがラトビア語で抒情豊かに歌ったのが最初。

子守唄のように優しく歌いながら、そこには民族の自尊心とソ連共産主義政権への抵抗への思いが込められている。

YouTube(下記)の彼女の歌を是非聞いて下さい。悲しみに満ち、何とも切ない思いに駆られます。
=================
『マーラが与えた人生』は1982年に、ロシアに持ち込まれ、メロディはそのままに全く異なる歌詞が付けられた。作詩したのは、ロシアの詩人アンドレイ・ボズネセンスキー。スターリンの死後訪れた「雪解け時代」に、社会の自由化を唱えて反体制的な詩作活動を行い、体制派からの弾圧から逃れてグルジアに渡っていたことがある。

そこでグルジアの画家ニコ・ピロスマニを知る。ピロスマニは、フランスの女優マルガリータに恋をし、家も財産も売り払ってバラの花を買い、彼女の泊まるホテルの前の広場を花で埋め尽くし、名乗り出ることもなく、その姿を遠くから眺めて立ち去っていくというロマンティックな逸話をもとに、「百万本のバラ」の歌詞を作った。

歌ったのはソ連の国民的歌手のアーラ・プガチョフ。ソ連崩壊まで長きに亘って絶大な人気を博した。
==================
この曲を日本で初めて歌ったのは、父が日本人、母がロシア人の兵頭ニーナさんという女性である。彼女は札幌市平岸でロシア料理店を営んでいるそうだ。

36歳の時、音楽事務所にスカウトされ、ロシア語のヒット曲を歌ってくれとの依頼を受け、レコードも作った。

ニーナさんは、このレコードのキャンペーンで訪れていた京都で、加藤登紀子さんの父と出会う。父は娘にもこの歌を歌わせようとした。そうしたことから、加藤登紀子さんがロシア語の歌詞を翻訳して歌うようになった。加藤登紀子さんが歌っている日本語版「百万本のバラ」は皆様ご存じのように下記の通りである。

小さな家とキャンパス 他には何もない
貧しい絵描きが 女優に恋をした
大好きなあの人に バラの花をあげたい
ある日街中の バラを買いました

百万本のバラの花を 
あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を
真っ赤なバラでうめつくして

   (2番省略)

出逢いはそれで終わり 女優は別の街へ
真っ赤なバラの海は はなやかな彼女の人生
貧しい絵かきは 孤独な日々を送った
けれどバラの思い出は 心に消えなかった

百万本のバラの花を 
あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を
真っ赤なバラでうめつくして
==============
以上のように、ラトビア→ロシア→日本と歌い継がれてきたこの歌に、私は改めて大変深い愛着を感じるようになりました。
 

参照文献:『道新りんご新聞』

youtube.com
アイヤ・クレレ 1981年~ が歌った原曲 (ロシア語サイトからの転載です。)

| | コメント (0)

2019年5月16日 (木)

母校・大阪府立今宮高等学校を訪ねました。高校第13期・八木芳昭。

5月13日、母校・大阪府立今宮高等学校を訪ねました。私は高校第13期(1961年=昭和36年卒業)ですから実に58年振りの母校訪問です。地下鉄大国町駅で地上に出たところ、周囲の風景が昔と大きく違っていたので、どちらの方向に向かったらよいか戸惑いました。道をゆく人に道を尋ねてようやく正門に到着。

正門前には、『2018年度 全国ダンスドリルショー ドリル部門1位 ベストプレゼンターション賞受賞』という大きな横幕が掛っているのに目を奪われました。そして正門直ぐの校舎には、『今宮総合学科 磨け知性・輝け個性』の垂れ幕も。

私が在籍時の普通科が総合学科に変わったことを改めて感じました。また、昔日の母校の姿を追憶し、新しく変わりつつある母校の姿を見て感慨を覚えました。
===============
今回、訪問したのは自著を寄贈させて頂くためで、前日電話で予め連絡した上での訪問です。教頭の島岡律子さんが迎えてくれました。寄贈させて頂いた本は写真にある次の三冊です。最初の2冊は人文科学的な本で、あとの一冊は経営関連の本です。いずれも高校生にもわかりやすく書かれており、私の拙い人生経験から得た諸々のことも記してあるので何らかのお役に立つものと思っています。将来を担う人たちに是非読んで頂きたいと思っています。

 1)『貴ぶべきは、小さな社会と細やかな心~Small is Beautiful~』

“経済成長が全て”ではなく、皆が助け合う社会、支え合う社会を!!“物”でなく、“精神的なもの”を大切にする社会を!!の実現に願いを込めて書いた本です。読者として若い人たちを対象としています。

 2)『伝えたい細やかな日本のモノづくりの心』
日本のモノづくりの精神的側面(日本人の心)について書いた本です。日本のモノづくりは、我が国独特の風土・歴史・文化と密接な関係があり、もののあわれや詫び寂びを理解する心が、製品の細かさや精緻さに繫がっている・・・このようなモノづくりの形を伝承していってほしいという願いを込めて書いた本です。

3)『伸びる会社はここが違う!~元気企業に学ぶ7ヶ条』

小さくても必死に頑張っておられる中小企業の方々に、何とか元気を出してもらいたいと、という気持ちを込めて書いた本です。例として、社員を大切にし、世の中の役に立ちたいと願っている小さな企業を沢山取り上げています。

================
教頭の島岡律子さんには、校内をご案内頂きました。私が在籍していた時とは校内のレイアウトが大きく変わり、校舎も建て替えられ昔の面影はありません。しかしまだ建物が新しいこともあり、当時よりも明るい雰囲気を感じました。今宮高校は当時、普通学科でしたが、今は総合学科に変わって、男女比率も変わり、女生徒の方が多くなっています。

授業風景、部活動室、実験室、図書館、休憩室・ロビー、自彊会会館(同窓会組織)などを見せて頂きました。最後に、校長の上野佳哉さんにもお会いさせて頂きました。
=================
特筆すべきことは、総合学科に変わったということも若干関係していると思いますが、最近ダンス部の活動が活発で、全国的に見ても、ダンスの強豪校になりました。今年323日には、米国テキサス州で開催のアメリカンダンスドリルに出場し総合優勝を飾りました。本大会6年連続の総合優勝ということです。また今年423日には、ダンス部がNHKの“うたコン”に出場したとのことです。(写真参照) 

今宮高校 HPhttp://www.osaka-c.ed.jp/imamiya/

1_3

2_3

3_4

4_2

5_3

6_3

| | コメント (0)

2019年5月 8日 (水)

近藤亨さん ~農学者で、ネパールの農業指導に半生を捧げた人~

個人の業績を称えるものとして、例えば国民栄誉賞などの授賞がしばしば話題に上っています。このような話が出てくる度に私は思います。もっとそれに相応しい人が沢山おられるのに、何故にそんな人を選ぶのかといつも疑問に感じています。

日本国内に限らず、日本を離れて諸外国で素晴らしいことをされ、それぞれの国の社会で貢献され、感謝されている方も沢山おられます。そのような方の活躍は日本では殆ど知られていません。

===================
今回、そのような方の一人で、拙著「尊ぶべきは、小さな社会と細やかな心~Small is Beautifulhttps://amzn.to/2PtlpUZ (アマゾンで販売中)でも紹介させて頂きました故近藤亨さんを紹介します。

近藤亨さんは、1921年生まれの農学者。ネパールでの農業指導に半生を捧げ、日本古来の伝統的農法に自らの農業技術を加味し、手取り足取りの指導によって、ネパールの人たちが自らの手で農業を運営していくことができるよう、自立の道を歩ませることに成功しました。

近藤さんは、新潟県出身。新潟県立農林専門学校(現・新潟大学農学部)卒業後、新潟大学農学部助教授などを経て、1976年、JICAから果樹栽培専門家として、ネパール山岳地域での生活向上のための農業支援依頼を受けて、同国に派遣されました。妻のちヱさんを伴っての赴任でした。以後、十数年にわたりネパールのために尽力されました。

そして任期を終えた1991年(70歳の時)、一旦帰国するも、今度は個人の資格で、単身で、更なる現地住民の自立に寄与すべく、ネパール・ムスタン地域開発協力会を発足させ、理事長として現地ムスタンに再度赴任しました。そこでは、果樹栽培の指導や農業指導に専念する傍ら、現地の人たちのために、17もの小学校、中学校、高校や病院などを建設・運営し、90歳を過ぎた後も活躍されました。特に1998年、標高2750mのネパール・ムスタン・ティニ村で、世界最高地での稲作に成功。このほか様々な業績が評価され、2013年、ネパール最高栄誉一等勲章を外国人として初めて受賞し、ネパールでは各方面より多大なる賞賛を集めました。

何が、近藤さんをして、海外での農業指導に向わせしめたのか、→このあと、拙著を読んで頂ければ幸いです。

==================
近藤さんは、生前次のような言葉を遺しました。

「真の国際協力は深い人間愛であり、決して物質、金品の一方的供給ではない。支援を受ける人々が心から感謝し、自らが立ち上がる努力をする時、初めてその真価が現れるのである」と。・・・・・これは、日本の多くの方が行って来た国際支援の形であると思います。今、中国が“一帯一路”と銘打って行っているものとは著しく性質の異なるものです。

1_2

1a_1

2_2

3_3

 

 

| | コメント (0)

2019年5月 4日 (土)

平成から令和へ:ファシズムを牽制することに大きな役目を担われた上皇・上皇后陛下

上皇陛下、上皇后陛下は、平成という変化に満ちた世の中で、国民統合の象徴としての役目を十分に果たしてくれました。特に平成の後半、右傾化が進み、戦前の状態に戻りつつあるとも懸念される中、社会の分断を回避し、国民を統合する方向に、何となく国民を向かわせてくれました。勿論、立場上明確な言葉では表されませんでしたが、暗に、戦前のように天皇を政治利用し、戦争に肯定的な右翼国家主義者の動きを牽制して頂いたように思えます。このことは様々な点から指摘することができますが、紙面の都合で割愛しますが、両陛下の民主主義を遵守する姿勢は、象徴天皇と民主主義とは両立するものであることを明白にしてくれました。

また、言うまでもなく、上皇陛下は憲法9条の擁護者でした。
=================

「平成が何とか無事に過ぎたのは 平和求める陛下のお蔭」
=================
新天皇陛下、皇后陛下も、上皇陛下、上皇后陛下の路線を踏襲してやって頂きたいと思います。新天皇も「憲法にのっとり」という言葉を使われているので、安堵しているところです。右翼政治家に対して厳しい態度で対応して頂くことを願っています。
=================
ところで、我が国の憲法は国民主権を高らかに唱っています。そして憲法は権力者の恣意的な行為を縛るために存在します。だから安倍首相のように権力者自らの思い入れで、上から旗を振る改憲は許すべからざることで、絶対にあってはならないことです。首相の胸には、「自分は国民の支持で首相になったのだから、私がすべてを決めて何が悪いのか」という思いがあるようです。それは間違った国民主権です。

あの人類史上あってはならない罪を犯したヒトラー(ファシスト=右翼国家主義者)がワイマール憲法という民主的なシステムの中で、次第に権力を把握していった際の論理と同じです。あの冷静で賢明なドイツ国民が、「まさか、ヒトラーだってそんなことはしないだろう」とのんびりと、高をくくっている内に、ある日当然、ファシズムの世の中に放り出されました。我が国も同時期、大政翼賛会の下、秘密警察の下、国民の自由が奪われ、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と若者は戦地に追いやられました。
=================
心配なのは、安倍政治に疑問を持たない人々が多いことです。もう少し、日本会議(国家神道=似非神道を信奉する集団)に支持された安倍政治の本質=右翼国家主義 を人々に、特に戦争の悲惨さを知らない若者に伝えていくことが必要ではないかと思うこの頃です。国家主義は右であろうと左であろうと同じです。一旦国民がこれに全権を委ねるともう取り返しがつかないのです。ヒトラーのドイツや、旧ソ連でなされたこと、中国や北朝鮮で今なされている自由なき悲惨な状態を直視することが必要です。

Photo_1

3_2

Imgdfddb631zik7zj

5_2

6_2

| | コメント (0)

« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »