「侘び寂び」の真の意味
日本の精神文化を代表する言葉に「侘び寂び」という言葉があります。私はこの言葉を何となく漠然として理解しているつもりですが、他の人(特に外国の人)に自信を持って説明することが出来ません。そこで、この言葉について明確に分かりやすく説明している書物がないかと思い、探していたところ、森神逍遥著『侘び然び幽玄のこころ』に出会いました。
そもそも森神氏がこの本を書いたのは、日本人でありながら「侘び寂び幽玄」を理解している人が殆んどいない、何とか皆に知ってもらいたい、という思いからだそうです。この本は難解でしたが、森本氏が言わんといていることが理解できたように思います。
The word, Wabi(侘び) and Sabi(寂び) are indicative of Japanese spiritual culture. However, the definition of these words is ambiguous and so have not been understood well. I found a suitable book which ...explains it well.
ところで、本書では「寂び」に、「然び」という字を当てています。これは「寂び」では「侘び」との意味の差があまりなく、また特定の概念に縛られてしまうおそれがあるからです。
本書で、森本氏の述べていることはほぼ次のようです:
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「侘び」は貧困から出てくる概念であり、その貧困性の中にある枯淡の趣を見出すことで生まれてきた美意識である。我が国には「清貧」という言葉があるが、これこそが「侘び」を最も的確に表現するものの一つである。この「清貧」という言葉には、貧しくとも心豊かに、清廉潔白に生きる姿が思い描かれている。この“清貧”の裏に、苦悩なりの実態がありながらも、それをおくびにも出さぬ姿である。その奥には万物に対する深い惻隠憐憫の情が隠されている。
これに対し、「然び」は、古めかしい、老いてゆく、閑寂さなどから出てくる美意識であり、内側から価値あるものが滲み出る意味(金属が錆びるの意味合い)で、また寂しいの「寂び」でもあるとしている。ただ、この「然び」に後世“渋み”の意味が加味されることにより、この概念は美意識となって文化人を魅了するようになるが、実はこの概念こそが、「侘び然び」を低次元なものに引き落とすことになった。
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“自然によって生かされている”と考える日本人の運命論者的精神的背景、すなわち「諦観の人生観」は、仏教の無常観や禅の空の思想の影響を受け、「侘び然び」観を生み出した。この「侘び然び」は室町時代に確立された様であるが、「侘び」は武士が作り出し、「然び」は武士社会の出現後、脇役となった貴族が自らの誇りを示さんと確立した哲学たる美意識である。
人物に関しては、俳諧を確立した松尾芭蕉には高い評価を与えているが、茶道を確立したと言われる利休には、「然び」の演出ばかりにこだわって“あまり侘びていない”と、秀吉が朝顔の花を見に、利休の庭を訪れた時の話を例にあげて説明し、辛い評価を与えている。
日本人の侘び然びの感覚というのは、我が国に住む全員に少なからず宿っている精神であり、そのことは、東日本大震災の時の被災者の方々の秩序正しい振る舞いなどによって証明されているとし、そのような振る舞いが出来る民族は世界中に日本人以外存在しないのであり、日本人は気付かないが、それは実に驚異的な精神構造である、と。
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以上、森神氏が述べられていることを記しました。
森神氏は、日本人が「侘び然び」を上手く説明できないのは、たいていの日本人が一度も知的な言葉で侘び然びについて学んだことがないからである。というのもそれを教える先生も書物もないからだ、と述べているが、なるほどと思われます。
最後になりますが、今、“日本的なもの”を紹介(日本語&英語)することを目的とした書物をいつか纏めたいと思っていますが、その中に「侘び然び」も織り込みたいと思っています。
(備考)添付したのは、「侘び寂び(然び)」のイメージに近いものの写真です。
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