« 2019年7月 | トップページ | 2019年9月 »

2019年8月

2019年8月30日 (金)

堀 和恵氏 著(『この世界の片隅』を生きる ~広島の女(ひと)たち ~)を読んで

毎年、8月15日の終戦記念日が近づくと、広島、長崎への悲惨な原爆投下が思い出されるが、今年、それに呼応するかのように、終戦記念日直前の7月に出版された堀和恵さんの著書(『この世界の片隅』を生きる~広島の女(ひと)たち)(アマゾンで販売中)がふと目に入り惹きつけられた。そして、躊躇なく購入し、実際に読んで見て、著者のリアルでヒューマニズム溢れる描写に引きこまれ感銘を覚えた。しかも本書に登場する5人の方は全て女性で、いずれも被爆体験者あるいはその関係者である。それだけに、女性の視点から眺めた、生活者としての視点からの描写が素晴らしく感じた。勿論、政治的な面もこの種の話には欠かせないものだが、政治に深くとらわれず、被害者と密接に向き合う姿勢に重点を置いた本書の構成も素晴らしく、誰が読んでも心を打たれるのではないかと感じた。
被爆体験・戦争体験を伝えていく大切さを教えてくれる貴重な本だ。

皆さん、是非一読されることをお勧め致します。
=============

さて本書は、2016年秋に公開された映画『この世界の片隅に』が誕生した背景を紐解くに当たって、5人の女性を登場させ、戦争の悲惨さを伝えたものである。その5人とは、1)この映画の原作者であり、漫画家・作家の こうの史代氏。彼女は、後述の二人の作家(山代巴・太田洋子)から強く感化を受け、『この世界の片隅に』を書いた。2)画家から作家に転身した山代巴氏、彼女は「原爆被害者の会」を結成し、その活動を通じて映画の題名に似たルポルタージュ集『この世界の片隅で』を取り纏めた。3)同人雑誌『女人芸術』から出発し、被爆体験を基に『夕凪の街と人と』などを書いた作家・大田洋子氏 4)『原爆の子』の会を起点として、被爆者としての体験を伝えていく活動をしている早志百合子氏、彼女は無名ながら、映画「ひろしま」にも出演している。5)被爆体験者ではないが、被爆者の体験を語り継ぐ「伝承者」の道を選んだ若い保田麻友氏。今、原爆記念館などで活動している。


以上5人の方はいずれも被爆者の人々の生の声を後世に伝えようという思いから、献身的にそれぞれの活動をされた、或いはされている方である。
著者が最後に述べている次の言葉が胸に迫る。「まもなく、実際に原爆を体験した人の声を直接に聴くことはできない時代がやって来る。・・・原爆や戦争を伝える作品が沢山生まれて欲しいと願う。・・・それぞれの人のこころに、それぞれの熱で届いた思いが、こころの底に深く沈んでいって、いつしかあなたの考え方を変えて、次の一歩を踏み出すことにつながる。・・・これからも、そういうやわらかな伝え方で、世界に向かって『この世界の片隅』から発信し続けてほしい」
===============

本書を読んだ後、最近NHKで放映された映画『ひろしま』https://youtu.be/y28tMyJjlns を観た。岡田英二や月丘夢路、山田五十鈴などの懐かしい俳優が出演している。教師役の月丘夢路と生徒たちが、川の中で折り重なって溺れ、もがき苦しむシーンなどを観て改めて、この本で訴えられているところの戦争の悲惨さが痛切に感じられた。
この映画は、原爆が投下されてから8年を経た1953年、被爆者が中心となって自前で制作されたもので、出演者の多くが被爆者である。制作時、アメリカ駐留軍に忖度した大手映画会社から上映を拒否され、忘れられていた。しかし現在、アメリカ、ヨーロッパなど、世界各地で上映され貴重な文化遺産として絶賛されている。

私も、拙著『尊ぶべきは、小さな社会と細やかな心』https://amzn.to/2PtlpUZ で、少し触れさせて頂いた、サーロー節子さん、国際NGOICAN:核兵器廃絶国際キャンペーンのノーベル平和賞受賞式で、被爆者代表として挨拶された方、もこの映画を絶賛されている。

===============
堀和恵さんの著書を読み、映画『ひろしま』を観て、満州事変に始まり、日中戦争、太平洋戦争と続く日本が犯した過去の戦争を体験した人々が次第に少なくなりつつある今、二度とこのような悲惨な戦争を起こさないよう、戦争を知らない世代に伝えていく大切さを改めて感じる。

1_20190830144801

2_20190830144801

3_20190830144801

4_20190830144801

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2019年8月23日 (金)

京都・仁和寺 観音堂

京都の仁和寺・観音堂が一般公開されていることを、BS番組で中村芝翫さんが話されているので知って、先日行って来ました。
観音堂は、2012年から6年に亘って半解体修理され、江戸時代初期に再建された当時の美しい姿が最近蘇りました。本尊に千手観音菩薩立像、脇侍として不動明王、後三世明王立像、眷属として二十八部衆、更に風神・雷神像が配されていました。威厳と迫力に満ちた様子は壮観です。

圧巻は、須弥壇を囲むように、堂内に描かれた、極彩色の障壁画です。『法華経』に基づいて、様々な姿の観音が人々を救う場面が描かれていました。壁画上段に観音菩薩のいる浄土、補陀落山が、下段には人々の生きる現世、及び六道の世界が描かれていました。当時の人々の観音信仰の強さを物語っているようです。

その他仁和寺では、金堂・経蔵も一般公開されていたので序に見てきました。
================

仁和寺へは阪急嵐山駅から徒歩で渡月橋を通り、嵐電・嵐山駅へ。そこから仁和寺駅までの乗車です。当日の京都は曇り空ながら暑い一日でした。観光客は外国人がやはり大勢を占めていました。日韓関係の悪化で韓国からの旅行者が、心持少ないように感じました。残念なことです。
1_20190823114201

2_20190823114201

3_20190823114201

| | コメント (0)

2019年8月16日 (金)

満州事変と『恋のハレルヤ』『人形の家』の誕生

<終戦後の満州/歌『人形の家』の誕生>

昨日は令和になって初めての終戦の日でした。戦争の犠牲になられた方々を追悼すると共に、再び戦争の惨禍が繰り返されないように悲しみを共有したいと思います。

全国戦没者追悼式で、天皇陛下は、上皇さまの言葉を引き継ぎ、「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と、不戦を誓われた。...
陛下は「戦争を知らない世代であるからこそ、風化させないよう一層意識的にならないといけないと」とのご意見をお持ちだと聞く。一方、安倍首相は、歴代首相がずっと言及して来た、“アジア諸国への加害と反省”には7年連続で触れなかった。
================
さて、皆さん、『恋のハレルヤ』(黛ジュン)や『人形の家』(弘田三枝子)という歌を覚えておられるでしようか。これらの歌の作詞はいずれも、作詞家・作家である、なかにし礼さんによるもので、戦争体験から生まれたものです。
彼がオリジナルな曲を作詞したいと悩んでいた時、思い浮かんだのが、自分の心から湧き出るものを作ろう、ということだった。そこで戦争体験がキーとなった。ただ体験そのままでは歌にならないから、自分なりに化粧を施し、恋の歌に仕立てた。それがこの二つの歌である。

なかにし礼さんは、満州生まれ。終戦直後、旧ソ連軍の侵攻を受けて命からがら逃げて引き揚げ船が停泊するコロ島に辿り着いた。小高い砂丘と登ると真っ青な海と真っ青な空が見えた。沖には引き揚げ船が浮かんいる。あの時の感動に言葉を与えたら『ハレルヤ』となり、『恋のハレルヤ』が生まれた。「愛されたくて愛したんじゃない 燃える想いをあなたにぶっつけただけなの・・・」という歌詞であるが、愛する満州に対する恋歌だという。
==============
『人形の家』は、弘田三枝子さんの歌でヒットした歌である。

「顔もみたくない程 あなたに嫌われるなんて 
とても信じられない 愛が消えた今も
ほこりにまみれた人形みたい 愛されて捨てられて 
忘れられた部屋のかたすみ 私はあなたに命をあずけた」
(作詞:なかにし礼、作曲:川口真)  人形の家:https://youtu.be/c_b-pu99ZV8

1945年8月14日、日本の外務省は在外邦人について『出来る限り現地に定着させる』との方針を出した。帰って来るなということだ。“顔も見たくない程あなたに嫌われるなんて・・・” というこの歌の歌い出しの裏には、日本国民や日本政府から顔も見たくない程嫌われるなんて・・・という思いがあったという。

なかにし礼さんは、自分が作ったこれらの歌は、昭和という時代に対する恨みの歌であり、恋しさの歌であり、満州への望郷の歌であるという。
================
満州事変に始まり、日中戦争、太平洋戦争と続く大義のない、日本が犯した侵略戦争は、国家主義者・軍国主義者によって敵対心を煽られ翻弄され犠牲となった国民の歴史である。二度と起こさせてはならない。これには過去の反省が欠かせない!


1_20190816170501

2_20190816170501

3_20190816170501

4_20190816170501

5_20190816170601

| | コメント (0)

2019年8月10日 (土)

隠岐を訪れる

ダウンロード - 7.jpg

 

8月の始め、隠岐へ行って来ました。隠岐は島前(どうぜん)と島後(どうご)の二つから成ります。今回訪れたのは島後の方です。二つとも行きたかったのですが、一泊二日の旅行社の日程から、島前は次の機会にすることにしました。

隠岐は、後鳥羽天皇や後醍醐天皇、小野篁など、昔から貴人の遠流の地として名が知られた神秘的な匂いがする所であり、また昨年出版した拙著「尊ぶべきは、小さな社会と細やかな心」で取り上げた海士町が所在する所であるので、どんな所か見ておきたかったのです。

====================
さて隠岐について印象に残ったことを、私自身のメモとして記したいと思います。

★隠岐は、遥か3万年前にはすでに人が住み、石器時代は黒曜石の産地、中世は後醍醐天皇などの遠流の島、近世は北前舟の風待ち港として時代ごとに存在感を放って来た。また、日本形成が垣間見える大地、謎多き生態系が存在する場所として世界的に見ても貴重な島で、平成2599日には、「世界ジオパーク」に認定された。

★隠岐は724年(聖武天皇の時代)に遠流の地として定められ、江戸中期になって一般の罪人が流されるようになるまでは天皇や公家、役人などの政治犯が配流となった。後鳥羽天皇や後醍醐天皇、小野篁などである。隠岐は奈良・京都から見て北西の方向に位置していて、吉兆をもたらす方向にある。乱を起こしたとはいえ、天皇を遠流するわけだから、方向が良く、しかも、アワビなどの食材が豊かで、生活しやすい隠岐が選ばれたという。

★隠岐には立派な神社が多い。明治の廃仏毀釈までは仏寺が多かったが、今は圧倒的に神社が多い。元々、隠岐には16の式内社(延喜式内社)があり、その内の4社が名神大社となっている。その一つ、水若酢神社は隠岐造りで茅葺の屋根は本土のものより際立って厚い。20年毎の遷宮時には、境内にある土俵で古典相撲大会が行われる。取り組みは2回行われ、1回目の勝者は2回目には必ず勝ちを譲るというルール。争いをできるだけ避け、皆仲良くという日本社会の特徴をよく表していて興味深い。

★ローソク島:高さ約20mの奇岩の先端に夕陽が重なると、まるで巨大なローソクに火を灯したように見える。西方浄土の思想に通じる。これはローソク島遊覧船からしか見ることが出来ない。

★アジサイと言えば梅雨の風物詩であるが、隠岐の白島海岸では、雪の降る頃まで色づいている。対馬暖流がもたらす湿気が一因と考えられている。珍しい風景である。

★大きな樹木が多く見られる。八百杉、カブラ杉、など。屋久島の縄文杉に劣らず凄い。

★外国人観光客は殆んど見かけなかった。交通事情の関係からか?

1_20190810161101

2_20190810161101

3_20190810161101

4_20190810161101

5_20190810161101

6_20190810161101

6a

8_20190810161201

7_20190810162001

 

 

 

| | コメント (0)

2019年8月 7日 (水)

広島カープの躍進/8月6日、広島平和記念式典

広島へ原爆投下されてから74年になる8月6日は広島にとって特別な日。球場には核兵器のない平和な世界になるように祈る半旗が掲げられた。この日、広島カープは勝利し、首位巨人に1ゲーム差に迫った。私は広島ファンでもないが、一時は巨人に12ゲームも離されていて優勝は絶望的になった時でも、いずれ広島は盛り返して優勝争いをすることになると信じていたので、それが現実のものとなって嬉しい。

選手会長・会沢さんは、「僕も広島に来て13年目。年々、野球が出来る平和の喜びを感じています」と。市民球団として産声をあげた広島の選手には、気概が脈々と受け継がれているようだ。また、長年のファンで元広島平和記念資料館長の原田浩さん(80)は、「一発の爆弾により、命や暮らしは奪われた。どん底から生きる目標となったのがカープ」と言う。(以上、朝日新聞記事より)

====================
平和記念式典で松井市長は、「日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めて頂きたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現にも更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮して頂きたい」と求めたが、安倍首相は挨拶の中で、これを無視するかのように条約には触れなかった。信じられないことだ、普通の良識ある人間ならば、少しはそのことに言及するであろうが、冷酷な顔を覗かせた。

今、我が国は、上記の核兵器禁止条約の署名・批准を含めて諸々の問題で危機に瀕している。特に日韓関係の悪化は深刻だ。これは安倍首相が存在するからこそ生じた問題と言えるのではないか。韓国の方にも若干の問題があるにせよ、歴代の自民党首相ならば、こうも日韓関係は悪化しなかったであろう。歴史の事実を歪曲する歴史修正主義者としての安倍首相が存在することにより、もたらされたものと言える。
Img_20190807_0001-2

Wst1904250016p1

 

 

| | コメント (0)

« 2019年7月 | トップページ | 2019年9月 »