満州事変と『恋のハレルヤ』『人形の家』の誕生
<終戦後の満州/歌『人形の家』の誕生>
昨日は令和になって初めての終戦の日でした。戦争の犠牲になられた方々を追悼すると共に、再び戦争の惨禍が繰り返されないように悲しみを共有したいと思います。
全国戦没者追悼式で、天皇陛下は、上皇さまの言葉を引き継ぎ、「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と、不戦を誓われた。...
陛下は「戦争を知らない世代であるからこそ、風化させないよう一層意識的にならないといけないと」とのご意見をお持ちだと聞く。一方、安倍首相は、歴代首相がずっと言及して来た、“アジア諸国への加害と反省”には7年連続で触れなかった。
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さて、皆さん、『恋のハレルヤ』(黛ジュン)や『人形の家』(弘田三枝子)という歌を覚えておられるでしようか。これらの歌の作詞はいずれも、作詞家・作家である、なかにし礼さんによるもので、戦争体験から生まれたものです。
彼がオリジナルな曲を作詞したいと悩んでいた時、思い浮かんだのが、自分の心から湧き出るものを作ろう、ということだった。そこで戦争体験がキーとなった。ただ体験そのままでは歌にならないから、自分なりに化粧を施し、恋の歌に仕立てた。それがこの二つの歌である。
なかにし礼さんは、満州生まれ。終戦直後、旧ソ連軍の侵攻を受けて命からがら逃げて引き揚げ船が停泊するコロ島に辿り着いた。小高い砂丘と登ると真っ青な海と真っ青な空が見えた。沖には引き揚げ船が浮かんいる。あの時の感動に言葉を与えたら『ハレルヤ』となり、『恋のハレルヤ』が生まれた。「愛されたくて愛したんじゃない 燃える想いをあなたにぶっつけただけなの・・・」という歌詞であるが、愛する満州に対する恋歌だという。
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『人形の家』は、弘田三枝子さんの歌でヒットした歌である。
「顔もみたくない程 あなたに嫌われるなんて
とても信じられない 愛が消えた今も
ほこりにまみれた人形みたい 愛されて捨てられて
忘れられた部屋のかたすみ 私はあなたに命をあずけた」
(作詞:なかにし礼、作曲:川口真) 人形の家:https://youtu.be/c_b-pu99ZV8
1945年8月14日、日本の外務省は在外邦人について『出来る限り現地に定着させる』との方針を出した。帰って来るなということだ。“顔も見たくない程あなたに嫌われるなんて・・・” というこの歌の歌い出しの裏には、日本国民や日本政府から顔も見たくない程嫌われるなんて・・・という思いがあったという。
なかにし礼さんは、自分が作ったこれらの歌は、昭和という時代に対する恨みの歌であり、恋しさの歌であり、満州への望郷の歌であるという。
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満州事変に始まり、日中戦争、太平洋戦争と続く大義のない、日本が犯した侵略戦争は、国家主義者・軍国主義者によって敵対心を煽られ翻弄され犠牲となった国民の歴史である。二度と起こさせてはならない。これには過去の反省が欠かせない!
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