京都・神護寺と空海
9月末に神護寺を訪れた。以前から行こうと憧れていた寺院である。この寺は京都・高雄にあり、空海ゆかりの寺である。
空海と言えば弘法大師という名前で知られ、我が国の文化・思想に及ぼした影響は、最澄(伝教大師)と並び測り知れないものがある。故司馬遼太郎氏の著作に『空海の風景』がある。この本は空海の生い立ちから始まり、真言宗という密教を確立するまでの経緯を実に詳細に述べている。私は以前に読んだこの本を今夏、読み返して見て、空海という人の持つ超人的な偉大さに改めて感銘を覚えた。
空海は四国・讃岐の地で生まれ、早くから仏典に興味を持ち、三教指帰(さんごうしいき)という有名な書物などを書いている。これは仏教と儒教、道教を比較し仏教が最も尊いと結論付けたものである。
その後空海は、遣唐使の一員として唐に渡り、そこで中国の真言密教の第7祖・恵果(けいか)との出会いがあった。恵果は、「われ、先より汝の来れるのを知り、相待つこと久し」と述べ、中国の千人を超える門弟をさておいて密教の秘宝をすべて日本から来た空海に譲り与えたという話は有名である。
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空海は、国家が定めた20年という中国での滞留義務にもかかわらず、師匠の恵果が間もなく亡くなったこともあってか、僅か2年で帰国した。学ぶべきものを2年間ですべて学び終わったからである。もっとも空海は中国に渡る前に、すでに密教の思想をおぼろげに自分のものとしていて、中国ではその解釈が間違っていないかどうかを確認することだけで済んだと言われている。
帰国後暫く京に戻らず、九州に留まったが、しばらくして、桓武天皇から嵯峨天皇への政権交代があった後、今回訪れた神護寺を拠点として、嵯峨天皇の庇護の下、中国で学んだことや持ち帰った経典などを基にして、日本における密教の確立に専念したと言われている。後には、東寺や高野山も空海の活動拠点となった。
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さて、神護寺のことだが、神護寺へは、観光タクシー(運転手はIさん)のお世話になった。高雄は日本一の紅葉の名所で、紅葉の季節になると車道は非常に渋滞するという。私が訪れた時は、観光客を殆んど見かけないほどで静まり返った状態であった。清滝川を渡った高雄橋から直ぐ近くにある自然石の石段を上り切った所に楼門がある。ここから楼門までは30分程度かかるそうだが、今回はタクシーで楼門近くまでいくことができた。楼門をくぐると広々とした境内が広がる。
大師堂は杮葺きの質素な建物で、空海が寝泊まりし、密教思想の集大成に日夜励んだところである。こんな山奥で思索をしながら静かに過ごした空海の姿が偲ばれた。
金堂には本尊として薬師如来立像が安置されていた。普通、密教の寺院の本尊は大日如来であるが、ここでは薬師仏が本尊である。和気清麻呂が建立した神願寺(神護寺の前身)の本尊をそのまま引き継いでいる。神護寺と言えば「源頼朝像」の肖像画(頼朝でないという説もある)が教科書などで紹介されているが、金堂にはそれが展示されていた。
金堂の近くに閼伽井(あかい)があった。これは空海が灌頂の浄水として自ら掘ったと言われている井戸である。灌頂とは頭から水をそそぐことで、密教では阿闍梨から法を受ける時の儀式である。最澄やその弟子、奈良の僧たちも、ここで空海から灌頂を受けたと言われている。
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