« ”早苗ネネさん『和歌うた』コンサート”(於:京都・高台寺利生堂) | トップページ | 後醍醐天皇~日本史に異彩を放つ型破りの天皇~ »

2020年1月23日 (木)

石切神社


正月明けの1月中、大阪・生駒山麓に鎮座する石切劔箭神社を初めて訪れました。この神社は、「いしきりさん」と親しみを込めて尊称されています。「石切劔箭(いしきりつるぎや)」は御祭神の御神威が強固な岩をも切り裂き、貫き通すほど偉大な様をあらわしています。特に加持祈祷、お百度参りで多くの人が訪れることで有名です。

この神社と共存している石切参道商店街は、近鉄奈良線石切駅から参道に百数十店の商店(飲食店から食品、占い、漢方薬、衣料品、日用品など)が立ち並び、全長約1km?の大規模な商店街と言えます。庶民的な雰囲気が漂っていて、歩きながら楽しむことができました。この商店街は、戦後の混乱期に有志の集まりからスタートしたと言われています。

当神社の祭神は、天照大神の孫にあたる瓊々杵尊(ににぎのみこと)の御兄、饒速日尊(にぎはやひのみこと)とその御子、可美真手命(うましまでのみこと)の二柱です。下記は神社のHPに記載されているご祭神の説明です。
=================
当社は、我が大和民族が皇祖と仰ぎ奉る天照大神(あまてらすおおかみ)の御孫にあたられる瓊々杵尊(ににぎのみこと)の御兄、饒速日尊とその御子、可美真手命(うましまでのみこと)の二柱をお祀りしています。御祭神は日本国の発祥にあたる大和建国に御功績がありました。尊は神武天皇の御東征に先立ち、天照大神から十種(とくさ)の神宝(かんだから)をさずかり、大和建国の任務を受けて天磐船(あめのいわふね)に乗り、哮ヶ峰(たけるがみね)(現在の生駒山)に天降りになりました。そのころ、大和地方にはすでに勢力を拡大している先住の人々がおりました。尊はその一族の家長である長髄彦(ながすねひこ)の妹、登美夜毘売(とみやひめ)(三炊屋媛)(みかしきやひめ)と結婚され、可美真手命がお生まれになりました。その後年月を経て神武天皇の東征に際し、尊と神武天皇はお互いに御所持の天羽々矢(あまのははや)を示し合い、共に天照大神の子孫であることがわかり、尊は長髄彦に帰服をお諭しになり、ここに大和建国は成功しました。神武天皇はその功績を称え「素より饒速日尊は天より降れる者なるを聞けり而るに今果して殊功を樹てたり」と、劔をお授けになりました。饒速日尊という御神名は「徳が高く広く活発で勇猛であらせられた」という意義をもつ御尊名です。また、可美真手命は、大和地方の治政に尽力されたのはもちろん、物部一族を率いて神武天皇の親衛を勤められ、十種の神宝によるまじないの神法で多くの人々を救いました。可美真手命とは「ご立派な御徳を有されたお方」という意味です。
1_20200123111901

2_20200123112501

3_20200123112501

4_20200123112501

5_20200123112501

6_20200123112501

Map_top

 

|

« ”早苗ネネさん『和歌うた』コンサート”(於:京都・高台寺利生堂) | トップページ | 後醍醐天皇~日本史に異彩を放つ型破りの天皇~ »

2.日記・随想・歴史紀行・音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ”早苗ネネさん『和歌うた』コンサート”(於:京都・高台寺利生堂) | トップページ | 後醍醐天皇~日本史に異彩を放つ型破りの天皇~ »