野村克哉さんを偲ぶ
野村克哉さんがご逝去された(享年84歳)。私の大好きな人の一人だった。アンチ巨人で、南海ホークスファンであり、“判官びいき” であった私にとっては、野球のみならず社会人としても尊敬すべき人であった。
野村さんは、1935年、貧しい家庭に育った。3歳で父を亡くし、母は病弱で暮らしは苦しく、新聞配達などをして家計を支えた。野球では無名の峰山高校を卒業後、南海ホークスにテスト生として入団、努力を続け、プロ野球で戦後初の三冠王に輝くなど、強打の捕手として活躍、監督としてはヤクルトを三度日本一に導くなど、輝かしい記録をうちたてた。甲子園出場などとは無縁で、しかもテスト生として無給で入団した野村さんは、そういうコンプレックスから、「長嶋や王がヒマワリなら、俺はひっそりと日本海に咲く月見草」と呟いた言葉はあまりにも有名である。長嶋巨人のリーグ優勝に、「率直におめでとうと言う気になれない。権力と金の力で勝ち取った優勝という思いがあるからな」というようなことも述べている。
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監督としての存在感は目を見張るものがあった。「ID野球」といえば、野村さんが始めたものだ。頭脳を使う野球という意味だが、これには人生訓のようなものも含まれているという。
他球団を戦力外になって、挫折した選手を復活させる手腕は、「野村再生工場」とも評された。また「俺は貧乏性。弱いチームの監督が合っている」と、「弱者の兵法」を編み出し巨人など、強力チームを苦しめた。
野村さんが育てた選手や指導者は目白押しだ。古田、江本、江夏、山崎武司、田中将大、稲葉監督、高津監督、矢野監督、等々。
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王卓治さんは、「同じ時代を悪戦苦闘した戦友がいなくなるのは淋しい。頭脳を駆使する野村イズムはこれからも生きていく」と、かつてのライバルを悼んでいる。最後になるが、野村さんは、妻の沙知代さんとの関係においても、「妻が強い家庭はうまくいく」など、味わい深い夫婦論も残された。
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