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2020年3月

2020年3月24日 (火)

ヤマザクラ、サンシュユ、鶯

先日、自宅近くの六個山に登ると、ヤマザクラ(山桜)が咲いていました。例年は4月初めに咲きますが今年はやはり少し早いようです。地上に多く咲くソメイヨシノ(染井吉野)もいいですが(現時点ではまだ咲いていません)、このヤマザクラの、質素で、寂しげな様子も私は大好きです。エドヒガン(江戸彼岸)を追いかけるように開花し、赤っぽい葉とともに淡いピンクの花を咲かせます。清貧の人・西行はこのヤマザクラをこよなく愛し、多くの桜の和歌を詠みました。


今年初めて鶯の声を聴きました。春の到来を感じました。山から降りて、我が家に帰る途中にはサンシュユの黄色い花も咲いていました。サンシュユは中国名、日本名は「春黄金花(はるこばねばな)」です。黄色の小さな花が2030個集まって球形を成してします。

 

自宅から六個山までの往復2時間のウォーキング。週に一度続けていることで何とか健康が保たれています。

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2020年3月22日 (日)

「平然と胸が痛むと鉄面皮」(森友事件)

心ある、正義感の強い人なら誰しもまだ忘れていないし、未解決のまま葬ってしまってはいけないと思っている“森友事件”が、週刊文春の手で、再び闇の中から照らし出された感がある。安倍政権という“非情な” 政権の下で、犠牲者となられた、近畿財務局の職員、赤木俊夫さんの奥さんは、夫の手記を明らかにされ、国や佐川氏を相手に訴訟を起こした。これに対して意見を聞かれた、財務相や安倍首相の反応はそっけないものだった。川柳で詠んで見ました。「平然と胸が痛むと鉄面皮」。

 

朝日新聞「天声人語」に掲載された記事は、この事件の核心を衝いています。

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「“紙つぶて”という言葉がある。紙に書かれた文字が“つぶて”となり、ときに権力者たちの急所を突く。1970年、軍事政権下の韓国で、金芝河さんが発表した風刺詩「五賊」がまさにそうだった▼財閥や国会議員などを5人の悪党になぞらえ、攻撃した。高級公務員に対しては「できることでも絶対やらず、できないことでもすんなりと、机の上には書類の束、机の下には紙幣の束」などと書いた。詩人は逮捕された。▼こちらも、鋭く重い紙つぶてが投げられた話である。森友文書の改ざんに加担させられ、死を選んだ近畿財務局の職員、赤木俊夫さんの手記が明らかになった。生の最後の場面で書いたと思われる記述は、迫真である。▼改ざんの指示が財務省の佐川宣寿理財局長(当時)から来たこと。彼の部下たちが修正箇所をどんどん拡大し、現場の近畿財務局に推しつけたこと。その指示に、あっけらかんと従う者すら一部にいたこと・・・▼手記が示したのは、不正な行為、違法な作業が止まることなく進む巨大組織の姿である。赤木さんの妻は、国や佐川氏を相手に訴訟を起こした。手記を前にしても再調査すらしようとしない財務省とは、組織を守るだけの存在なのか▼冒頭の詩には高級公務員のこんな生態も描かれ、どきりとする。「目上の者には愛玩犬、目下の者には狩猟犬」。上には従う愛玩犬の群れが思い浮かぶ。そして最終的にしっぽを振った相手、すなわち安倍首相にも、つぶては投げられている。

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(注)紙つぶて:紙を固く丸めてぶつけるもの(広辞苑)

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2020年3月16日 (月)

鴨長明『方丈記』

<鴨長明『方丈記』>
近くを散歩していると、ため池の水際にある柳が芽吹き始めている光景が目に入りました。新芽をのせて、たおやかに揺れる柳は春の訪れを一層感じさせてくれます。眺めていると、新型コロナウイルスのことなど忘れてしまいそうです。
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さて今、新型コロナウイルスの話は持ち切りですが、人間社会を悩ます災害(竜巻、飢饉、洪水、地震、疫病)について、鋭く切り込んだ記録を残した鴨長明が思い出されます。彼の代表的な著作『方丈記』にはそのような災害の記録が沢山記されていて大変興味深いです。

『方丈記』の冒頭にある、「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず・・・」というフレーズは、よく知られています。我々日本人の多くが共感を覚える「無常観」に溢れたフレーズです。これを、ピーター・マクミランさんという、アイルランド生まれの方が実にうまく訳されています。日本人とよく似た小さな島国の出身者ゆえの、同じような感性(無常観)が生かされているのだなあ、と私は思いました。
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行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。(『方丈記』冒頭 鴨長明)
The current of the flowing river never ceases, yet the waters never remain the same. In places where the current pools, bubbles from on the surface, burst and vanish while others form in their place, never for a moment still. People in the world and their dwellings are the very same.
(by Peter Macmillanピーター・マクミラン,アイルランド生まれの翻訳家・研究者)
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ところで、鴨長明のことですが、彼は古来の名族で京都の上賀茂・下賀茂神社の氏神を祖とする鴨一族に生まれました。父は下賀茂神社の神職のトップである宮司を務めた人です。鴨長明は大社の御曹司だったのです。しかし彼の青春時代は「保元の乱」「平治の乱」などが起り、源平の争乱から平家の興亡に到る時期と重なります。彼が18歳の頃、父が病死、一族の権力争いの渦中に放り出されます。父亡き後、祖母の屋敷に住むも、30歳でその屋敷を追い出され、大原を経て最後には人里離れた日野(京都市伏見区)に“方丈の庵”を構え住む。54歳の時でした。この日野は無人の深山でなく、人里に近くて生活には困らないところでした。『方丈記』は彼が58歳の時の作品。この方丈の庵で、竜巻、飢饉、洪水、地震、疫病などの天変地異と遭遇した生の経験を基に、無常観に満ちた文章を、格調高い和漢混淆文で記し、生涯を閉じました。享年62歳。

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文藝春秋が報じています!! 『新型肺炎』二人の独裁者の犯罪!!


文藝春秋が報じています。
新型肺炎「中国と日本の大罪」
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正しくは、"中国と日本" という"国家の大罪"ではなく、"政治家個人の大罪"であり、「中国共産党独裁政権・習近平主席と独裁政治家・安倍首相の大罪」と言った方が正しいと思います。二人の独裁者による、自己保身のための事実の隠蔽が、初動を遅らせ、世界と日本における新型コロナウイルスの感染拡大を招いたことは自明のことです
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それなのに、この二人の独裁者から一切謝罪なし(もっとも独裁者という輩は謝罪しませんが(笑))

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エリック・シュバリエさん 堺の伝統産業 刃物を外国人にPR

拙著『尊ぶべきは、小さな社会と細やかな心』にご登場頂いた、エリック・シュバリエさん(30)(フランス出身)のことが、本日の朝日新聞に紹介されていました。
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彼は、堺市の伝統産業、刃物を外国人にPRする役目を演じ奮闘されています。その功績が認められ、関経連や近畿経済産業局などが選ぶ「はなやかなKANSAI魅力アップアワード」で、堺市産業振興センターとして特別賞を受賞されました。

おめでとうございます

彼は、2012年来日後、大阪堺市で鋏(はさみ)鍛冶職人の見習いを経験した後、堺の刃物職人と外国人シェフなどの顧客との間を結ぶコーディネーターとして活躍されています。
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拙著では、第7章「日本の細やかで精緻な文化に魅せられた外国人」の4人のなかの一人として紹介させて頂きました。記事を書く際、奥さんの麻利子さんと一緒に取材させて頂いた時の記憶が蘇ってきました。

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2020年3月 6日 (金)

卒業祝い

我が家の庭ともいえない狭い空間に植えてあるカンヒザクラ(寒緋桜)が1週間ほど前、例年よりも早く咲きました。毎年この桜を春の到来と感じています。このカンヒザクラは、大体いつも梅が咲いた後、桜が咲くまでの期間に咲きます。釣り鐘状の花が特徴で、花が下向きに咲きます。「河津桜」の基となるサクラであり、沖縄では桜と言えば、このサクラを指すそうです。

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さて、2月末、韓国からの留学生・Yさんの卒業祝いと就職祝いを兼ねて、家内と3人でささやかなお祝いを箕面市の和食店で行いました。彼は、我々が留学生のお世話を始めた最初の学生です。彼は、遊ぶことはあまりせず、研究一筋の本当に真面目な学生でした。大阪大学の工学系の修士課程、博士課程を経ての卒業です。就職の方は日本にある外資系の会社に就職とのこと。彼とは、長い期間に亘ってよく会い、その間に日韓関係の様々な出来事があったなかで、苦労を共に?したという感じがします。これからはそんなに会えませんが、就職先が日本国内なので、時折また会う予定です。

今後、大学での卒業パーティが行われる予定で、我々も招待されていますが、新型コロナウイス感染拡大の影響で、開催が危ぶまれています。そういったなかでの彼のお祝い会でした。

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2020年3月 2日 (月)

長谷川町子さん/サザエさんのこと

今世間は、新型コロナウイルス感染蔓延の話で持ち切りになっています。何とかこの騒ぎが早く収束し、政治的にも何かいい方向に向かってくれることを期待しつつ、テレビ番組を観ていると、「昭和は輝いていた」という番組で、一世を風靡した漫画『サザエさん』の作者・長谷川町子さんが取り上げられていました。娯楽が比較的少なかった昭和の時代、私も『サザエさん』をよく読んで楽しみを味わい、時には慰められ、またある時には、世の中はこのように回っているのだと教えられたこともありました。ある人が言っていました。『サザエさん』を書いた長谷川町子さんは、現代の「紫式部」にも相当する人物ではなかったかと。私もそのように思いました。彼女の漫画の影響力は令和の時代にも及んでいるように思います。
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さて長谷川町子さんは、1920年(大正9年)生まれで、1992年(平成4年)お亡くなりになった(享年72歳)。日本初の女性プロ漫画家として知られる。代表作に『サザエさん』『いじわるばあさん』『サザエさんうちあけ話』などがある。趣味で収集した各種美術品を活かすため私財を投じて「長谷川町子美術館」(東京都世田谷区桜新町)も開館。1992年には国民栄誉賞を受賞している。

佐賀県多久市生まれで、3人姉妹の次女。三菱炭鉱の技師であった父のワイヤーロープ事業開業に伴い、幼少時に福岡市に転居した。父の死後、一家揃って上京し、現在の山脇学園高等学校で学ぶ。小学校時代は“悪童”とか“お転婆娘”とかいう言葉が似あう、且つ正義感あふれた少女であったという。友人の女子生徒が男子生徒にいじれた時には、その男子を校舎の屋上に連れ出し諫めた。得意科目は図画と作文。悪童であったが成績は良かったので級長も務めた。

母は果断で、女性の自活が困難であった当時、女世帯を切り盛りしながら、子どもたちの躾に厳しかった。母は、漫画の才あった長谷川町子が、当時著名な漫画家・田河水泡(代表作『のらくろ』で有名)に憧れ、「田河水泡の弟子になりたい」と度々いう独り言に悩まされた。そこで彼女を田河水泡の弟子にしてあげようと決意、彼女の姉・毬子と一緒に、田河の家に出掛けるなどして奔走した。その甲斐あって、彼女は山脇学園高等学校在学中に田河水泡に師事することになる。田河水泡は彼女の天才性をいち早く見抜いたという。 

そして、田河水泡の引き立てにより『少女倶楽部』への掲載などで漫画家デビュー。その後、西日本新聞社に就職し、絵画部校閲係などを経て、西日本新聞社の6コマ漫画掲載などを行っていた。

『サザエさん』の着想は、1946年、西日本新聞の姉妹紙「夕刊フクニチ」で連載漫画を頼まれた時に得られた。自宅の近所である福岡市百道海岸付近を妹・洋子と散歩している時に、海岸の風景を眺めていて、『サザエさん』の家族構成や名前(サザエ・ワカメ・フネ・マスオなど)を思いついという。その後、『サザエさん』の連載は別の仕事が入ったため、サザエの結婚で一旦打ち切りとなったが、登場人物を追加して上、再連載されている。また、後には朝日新聞の4コマ漫画としても登場した。

余談になるが、彼女は、東京の山脇高等女学校に編入した時、博多弁がおかしいと笑われるなどで友人が出来なく、次第に人見知りになり、人付き合いや表舞台に顔を出すことが苦手になったと言われている。姉や妹とは違い生涯独身を通した。縁談も多かったが、漫画家としての人生を全うするための選択であったようだ。

それにしても長谷川町子さんは、多くの人に夢を与え続けた人だった。

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