2.日記・随想・歴史紀行・音楽

2017年8月22日 (火)

イ・ボミ選手と松山英樹選手のこと

イ・ボミ選手。先日のCATレディースで、今季初勝利。長らくの不調から脱しての優勝。日本選手が勝って欲しいのはやまやまだが、彼女のファンとしてイ・ボミさんが勝利したのは嬉しい。強くて、有名人でありながら驕らない、謙虚であるところに好感を持てる。

清水重憲キャディーの話によると、暫く優勝から遠ざかり悩んでいた頃、試合後、「もう立ち直ることができないのではないかと、いつも泣いていたという。

先週、国内69勝を誇る樋口久子さんと一緒にプロアマ戦に出場した時に、「重心が右に乗らない」と、スイング不調の悩みを打ち明けると、「腕は体の回転についてくるだけよ」と。簡単な助言に、「ゴルフはシンプル・イズ・ベスト。頭がクリアになった。」という。

支えになったのは、清水キャディーからの一言「悪い時は何をしても良くならない。でもそれは、這いあがった後の強さになる」と。彼女には、まだまだ活躍して欲しい。
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松山英樹選手。全米プロゴルフ選手権で一時トップに立ちながら5位に終わり、涙の記者会見。

その時の言葉、「これを経験したからといって克服できるものではないと思うが、場数が増えていけばそれだけチャンスが増えているということだと思う。その1回が(優勝に)当たるようにもっともっとチャンスを増やしたい」。
彼は、この会見後、後輩女性と結婚していたことを発表した。彼にもこれからの一層の活躍を期待したい。

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2017年8月18日 (金)

インパール作戦を観て~侵略戦争の美化を許してはなりません~

<インパール作戦を観て~侵略戦争の美化を許してはなりません~>
Seeing a documentary on battle of Imphal by Japanese army during the end of pacific war, I felt that the beautification for invasion war is definitely not allowed.

先日、NHKで「インパール作戦」を観た。インパール作戦とは、太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)3月~7月まで、日本陸軍により開始された戦争で、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦である。この作戦で3万人もの若い命が、飢えや感染病で異郷に散った。

この戦争に従事した当時28歳の記録担当の青年が、上官である牟田口司令官と東京の大本営との、「兵を何千と殺せば陣地を取れる」などの会話や悲惨な現地の状況を書き留めておられる。彼は、死の淵を彷徨いながら何とか生き延びた。そして近年96歳になった彼が、NHKのインタビューを受けて泣き崩れている姿は衝撃的だった。
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NHKでは、最近、この他にも「731部隊」「樺太地上戦」を放送したが、いいことだ。このような日本が行った無謀な戦争を事実として、戦争を知らない人たちに伝えていくことは、戦争の記憶を風化させないために不可欠である。

さて、今年の終戦記念日、天皇陛下は「深い反省」の念を述べられたが、一方このような侵略戦争を過去のものとし、美化し、国民から覆い隠したい安部首相は「アジア諸国への加害責任」について今年も依然として触れなかった。

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2017年8月11日 (金)

悲惨な戦争体験が戦争を知らない世代に正しく伝えられることが大切です!!

This is a photo by Joe O’Donnell, who was a photographer going with the army to the front. Such miserable war experiences have to be handed down to the next generation. 

坂井貴美子さん。元従軍カメラマン・故ジョー・オダネルさんの妻が夫の生涯を辿った著書『神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産』を8月9日に出版されたそうです。
ジョー・オダネルさんは2007年8月に亡くなるまで各地で写真展を開き、戦争反対を訴え続けました。この著書には、彼が原爆投下後の長崎で撮影した、亡くなった幼子を背負う、有名な『焼き場に立つ少年』が含まれています。

彼は幼子を火葬にする少年の様子を次のように記しています。「炎を食い入るように見つめる少年の唇に血が滲んでいる。少年があまりきつくかみ締めているため、血は流れることもなくただ少年の下唇に赤く滲んでいました」
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妻でアメリカ在住の坂井貴美子さん(56)は、「人間の存在の原点を、占領者としてではなく同じ人間としてカメラに収めている」と、また、核廃絶へのメッセージとして、「ただ『忘れない』ということが大切と思う」と述べています。
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そうです。過去の戦争を、どこかの首相のように、忌々しいといって忘れることを奨励することは断じてなりません。

私も歴史の教訓として永遠に記憶すべきものだと、この写真を見て、改めて感じました。

天皇陛下や皇太子さんも、次のような旨を述べられています。「戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本が辿った歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています」

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2017年8月 7日 (月)

アラブ音楽

本格的なアラブ音楽というものを初めて聞きました。

先日、地元の箕面国際交流協会のロビーで、ウード奏者の常味裕司さんとパーカション・バーラマ奏者のアブドゥルラフマン・ギュルベヤズさんのお二人による共演がありました。

 

アラブ音楽に関しては、実は若い頃、イラクやサウジアラアビアに滞在した経験があるのですが、現地で当地の音楽を聞いた経験はありません。西洋音楽や雅楽を聞き馴れた私には、アラブ世界の音楽は新鮮に感じられました。9拍子や10拍子という早いリズムで、情熱的な中に愁いを含んでいるように感じました。アラブ世界の人々は、この音楽を聴くと情緒が平静になり、心が落ち着き蘇るそうです。

常味(つねみ)さんは、日本のみならず、東アジア地域において、アラブ音楽の楽器・ウード演奏家のパイオニアで、第一人者と称されています。彼はアラブ世界を代表する演奏家の巨匠たちから学んだそうです。国内では日本人ウード奏者の輩出にも寄与し、宇崎竜童と活動を共にするなど、各ジャンルへ影響を与え続けています。NHKの新・シルクロードではアラブ音楽の監修を行ないました。

 アラブ音楽を象徴し「楽器の女王」とも呼ばれる弦楽器ウードは、日本の琵琶や西洋楽器のリュートの祖先として知られ、とても長い歴史を持っています。フレットがないため微分音を演奏することも可能であり、その特徴があの独特な響きを生み出しているそうです。

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日本文化の劣化を懸念する

安倍政権の下、日本文化の劣化が徐々に進んでいるように思えてなりません。その文化を支える道徳感の悪化がこれに拍車をかけているようです。

国家の私物化を感じさせるモリカケ疑惑に対する、欺瞞と嘘と騙しの手口、秘密保護法、共謀法の国家主義的色彩を帯びた法案の強行採決、一億総活躍大臣とか、人づくり革命大臣とかの、人の心に鈍感な感性、などに、そのことが表れています。

最近国会における答弁でよく用いられる“記憶にありません”という言葉は、“嘘”を婉曲的に言い表す“代名詞”になりつつあります。これが若し国語辞典に採用されることがあれば日本の危機と言わざるをえません。(笑)...
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各社の世論調査によると、先日の内閣改造によって、内閣支持率が若干持ち直したと伝えられていますが、大局的には横ばいで、内閣不支持率が内閣支持率をかなり上回っています。安部政権には依然として反省の色が見られないので、更に支持率が下がると思っていたのに意外です。

この世論調査を見ると日本人は寛容な民族(あっさりと物事を水に流す)だと思います。内閣の顔ぶれに、若干リベラル派の野田聖子氏や河野太郎氏を入閣させ、誤魔化しを図ったのが利いている様です。このお二人が、国家主義的な安倍政権の下で、政権の延命化に手を貸すようなことがあれば、彼らは良識ある自民党支持者の支持を失うかも知れません。
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巷では次のような川柳が詠まれています。政局をうまく反映しています。

 「頭下げ印象操作する首相」
 「河野野田しょせん二人も自民党」
 「気持ちだけ外様を入れて茶をにごし」

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箕面祭(Minoh festival)

先日、7月30日の日曜日は、箕面祭でした。毎年、見るようにしています。今年は、スイスからの留学生のSさんとその友達のインド人の方を誘って、家内と共に行って来ました。

メインエベントは、箕面市役所から箕面駅までのパレードです。北大阪ハーレー会を先頭に、ガンバ大阪や吹奏楽団、ダンス、日本舞踊、ジャズ、よさこい踊りなど、39チームが参加。よさこい踊りなどの若い人たちの踊りを見ていると元気が出て来ました。近くの芦原公園ではステージがあり、若い人たちが競演。沢山の屋台では、やきそば・からあげ・たこやき・うどん・やきとりなどが売られ、金魚すくいなど子供向けの店もありました。

パレード終了後、留学生の皆さんと、インド料理店でナンを頂きながら歓談しました。

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2017年7月24日 (月)

マザーテレサのような女性お二人

次のようなマザーテレサのような方を見ると頭が下がります。尊敬の念を感じます。偶然にもお二方とも同じ名前の"優子"さん。名は体(たい)を表しているのでしょうか。優しい"優子"さん。最近の我が国の、政権の中枢にいる、欺瞞に満ち、私利私欲に奔走する人たちと比較すると、一層その感を強くします。

下崎 優子さん(50):南スーダンの修道院で避難民のために働くシスター
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2012年、所属する「イエスのカリタス修道女会」に打診され、南スーダンの首都ジュバ郊外の修道院に赴任した。自衛隊が派遣されたのと同時期であった。

空港で偶然会った自衛隊員の人が「同じ日本人だから」と毎週修道院にボランティアに来てくれ、「何度も勇気づけられた」という。任期はない。自衛隊は帰ったけれど、「自分が居るべき場所は日本ではなく南スーダン」、そう自分に言い聞かせていると言う。
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白川優子さん(43)。イラク・モスルで働く、国境なき医師団の日本人看護師
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イラク・モスルで、戦闘の巻き添えになった住民の緊急医療支援に奔走されている。手術室でイラク人看護師を指導し、一日10件もの手術に立ち会った。

イラク人は患者も病院スタッフも皆が3年にわたるISの暴力と恐怖政治の被害者だとのこと。白川さんは「イラクの人々が受けた傷は深く、これからが本当の始まりです」と言う。彼女は、数日の帰国を経て、7月下旬にはシリアでの支援に向けて出発する。

(写真は全て朝日新聞関係のデータより借用)

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2017年7月19日 (水)

世の中、“風雲急を告げる”というような雰囲気になって来ました

政権支持率が軒並みに急落し、世の中、“風雲急を告げる”というような雰囲気になって来ました。拙い短歌を作ってみました。

       「この国を自分のものと勘違い異論を挟む人もないので」
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権勢の頂点にいた藤原道長が詠んだ次の歌に因んだものです。時代は変わっても、驕りたかぶる者は現れてくるものです。我が国のA政権のように。

       「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」
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今朝、新聞を見ると、他の人が作った次のような川柳が眼に付きました。
皆さん、それぞれ思いがあるのですね。

   「女性から愛想を尽かす世の習い」
           
   「『THIS』じゃなく負けた原因『THIS IS A』」
      

(写真は、藤原道長です)

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劉 暁波氏の死を悼む

作家であり、人権活動家・ノーベル平和賞受賞者である 暁波氏713日、肝臓癌で亡くなった。獄死とも云える悲しい最期。1989年、中国の民主化を求める天安門事件に、米国での研究を中断して参加、ハンガーストライキを指導した。2008年、中国共産党の一党独裁の放棄などを呼びかける“08憲章”起草者の一人となった後、国家政権転覆扇動容疑で逮捕され刑務所に収容されていた。

天安門事件の後、多くの民主化リーダーが国内に逃れたが、彼は国内に残った。これは中国の民主化と民衆の力を信じていたからだという。彼は次のような言葉を遺している。

「中国の自由、民主、憲政の希望は民間にあり、私の根はここにある。中国の問題はここで生活する人が解決するしかない」「私は、未来の自由な中国が訪れることに対して楽観的な期待に満ちている」

右であれ、左であれ国家主義(全体主義)というものは国民を愚弄し、蝕む。いつ中国は明るい未来を迎えることができるのであろう。

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2017年7月 7日 (金)

テレサテン さん のこと・・・・自由と平和を願って

先日、「テレサテン(鄧麗君)、没後22年目の真実」という番組を観た。テレサテンといえば、1989年、香港での中国民主化支援コンサートで30万人の人を前に、彼女が中国の民主化を願って歌ったことが記憶にある。“悲しい自由”“私の家は山の向こう”などがその当時の歌である。このコンサートの直後の1989年6月、天安門事件が起こったため、1990年に予定されていた、彼女の長年望んでいた中国本土でのコンサートは実現しなかった。

天安門事件は、悲しい事件であった。ついこの間、習近平主席が香港に来て、中国の民主化運動に対して不満を表明したというから、中国の明るい未来への展望は暗い。とにかく中国における左翼国家主義の存在は中国国民にとって不幸なことであるが、我が国でも、安倍自民党政権が極右組織・日本会議に支援され右翼国家主義への道を進めているので、安心できません。左右の国家主義は人間にとっては憂うべきものです。
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テレサテンの両親は、中国大陸出身。国民党の敗退と共に台湾へ移動。彼女はそこで生まれた。両親が生まれた地でのコンサートを熱望していたという。日本でも、つぐない、愛人、空港、時の流れに身をまかせ、など、哀愁に満ちた歌、その中に温かさも感じる、多くの歌をヒットさせた。中国本土でも人気が高く、1986年の改革開放路線の頃は、彼女の歌が解禁され、昼は鄧小平の話を聞き、夜は鄧麗君の歌を聴くというほどであったと言われている。彼女は天安門事件後、パリに移ったが、その後、喘息を患い、最後はタイ国で亡くなった。享年42歳であった。
私にとって思い出に残る世界的規模の偉大な歌手でした。

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